第149話 『 流石は【稀代の天才作家】ハル先生だな 』
居酒屋での楽しい(?)時間が終わって、男三人は帰路に着いていた。
「それれぇ……おらぁ運命の人と出会ったらけよぉ」
「たくっ、酒強くないくせにばかすか飲みやがって。一つ貸しだからな」
「あぁん。ちゃんと聞いてんろかはるぅ」
「黙れ酔っ払い」
酔った慎を支えながら悪態吐くも、彼の耳朶には届いていない。
はぁ、と徒労感たっぷりのため息を落とせば、サトルが苦笑していた。
「悪いね晴。慎くん任せちゃって」
「仕方ないだろ。お前は帰りの駅逆だし、それに、コイツの家知らないだろ」
こくりと頷いたサトルに、晴は気晴らしと半分寝ている慎にデコピンを食らわせる。
あう、とうめく慎に「暢気な奴め」と舌打ちして、晴はサトルに言った。
「コイツは俺が送るから、お前は帰っていいぞ」
「お前が誰かを介抱するなんてな」
「べつに俺はコイツを放っておいても問題ないぞ。ま、財布とかスマホとかは流石に預かっておくが」
「お前は優しいのか悪魔なのか分かんないな」
ふん、と鼻を鳴らせば、晴の淡泊さにサトルは頬を引きつらせた。
酒は飲んでも飲まれるな、ということわざがあるが、今度改めて慎に教えてやろうと思った。居酒屋で撮影した【詩織ちゃんと出会ってから人生が変わった男の話】という黒歴史を以て。
「あの苦行に三十分近く付き合ったんだ。コイツにはたっぷり羞恥心を植え付けてやらないとな」
「お前、昔からやられたらやり返すスタンスだもんな」
「十倍は返さないと気が済まない」
どこかの銀行員ではないが、やられた分はしっかり返すのが晴のスタンスだ。まぁ、大抵のことはどうでもよくてすぐに忘れてしまうが。
「つーか、お前はあんまりお酒飲まないわりに強いよな」
「酒は飲んでも飲まれるな、だ」
「まぁ、晴は自我強そうだもんな……精神攻撃とか全然効かなそう」
晴もそれなりにお酒を飲んだが、二人より顔が赤くなっていない上に意識もハッキリしていた。
それが体質なのかは分からないが、慎のようにベラベラに酔っ払うような今も含めて一度もなった事がない。
「――こうして、お前と酒を飲むなんて何年振りだろうな」
冷たくなった夜風が通りすぎた時、サトルが双眸を細めながらぽつりと呟いた。
「……覚えてないな」
「だよな。俺も覚えてない」
逡巡しても記憶が曖昧で、ぎこちなく答えればサトルもカラカラと笑った。
なんとなくこの空気がむず痒くて、ぽりぽりと頬を掻いているとサトルが微笑みを魅せながら言った。
「今日は久しぶりにお前の顔が見れてよかったよ」
「俺も同じだ」
「ふは、まさかお前がそう思うとはね」
淡泊に同調すれば、サトルは意外だと笑った。
数年ぶりにサトルの顔を見て、こうして酒を交えて心境を報告できた訳なのだが、存外得られるものは多かった。
少しはサトルの懸念を拭えたかもしれない。そう思えるのは、飲み会前に比べてサトルの表情が柔らかくなったからだ。
「晴、ちゃんと慎くんに感謝しろよ。俺もだけど」
「分かってるよ」
この企画を考えてくれたのが慎なので、そういう意味では彼に感謝しなくてはならなかった。まぁ、貸しは変わらないが。
もうじき駅に着くというところで、ぽつりとサトルが呟いた。
「顔つき、良くなったな」
「いつも美味いメシ食ってるからな」
「良かったな。人の手料理をまた美味しいと思えるようになれて」
「うるせ。美月は例外なんだよ」
慎からも度々顔色が以前より良くなったと言われているので、晴はサトルの言葉を素直に肯定する。
美月は特別、それを改めて再認識すると、なんだか胸の中がざわついて、けれど同時に満たされるような感覚を覚える。
「前に会ったけど、お前のお嫁さん、凄く良い人だったよ」
「だよな。いい奴過ぎて俺も驚いてる」
「……なんでお前が驚いてるんだ」
サトルが呆れた風に肩を落とす。
サトルはそんな反応を見せたが、その感想に嘘はない。
晴の事を好きになり、結婚してくれて、その上これまで閉じていた過去を受け入れてくれたのだ。そんな子――否、そんな人は世界中探しても美月しかいない。
あの日、降り積もった雪を優しい陽だまりのように溶かしてくれたことは、今もずっと感謝している。
「彼女のこと、ちゃんと大切にしろよ?」
「当たり前だ。美月に離婚を言い渡されたら死ぬ」
「おぉ、お前にそこまで言わせるとはな」
末恐ろしい子だ、と感服するサトルに、晴は「お世話されっぱなしだよ」と苦笑をこぼす。
それから、サトルは街灯を見上げると、
「俺はさ、お前の過去を知ってるから言えるけど、今のお前が幸せそうでよかったよ」
「幸せの定義は分からんが、充実した時間を過ごしているとは思う」
「はは、そう答えてくれただけで俺は今日お前と飲んだ意味はあるかな」
晴も同じように街灯を見上げながら答えれば、サトルは満足そうに笑った。
「……お前には、迷惑掛けたな」
ぽつりとそう呟けば、サトルは一瞬目を丸くした。そして、すぐに顔を元に戻して、
「迷惑なんて思ってない。友達が友達のことを思いやるのは当たり前だろう?」
「俺には当てはまらんな」
「お前は口ではそう言うけど、しっかり相手を思いやれてるから安心しろ」
バシン、と背中を叩かれて、晴は「いてぇ」と顔をしかめる。
そんな晴にサトルは「鍛え足りないな」とカラカラと笑った。
顔をしかめる晴に、サトルは憑き物が取れたような吐息をこぼすと、
「これで、俺も安心して前に進めるかな」
「手のかかる友達で悪かったな」
「自覚はあるんだな」
「ないと言えば嘘になる」
「そこ正直なのはこっちも複雑なんだけど……」
まあいいか、とサトルは腰に手を置いて、
「晴、これからも頑張れよ――小説も、奥さんのことも」
「――――」
突き付けられた拳。それには、期待と願いが込められているように感じた。
彼が、晴の書く小説に嫌悪感を抱いていたことは知っている。始まりは応援してくれたサトルは、晴が一度壊れたことをきっかけに小説についての話をしなくなった。
けれど、長い時を経て、サトルはもう一度晴に期待してくれた。
――それは、いつかの日を想起させる誓いで。
だからその想いに、晴は口許を綻ばせて、友の期待を受け取る。
「あぁ、向けられた期待には応えるのが俺だからな」
「にしし。流石は【稀代の天才作家】ハル先生だな」
「恥ずかしいからそのあだ名やめろ。俺はただの執筆ばかだよ」
突き付けられた拳に自分の拳をぶつければ、二人は高校時代に戻ったように笑みを交わした――。
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