第2章 【 新妻爆誕!! (6月編) 】
第34話 『 夫婦になる最初の試練は親って相場が決まってるのよ 』
役所に婚姻届けを提出する前に、晴と美月には避けては通れない関門があった。
「久しぶりね、晴くん」
「はい。お久しぶりです――華さん」
弾んだ声音とは対照的に、晴の声音は普段よりも緊張が垣間見える。それもそのはず。
晴の眼前には、美月の母親――瀬戸華がいるのだから。そして、晴は今、美月の実家にお邪魔にしている。
瀬戸家にお邪魔した理由は、正式に美月を妻として迎える為に来たからだ。
「晴さん、緊張し過ぎですよ」
「いやそれはそうだろ。男が人生で緊張する瞬間ベスト一位に立ち会ってるんだから」
「何言ってるんですか、もう」
隣で苦笑する美月には、是非とも晴の立場になってほしかった。これから婚約者の母親に大事な挨拶をしなければならないのだ。脇汗が尋常じゃない。
「あらあら~。二人でなにこそこそ話してるの?」
「い、いえ」
もう晴の胸中などとっくにお見通しであるはずの華がわざとらしく聞いてきて、晴は頬を引きつる。
今すぐ、ここから逃げ出したい。晴は人前に立つのが嫌いだが、これならば壇上に立ってる方がマシだと思える。正直、生きてる心地がしない。ついこの間入院したが、その時よりもしない。華の圧が尋常じゃない。
ここに父親がいないだけでもマシか――そう感じた瞬間。晴は即座に雑念を振り払った。
それは美月にも、華にも失礼な感情だ。事情がなんであれ、この緊張は他の婚約者たちと何ら変わらない。
「(そろそろ覚悟決めるか)」
隣では既に、美月が覚悟を決めている。ならば、晴も美月を見習わなければなるまい。
晴は小さく、そして深く息を吸って、呼吸を整えると、
「華さん。今日は華さんに大事なお話があって参りました」
「あら、改まって何かしら?」
背筋をピンと立たせれば、自然と真剣な顔つきになる。そんな晴の顔を見て、華も砕けた雰囲気を引っ込めた。
大人の真剣な空気に、美月が気圧されたように息を飲むのを一瞥して、晴は真っ直ぐな瞳で告げた。
「美月さんと、正式に結婚させてください」
深く頭を下げれば、美月も一拍遅れて「お願いします」と頭を下げた。
数秒、あるいは数分とも錯覚するような沈黙の時間。ただ心臓が張り裂けそうな音だけが鼓膜を震わせて、手に汗が握られる。
ごくり、と生唾を飲み込めば、華の声が聞こえた。
「二人とも、顔を上げなさい」
華の指示通り、晴と美月は顔を上げる。
ゆっくりと華の顔を見れば、真剣な眼差しが向けられていて、
「晴くん」
「――はい」
静かな声音で名前を呼ばれて、晴は毅然とした声音で返事した。
「まず、美月の母親としてちゃんと確認したいことがあるの。貴方は本当に、美月を愛してる?」
その問いかけに、晴はすぐには返答できなかった。
数秒。思考を纏めると、晴は美月と過ごした一カ月を述懐しながら胸の内を吐露した。
「愛しているかそうではないか、と言われれば、自分はまだ答えを出せません」
「――――」
晴の答えは、華へ己が美月に抱く感情を素直に言葉にする事だった。
「一緒に過ごして、一緒にご飯を食べたりして、美月さんとは大切な思い出を重ねられたと思います。好き、という感情はありますが、愛している、とまでは至っていません」
「……そう」
愛していると、口で言うには簡単だ。でも、それは薄っぺらな気持ちで言ってはいけないと知っているから、だから嘘は吐かない。
それでも、
「けど自分は、隣にいるのが美月じゃないとダメなんです」
「――っ」
その言葉に息を飲んだのは、美月だった。
「美月が作ってくれるご飯が美味しいから、美月以外のご飯だと物足りなくなりました。美月がいつも家事をしてくれるから、自分は仕事に集中できます。美月が俺の体調を気遣ってくれるから、俺の生活がまともになりました。美月が俺の隣にいてくれると分かってるから――いつか愛せると思います」
