第228話 『 幸せになるために選んでください 』
時刻はまだ十七時だが、この季節も冬になると辺りもすっかり暗くなる。
そんな帰り道。
「千鶴ちゃん。いい子だったすね」
「はい。僕なんかと仲良くしてくれる人ですから」
「じゃあ、類は友を呼ぶ、ってやつだ」
くすくすと笑うミケに、冬真は苦笑を浮かべる。
「僕はいい人というより、できるだけ波風立たないように過ごしてるだけですよ。争いごととか嫌いですし」
「誰だって争いごとは嫌っすよ。私だって嫌いでなので、できるだけ初対面の人とか波長が合わない人とは絡まないようにしてるっす」
「あはは。それなら僕もミケ先生と一緒です」
二人顔を見合わせて、苦笑を交わす。
冬真も、ミケと同じように人付き合いが上手くない。今は千鶴や可憐とは普通に話せる仲にはなったが、未だに他の女子と話すとドキドキするしうまく呂律が回らない。
「僕も四季さんみたく、誰とでも隔たりなく接することができればいいなとは思ってるんですけど、やっぱり現実はそう簡単にはいきませんね」
「にゃはは。そうっすね。現実ほどのクソゲーはないっす」
「あーあ、僕もラノベみたいに、どこかの異世界に召喚されてのんびりスローライフしてみたいです」
「分かりみが深いっすねぇ。私も辺境な土地で好きなだけ絵を描いてたいっす」
「ふふ。異世界に行っても絵を描く気なんですね」
ミケの言葉に思わず笑ってしまえば、彼女は「当然すよ」とこくりと頷いた。
「私にとって絵は体の一部みたいなもんすからね。きっと、どこへ行っても絵は一緒に連れていく……いや、ついて来ると思うっす」
まさに一心同体でも言うべきか、ミケの絵に対する情熱に冬真は心底脱帽される。
絵は一朝一夕で上達することはまずない。長い年月を掛け、知識と情熱と愛情を注いでようやく〝人に見てもらえる〟絵が描ける。そこからさらに研鑽を積み上げてようやく、ミケたちイラストレーター自身が望む〝世界〟を表現できるようになるのだ。
そこに至る過程で、多くの者たちが挫折し諦めている。
挫折し、諦め――そこから這い上がり続けた者だけが、真に表現できる世界を生み出せるのだ。
――やっぱり、ミケ先生は僕の一生の憧れの人だ。
「キミは、どこにでも好きな所に行けばいいっすよ」
「――ぇ?」
不意に耳朶を震わせたミケの言葉に、冬真は一瞬呆ける。
どういう意味なのか、それを知ろうとして振り返れば、ミケは冬真に穏やかな笑みを向けていて。
「私は、絵を描くことでしか生きていけない人間っす。でも、キミは違う」
「…………」
「私は冬真くんに、アシスタントを続けて欲しいとお願いしたっす。でも、それはあくまで私の願いであって、キミの願望ではないかもしれない」
「ちがっ……」
「最後まで聞いてください」
ミケの言葉を否定しようとその刹那、唇に冷たい感触が当たった。
視線を下げれば、ミケが伸ばした指が、冬真の唇を塞いでいた。
「冬真くんには冬真くんの人生があるっす。それは誰かが勝手に決めつけたり、束縛していいものじゃない。キミが悩んで、決断して、そうやって自分の道を作っていくのが人生っす」
「――――」
「私は、キミの人生を縛るつもりなんて微塵も考えてないっす。むしろ幸せになって欲しいと思ってるっす」
綴られていく言葉。想いを乗せる声音。
冬真を映す黒瞳に、胸が締め付けられる。
「冬真くんと私はイラストレーターとアシスタント。きっと、それ以上の関係になることはないと思うんす」
「――――」
それは、ミケ自身が己に言い聞かせているのか、あるいは冬真に残酷な現実を突きつけようとしているのか。もしかしたら、その両方なのかもしれない。
「だからね、冬真くん。キミはキミの未来の為に、幸せになるために選んでください」
冬真の瞳に浮かび上がった三日月は、なんとも美しくて――そして残酷で。
「私は冬真くんの選んだ道を応援するっす」
ミケは微笑を浮かべながら、冬真の背中を押す。
なのに、冬真は返事をすることも、ましてや笑うこともできなかった――。
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