第150話 『 そういう所も好きですけど 』
日付もそろそろ変わる頃に帰宅して、晴はなるべく音を立てないようにそっと玄関を開けた。
「……ん?」
既に美月は寝ているだろう、そう思って静かに「ただいま」と言おうとした瞬間、暗がりに灯りが見えて晴は眉根を寄せた。
もしかして、と思いながら靴を脱いで玄関を抜ければ、リビングにパジャマ姿の美月がいた。
「子どもが夜更かしなんて感心しないぞ」
「今から寝ようと思ってたところですよ」
腰に手を当ててお説教すれば、美月は淡い笑みを浮かべながらそう返した。
晴は一息吐いたあと、ちょこんと椅子に座っている美月の正面に腰を下ろした。
「お帰りなさい、貴方」
「ただいま。今の言い方奥さんっぽいな」
「実際、貴方の奥さんですからねぇ」
くすくすと笑う美月。
「まさかとは思うが、俺が帰って来るまで待ってたのか?」
「そういう訳じゃありませんよ。うまく寝付けなかっただけです」
平然とした顔で言うのだから本音なのだろう。ただ、その裏に晴を懸念した思惟を感じた気がした。
「もしかしたら、酔っ払ってそのまま玄関で寝てしまうのではないかと思いましたが、どうやら杞憂だったみたいですね」
「介抱できなくて残念だったな」
「残念だとは思ってません。むしろ手が煩わなくて好都合です」
「面倒なんか掛けさせねえよ、慎じゃあるまいし」
「……その言い方だと、慎さんが貴方に面倒掛けたみたいですね」
「酔っ払ったアイツを送ってきた」
「なんというか、お疲れ様です」
美月がなんとも言えない表情を浮かべる。
本来であればもう少し早く帰宅できたが、酔っ払いの慎を送ったせいでこんな時間になってしまった。
アイツにはやっぱり貸しを付けておこう、と胸中で呟けば、美月が意外だと言いたげに目を丸くしていた。
「晴さん、見かけに寄らずお酒強いんですね」
「見かけに寄らず強くて悪かったな」
ツン、とした声で返せば、美月は「他意はないですよ」と窘めてくる。
「いつもお酒飲まないから、てっきり弱いのかと思ってたんですけど」
「まぁ、体質だな」
「あぁ。たしかに貴方は頑固……いえプライドが高い……いえ自我が強そうですもんね」
「言葉を選ぼうとした努力は評価するが、結局本音が漏れてるぞ。悪かったな頑固でプライドが高くて」
バツが悪そうに顔をしかめれば、美月は「あはは」と苦笑した。
「そんなにお酒強いなら、普段も少しくらい飲んでも平気なのでは?」
「前にも言ったろ。執筆に支障が出る可能性があるから飲まない」
「でも私と結婚してから夜は書かないようにしてますよね?」
「そういう意識をしてるだけで、どうしようもなく書きたい衝動に駆られる時はあるから結局飲まない」
「やっぱり執筆ばか」
美月が呆れた風に肩を落とすも、晴が執筆病だと理解している美月は穏やかな笑みを浮かべている。
晴もそれは既に自覚済みなので、辛辣な妻のコメントに晴は無反応だ。
「貴方の世界はやっぱり小説を中心に回ってますね」
「それが仕事だからな」
「仕事というより病気では?」
「治る気もしないし治す気もないから今後とも俺の世話をよろしくな」
「はぁ、これから先も思いやられますね」
不遜な晴の態度に、美月は諦観を悟ったように嘆息した。
それから、美月は切り返るように一拍吐くと、
「それでどうでしたか、妻を差し置いての飲み会は」
「言い方に棘があるな。許可したのはお前だろ。ま、それなりに楽しめたんじゃないか」
やっぱり休日晴と一緒にいられなくて寂しかったらしい美月は、言葉にわずかな棘を含めて尋ねてきた。それに淡泊に答えるも、口許には三日月が描かれていて。
「ふふ。素直じゃない人」
「十分素直だろ。むしろ、俺は思ったことをそのまま口にしてる」
「そうですね。その被害に遭っているのは私なので」
ラブコメ作家である晴から無意識に出る甘い台詞の被害者は大抵妻である美月だ。
美月は神妙に頷くと、コホンッ、と気を紛らわせるように咳払いして、
「楽しかったのなら素直にそう言えばいいんです」
「じゃあ楽しかった」
そう答えれば、美月は「よろしい」と母親のような微笑みを魅せた。
「サトルさんとも、ちゃんとお話できましたか?」
「あぁ。お前を大切にしろ、って釘差されたよ」
「ふふ。サトルの言う通り、私を大切にしてくださいね?」
「安心しろ。死ぬまで傍を離れるつもりはない」
「おおぅ。そういうのを素面で言ってくるのは反則ですよ」
晴としては素直な感情を吐露したまでなのだが、美月にとっては不意打ちだったようだ。
美月は赤面した顔を手で覆いながら深呼吸して、
「貴方、実は私のこと大好きでしょう」
「大好きかどうかは分からん。でも愛してはいる」
「くはっ⁉ さては相当酔ってますね⁉」
「? いや、意識はしっかりしてるし、今のも理性あっての発言だが……」
「そういう所ホントにずるい……っ⁉」
小首を傾げながら言えば、美月が悶えていた。
エクレアも寝ているから静かにして欲しいが、暫く放っておけば元に戻るだろうと思って晴はしばらく悶々とする美月を眺めていた。
晴の思惑通り数分も経てば美月は落ち着きを取り戻したが、その頬にはわずかに朱みが残っていて。
「はぁ、なんだか興奮したら眠気が醒めてしまいましたよ」
「完全に自業自得だけどな」
「いえ、絶対に貴方のせいです」
「お前の責任転嫁にも慣れたな」
そんな自分に驚いていると、美月が微笑を浮かべていて、
「晴さん、何か飲みますか?」
「そうだな。水が飲みたい。冷たいやつ」
「分かりました。それじゃあ、私はホットミルクでも飲みますかね」
「あ、いいなそれ。やっぱ俺も同じやつがいい」
子どものようにそう言えば、美月は母親のような顔で頷いた。
「はいはい。すぐに用意するので、うっかり寝てしまわないよう注意しててくださいね」
「子ども扱いするな」
「貴方は手の掛かる大きな子どもですよ」
「悪かったな。手の掛かる大きな子どもで」
「ふふ。拗ねた」
「いいから早く用意してくれ」
「もう、人使いが荒いんですから」
晴の態度に口を尖らせる美月は、不服そうに腰を上げた。
「用意できたら、また飲み会の話聞かせてくださいね」
「いいぞ。ちょうど慎の黒歴史を入手したからな。酒のつまみ……ではないが、ホットミルクのつまみにはなるだろ」
「……貴方友達の弱み握ってどうするつもりですか」
呆れる妻に、晴は「面白そうだったから」と淡泊に答える。
そんな旦那に、美月はやれやれと肩を落として、
「ほんと、晴さんはどうしようもない人なんですから。……そういう所も好きですけど」
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