第120話 『 その分、ちゃーんとお世話してあげますので
なぜか、その日の夜は人肌が恋しかった。
「美月。今日一緒に寝てくれないか?」
「……っ⁉」
就寝前の美月に懇願すれば、口を開けたまま目をぱちぱちさせていた。
「今日一緒に寝てくれ」
「聞き間違いじゃなかった⁉」
美月が目を白黒させて、明らかに困惑していた。
「え、え……どういう意味ですか。あ、もしかしてそういうお願いで……」
「違う。普通に一緒に寝て欲しい」
「余計驚きなんですけど⁉」
夫婦の営みのお誘いではなく、ただの共寝だと言えば、美月がより一層困惑を深めた。
「どうしたんですか、貴方が私と一緒に寝たいだなんて」
この懇願が珍しいのは晴自身も理解している。
「気分……でもなさそうですね」
「お前と一緒に寝たいと思った」
「こうも素直になられると不気味ですねぇ」
「じゃあいいや。おやすみ」
「嘘です嘘です! 一緒に寝ましょう!」
拗ねた風に部屋に向かおうとすれば、美月が慌てて晴を止めた。
「初めからそう頷いてくれ」
やれやれと吐息しながら、晴は美月と一緒に寝ることになった。
△▼△▼△▼
「そういえば、こうして何もなく一緒に寝るのは初めてか」
「そうですよ。だから驚いてるんです」
それから寝支度も整えて、二人は同じベッドに向かい合っていた。
先の言葉通り、事後では共寝が当たり前だったが、こうやって何もない日に共寝するのは初めてだった。
「本当にどういう風の吹き回しですか? 一緒に寝たい、なんて」
「人肌が恋しくてな」
珍しい、と目を丸くする美月。
「お前と一緒に寝る日は、なんでか知らんがよく寝れるんだ」
「そうだったんですね。もしかして、一人で寝る日はよく寝れないんですか?」
「どうだろうか。最近はおそくても二時には寝てるし、朝も目覚めはいいと思うが……」
ただ、意識が落ちるまで時間が掛かってしまうのだ。
「一人で寝ると、どうしても自分の世界に入ってしまってうまく寝付けないんだ」
「自分の世界?」
眉根を寄せる美月に、晴は自分が眠りにつくまでの時間を明かした。
「もう癖になってしまったからなんだろうが、俺は意識が落ちるまでの間、色んな事を考えてるみたいなんだ」
「例えばどんな事ですか?」
「今更聞くか?」
失笑を向ければ、美月は「小説のことですね」と苦笑して答えた。
「そうだ。目を瞑ってから、意識が落ちるまで脳が勝手に小説を作ってしまう」
「それは、大変ですね」
美月が頬を硬くした。
睡眠とは、その日に酷使した体と脳を回復させるための行為だ。しかし、晴は小説を書き始めてから無意識に物語を書き綴ってしまう癖ができてしまった。それは睡眠の時にも働いてしまい、結果睡眠への弊害になってしまった。
「だから、生活リズムが整っても目の下の隈が消えないんですね」
美月が晴の目元を触れながら言って、その通りだと頷く。
「お前と寝ると、小説のことを考えずに寝れるんだよ」
「嬉しいですけど、晴さんは小説の為ならそれくらい我慢する人では?」
「睡眠は別だ。ちゃんと寝たい」
小説家たるもの頭は常に正常に働かせるものだ。その基盤となるのが睡眠で、それが疎かになってしまうと全力を発揮できなくなってしまう。
「そうですか。なら、私でよければいつでも一緒に寝て上げますよ」
「助かる」
「なんなら毎日一緒に寝てもいいですけど?」
「それは困る。やっぱり頭で小説を整理する時間も欲しい」
そう答えれば、美月は「ワガママな人」と口許を緩めた。
「それじゃあ、定期的に一緒に寝ますか?」
「お前がいいなら俺は構わない」
「私は貴方と毎日一緒に寝たいと思ってますよ」
「仲良しかよ」
「仲良しじゃないですか」
そうかな、と小首を傾げれば、美月に頬を抓まれた。
「私たち、夫婦仲はいいです」
「仲が良い夫婦は頬を抓まらい」
上手く発音できずに舌足らずになれば、美月がくすくすと笑う。
「可愛い人」
「男にかわいら求めへんな。あといい加減放せ」
はいはい、と美月は名残惜しそうに手を離した。
むぅ、と頬を膨らませていると、おもむろに美月が抱き寄せてきて、
「私が貴方に安寧を与えられているかは分かりませんけど、それでも、こうして少しでも安らかに眠ってくれるなら、私はいつでも貴方と一緒に寝ますよ」
優しく頭を抱きしめられれば、その温もりに甘えたくなってしまう。
「俺年上なんだけど……これだと年下感がすごいな」
「貴方は年上ですが、やっぱり世話の焼ける大きな子どもって感じです」
「言ったなこの野郎」
美月の言葉は正論なのでバツが悪くなる。
胸の中で口を尖らせていれば、ふふ、と穏やかな笑い声が聞こえてきて。
「たくさん甘えていいですよ。晴さん」
「あんまり甘えるのもどうかと思うけどな」
「好きなだけ私に絆されてください。その分、ちゃーんと貴方をお世話してあげますので」
そう言われると本当に絆されてしまいそうだ。
既に美月がいない生活を考えられなくなっているのに、これでは年上としての面子が保てない。
精一杯抵抗しようとするも、それすらも美月は愛しげに絡み取った。
「貴方は何も気にせず、私に支えられてください」
「そうか。なら、お言葉に甘えるとするかな」
胸の中で微笑を浮かべて、晴は妻には敵わないと思い知らされて深い眠りにつくのだった。
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