第221話 『 待って私――金城のこと⁉ 』



 ――いつか恋をしてみたい。そんな気持ちはずっと抱いていた。


 あれは、いつだったか。たしか、中学二年生の頃だ。


 丁度、恋や青春に興味を抱き始め、多感になる時期。それに千鶴も例外なく枠に当てはまっていた。


 部活をほどほどに頑張り、友達と楽しくおしゃべりして、授業は退屈でうたた寝してしまう――そんな、毎日が楽しいと日々。


 けれど、それはある日を境に一変する。


 きっかけは、同級生からの何気ない一言。


 ――『ねぇねぇ、千鶴ちゃんて○○くんと付き合ってるの?』


 本人たちは興味本位だったり、または休み時間の話題にしよう程度に聞いてきたのだろう。


 千鶴はその時、『違うよ』と若干頬を引きつらせながら答えた。その理由は、どうして彼女たちがそう思うのが不思議だったからだ。


 たしかに、その男子と仲が良かった自覚はある。話す機会もそれなりに多くて、同じ委員会になったりもした。


 でも、千鶴にとってはそれだけだった。


 けれど、彼女たちにとっては興味を抱くには十分な内容だった。


 その後、特段女子たちに疎まれたり、輪の中から外される、なんてことは起きなかった。ただ本当に、多感な時期に、しかも変な妄想が膨張しやすい人たちからの野暮な質問だった。


 また千鶴の穏やかな日常が戻る――なんてことはなかった。


 その日を境に、千鶴は日常に違和感を覚え始める。


 たとえば、特定の男子と仲良くするだけで付き合っているのでは、とくだらない妄想に盛り上がる女子の群れに。


 たとえば、好きでもないし男子から告白されて、それを断ったら先輩に恨まれる陰湿さに。


 たとえば、少しだけ男子と距離を取るようにした自分の狡猾さに。


 たとえば、男女平等に徹することで得た〝偽りの平凡〟に。


 そうやって人は成長していくんだなぁ、と千鶴は中学卒業式の最後、既に中身もない友達と涙を流しながら悟った。


 けれど、それでよかったと思えたのはやはり、高校に進学して無二の親友を得たからだろう。


 一人はおっとりとした目つきで基本やる気がない少女。


 そしてもう一人は、清楚で可憐で、それこそ絶世の美女を体現した少女。


 端的にいってしまえば、千鶴はその少女に一目惚れした。


 同性愛者、ではないが、彼女とならオッケーと言ってしまえるくらいには千鶴は彼女のことが好きだった。


 そんな日々も、また変わっていく。


 彼女が楽しそうにカレシの話をする顔を見ると嬉しくなるのと同時、千鶴には嫉妬が芽生えていった。否、嫉妬、というよりやきもちかもしれない。


 露骨に垂れ上がった頬とデレデレした顔をみれば、彼女の親友としてはいい気がしない。


 けれどやはり、彼女が幸せそうな毎日を送れていることの方が千鶴にとって大切で。


 ――そんな日々を、千鶴も送りたくなってしまった。


「はぁぁぁ。小説家ってすごいなぁ」


 ぱたん、と最後の一文を読み終えた千鶴は、そんな感嘆を吐きながら本を閉じた。


 一つ一つ文字を綴り、物語を創り、読者を創作という世界に引き込ませる。途中、登場人物の心情に自分が何度共感したか忘れるくらい、丁寧に人物像というものが描かれていた。


「……ハル先生」


 本のタイトルの端に記載された、この小説を書いた作家のペンネームを声に出す。


 冬真が「絶対面白いから見て! ラブコメでこの人より凄い人いないから!」と太鼓判を押してくれたので読んでみたが、彼の言葉通り圧倒された。


 タイトルは【微熱に浮かされるキミと】。内容はラブコメというジャンルに位置しながらも、群像劇の要素も入っており、ただ単純に明るいだけの話ではない。というのがまたいい味を出していた。


「すごいなぁ。なんでこんなに話がすっと入ってくるんだろう」


 高校生を中心に物語が進んでいるから登場人物の苦悩や葛藤に非常に共感することができるのは勿論、見ていて胸が締め付けられる巻には緩衝材としてほどよい甘さも入っているのでずっと読んでいられるのだ。


 挿絵も含めて、千鶴は見事に小説家・ハルの世界に引き込まれていた。


「ファンになっちゃうかもなぁ」


 この人の書く小説に外れはない、と冬真が豪語していたので、ならば一人でハルの作品を選んでも満足できるだろう。なんだこのハルとかいう人、神なのか?


 実は、ハルが美月の旦那だという事実を知らない千鶴は、ハルに対して憧れを抱きながら深い吐息をこぼした。


「恋の定義……かぁ」


 今読んでいた巻にそんな描写があった。


 メインヒロインこと詩音が主人公、傑に恋を自覚するシーン。そこで恋とは何かが描かれていた。


『恋とは未知の病だ。勝手に頬が赤くなったり、突然心拍数が上がったり、その人を見ていると胸が締め付けられるようになったり、もっと一緒にいたいと思ってしまったり――それを自覚した時点で、未知の病ではなくなりこの人に〝恋〟しているのだと知ることになる』


 ハルは劇中の登場人物を用いてそう語った。


 そして、千鶴はその通りだと強く頷いた。


 これまでを述懐してみれば、千鶴が男子と話していてそんな感情になったことは一度もない。


 詩音も、傑と以外はそんなことは起きたことなかったと顔を真っ赤にしながら回想していた。


 反対をいえば、傑と話す時に詩音はそうなっていた訳で。


 千鶴も冬真と話す時――


「いやいやそれはない」


 へらへらと笑いながら、千鶴は己の思考を否定する。

 不思議なことに、財閥グループの令嬢という点を除いて共通点が多い詩音と千鶴。


「……絶対違うよね?」


 好きな人といるとよく話が弾む詩音。

 冬真と話すと話が弾む千鶴。


 それだけじゃない。


 好きな人の前だと、意外と大胆なことができてしまう詩音。たとえば、文化祭のメイド服。

 金城の言葉で、少しだけ勇気が湧いてウェイトレス姿でも接客ができるようになった千鶴。


 傑の顔をみて、ドキドキしたり、頬が赤くなったり、もっと一人占めしたくなってしまう詩音。

 

 イメチェンした冬真をみて、ちょっと心拍数が上がったり、案外イケメンで直視できなくなったり、そんな金城をもっと見てみたい、と思い始めている――乙女。


「えっ……うそうそ。嘘だよね⁉」


 それまで〝恋愛〟というものに興味が薄かった少女は、小説という創作に触れて初めてそれを自覚する。


「待って私――金城のこと好きなの⁉」


 自覚した瞬間。より一層鼓動は強く跳ね上がって――。


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