それが、晴が華に送れるありったけの美月に対する気持ちだった。
羅列した言葉はどれも本音だ。嘘偽りなどない。美月がいなければ、晴は死ぬと思う。慎にも見捨てられてるし。
だから、
「晴さ……っ」
椅子から腰を浮かし、床に膝をつく。晴がしようとした事を美月が察して慌てて止めようとするも、晴は構わず続けた。
膝をつき、手を置き、華に頭を向ければ、そのまま土下座した。
「俺はこれからも、美月さんと一緒にいたいです。いえ、一緒にいさせてください」
静かに、けれど覚悟を宿した懇願。人生で初めての土下座は、妻にしたい人の為にした。
男の決意。それを真正面から受けた母親は――
「顔を上げて、晴くん」
穏やかな声音に促されるまま、晴はゆっくりと顔を上げる。
真剣な顔つきが柔和になると、華は晴への返事を後にして美月に視線を移した。
「美月はどうなの?」
母親の問いかけに、美月も真剣な目つきを向けて、
「私も晴さんと一緒に暮らしていきたい」
「貴方はまだ学生なのよ。それがどういう意味か、ちゃんと分かってる?」
真っ当な懸念だ。けれど、美月は凛然とした顔で答えた。
「うん。分かってるよ。母さんが心配してる理由も分かる。それでも、晴さんを支えられるのは私だから。……ううん、晴さんを支えていくのは、私がいいの」
「――――」
晴と同じ熱量を以て答えた美月に、華は紫紺の瞳を伏せた。
数秒かけて、ゆったりと開かれた瞳は、諦観のような、感服のような感情を宿して。
ふぅ、と息を吐けば、
「分かったわ。二人の結婚を認めます」
「――っ‼」
華がそう告げた瞬間、美月の瞳が大きく揺れる。
「本当にいいの⁉」
まだ母の答えを疑っている美月がテーブルを乗り出して問いかければ、華は「えぇ」と肩を落とした。
「晴くんが貴方を好きだって気持ちはちゃんと伝わったし、いつも聞き分けが良い美月がこれだけは譲らないんですもの。なら、親としてはもう認めるしかないでしょ」
降参、といった方が近い感情で晴と美月の結婚を承諾した華に、晴は頭が上がらない。
「華さん、本当にありがとうございます」
「いいわよ。そんなに畏まらないで頂戴、晴くん」
いつまでもそうしてないで椅子に着いて、と促されて、晴は震える脚をどうにか立たせて席に着いた。それと同時、安堵の吐息が零れる。
そんな晴を見つめながら、華は頬に手を置くと、
「そもそも、二人が結婚するっていうのは最初から知っていた訳だし、その為に同棲させた訳だしねぇ」
神妙な空気を砕いた華が、くすくすと笑う。
そんな華に美月は視線を鋭くすると、
「お母さん、もしかして、私たちを試したの?」
「あはは。バレたか」
コツン、と自分の頭を叩く華がちろりと舌を出した。
そんな母の威圧から美月がどっと脱力すれば、テーブルに顔を埋める。
「もうっ、それだったら最初から変に引っ張らずに頷いてくれればよかったのに」
「夫婦になる最初の試練は親って相場が決まってるのよ。あ、晴くん、ここ小説に使っていいからねっ」
「参考にさせていただきます」
ウィンクした華に、晴は苦笑。
それから、晴は華に黒瞳を向けると、
「華さん、もう一度だけ確認させてください」
「うん?」
「美月を貰っても、いいんですよね」
それはただの確認ではなかった。夫となる者として、そして大人としての大切な確認だった。
美月はまだ高校生で、さらにはまだ十六歳だ。親元を離れるというにはあまりに早すぎるし、華としても、美月ともっと一緒にいたいはずだ。
その胸中を知る為にも問いかければ、華はふ、と微笑みを浮かべて、
「もちろんよ。私の大切な愛娘を、晴くんにあげるわ」
肯定してくれた華に、晴は「分かりました」と強く頷く。
「美月さんは、俺が責任を持って一生大切にします」
「うん。一生大切にしてちょうだい」
その微笑が美月そっくりで、晴は苦笑をこぼした。
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