第33話・Ep 『 私たちは夫婦なんですから 』
「んあぁぁ。やっと家に帰れる」
二週間ぶりの外の空気を肺一杯に取り込めば、晴は温かな陽気に背を伸ばした。
無事退院を迎えた晴に、隣で付き添ってくれている美月が呆れた風に嘆息していた。
「そんな清々しい顔しないでください」
「なんでだよ」
美月の言葉に不服気に眉根を寄せれば、美月は「だって」と前置きして、
「入院中。こそこそと執筆していたのは誰ですか?」
ジロリと厳しい視線を送ってきた美月に、晴はバツが悪くなると子どもみたく言い訳を始めた。
「仕方ないだろ。検査以外は暇ですることがなかったんだ。そうなると、俺のやることは必然と候補が絞られる。読書か執筆だ」
「なんでそこに休むという選択肢がないんですか」
「書いてないと手が鈍るんだよ。それに、お前が見舞いに来てる時はちゃんと休んでただろうが」
「それはつまり、私が来るまでは執筆してたってことですよね?」
「医者と看護師が来るときも休んでた」
病院のベッドでも存外執筆は捗るもので、新鮮な気持ちも相まってスラスラと手が進んだ。ただ大怪我を負って入院中の患者にも関わらず仕事をしている所を目撃されると絶対に医者たちから仕事道具を没収されると思ったので、扉が開いて白衣が見えた瞬間に忍者の如く勢いでパソコンを隠し、しっかり休養しているアピールをしていた。おかげで、スリリングな二週間を過ごす羽目になった。
他にも担当者が見舞いに来た時も隠していたが、慎が来た時には別に隠す必要もないと思って執筆を続けていると『なんでこんな時まで書いてるんだよ⁉』と大いに呆れられたが。
自分は本当に小説を書いてないと死ぬんだな、と改めて実感していると、美月は何度目かのため息を吐いた。
「はぁ……ホント、貴方という人は」
「呆れるな。俺がこういう奴だって分かってるだろ」
「それはそうですけど……体よりも頭の方をちゃんと診てもらうべきだったかもしれませんね」
「脳の検査もしっかり受けてる。異常はなかった」
「じゃあ晴さんの執筆病はもう二度と治りませんね」
諦観を悟り、美月が肩を落とす。
それから、美月は紫紺の瞳を細めて晴の顔を見つめると、
「晴さんは本当に、どうしようもない人です」
「自覚してる」
呆れながらも微笑みを魅せる美月に、晴はそう自嘲した。
「今日も家に帰ったらすぐ執筆ですか?」
「あぁ――と言いたいところだが……」
途中で言葉を区切れば、美月が訝し気に眉尻を下げる。
気になる、と顔に書いてある美月に晴はぽん、と頭に手を置くと、
「結婚するんだろ。なら今から準備しないとな」
「――ッ‼」
晴の言葉に、美月が紫紺の瞳を大きく開けた。
美月と結婚しようと約束したから、その約束を形にしなければいけない。その為に、晴は二週間、入院中にも関わらず執筆していたのだ。まあ、半分はただ原稿を進めたかっただけだが。
早く続きが書きたい、そんな欲求に駆られてはいるが、暫くは美月の事で手が一杯になりそうだった。
それでもいいと思えたから、晴は口許をほんのり緩くする。
その小さな笑みに、美月も穏やかに微笑んで、
「そうですね。結婚準備、しましょう」
美月が伸ばした手を、晴は握り返す。きゅっ、と弱く、でもお互いの温もりを確かめ合えば、二人はゆっくりと陽の差す方へ歩き出した。
「……久しぶりに手を繋いだから違和感が凄い」
「はぁ……せっかくいい雰囲気だったのに台無しです。晴さんは雰囲気をぶち壊す天才ですか?」
「そんな天才願い下げだわ」
「じゃあなんでそんな苦虫噛んだみたいな顔するんですか。そこは嬉しそうな顔をしてくださいよ」
「女子高生と手を繋いでるなんて犯罪臭が凄いんだよ。警察がいたら職質されるかもしれない」
「今日は制服じゃないから大丈夫ですよ。それに……」
「それに?」
「私たちは夫婦なんですから。だから大丈夫です」
「ふはっ……根拠がねぇな。でも、そうだな」
夫婦になるから、夫婦だから、きっと大丈夫だと思った。
ふふ、と微笑む美月に、晴は苦笑をこぼす。
陽の光を浴びながら、心地の良い風を受けながら、今日も晴と美月は一緒に歩んでいくのだった――。
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