第267話 『 キスくらいはしたかったので、つい 』
「そういえば。ねぇ、晴さん」
「なんだ?」
引き続きリビングにて美月の頭を撫でていると、彼女に名前を呼ばれた。
「その……しないんですか?」
「? 何を?」
主語のない問いかけに疑問符を浮かべれば、美月はよそよそしい素振りをみせる。
「だからその……約束、してたじゃないですか」
約束。約束、と二回呟いて、
「あぁ、もしかして、遊園地に行く約束のことか。そんなに行きたかったのか」
「いえそっちではなく。遊園地も楽しみですけど、それよりほら、もっと身近に、それこそ今夜する約束してたじゃないですか」
美月の言葉に、晴はさらに眉根を寄せる。
美月の表情になんだか焦りと頬の朱みが浮かんでいくのを見つめながら記憶を辿れば、一つだけそれらしき約束を思い出したが、
「今夜する、ってやつ?か」
意図的に主語を隠して呟けば、美月が無言のまま、恥じらいをみせながらこくりと頷く。
その沈黙の肯定で、美月が言いたいことがようやく分かった。
「……晴さん。楽しみにしてたでしょう」
「人聞きの悪いこと言うな。まぁ、楽しみかそうじゃないかと言われれば前者だが」
ほら、と美月がジト目を向けてくる。
なんとなくバツが悪くなりながら、晴は咳払いして言った。
「俺はいいけど、お前はいいのか?」
「晴さんがしたいなら。ずっと我慢させてましたし」
美月が文化祭で多忙を極めていたという事もあり、しばらく夫婦の営みというものを遠慮していた。できなくはなかったのだが、やはり美月に無理はさせたくないという思慮が強かった。
そんな美月もようやく文化祭が終わり、明日、明後日と休みな訳だ。アルバイトはあるとはいえ、比較的時間はあるほうだろう。
けれど、
「そういう気分なら俺は遠慮せず抱く。けど、今はそんな気分じゃないんだろ?」
「――っ」
そう指摘すれば、美月は露骨にたじろいだ。
今日は楽しかった思い出もあれば、悲しかった思い出があった日でもあるのだ。美月としては、後者のほうが根強く記憶に残っているはずだ。
だから、
「俺は無理矢理お前を抱こうとは思ってないし、ただ一方を満足させるためにするのは俺の趣味じゃない。どうせするなら、お前にも満足してほしいからな」
「傷ついた私を慰めるという解釈もあるのでは?」
「そんなことしなくても、お前なら頭撫でるとかハグするとか、こうしてくっ付いてるだけでも慰めになるだろ」
美月が嫌がるような行為はしたくないし、無理にしても犯すようで後味が悪い。
晴だって男だから性欲はあるが、それはいくらでも我慢できるものだ。
「無理しなくていい。お前の気持ちに整理ができたら、その時改めて誘ってくれ」
「……気持ちの整理」
晴の言葉を、美月は小さな声音で復唱する。
それから、美月は弱々しく、けれど優し気な微笑を浮かべた。
「そうですね。今は、気持ちの整理をさせてください。まだ、正直全部を飲み込めた訳ではないんです」
「おう。好きなだけして、自分なりに納得のいく答えを出せ」
はい、と美月が小さく頷く。
「(ま、俺も俺で、感情の整理が必要だったからいい機会だな)」
内心では晴もそういう気分ではなかったので、正直ホッとしている。もしかしたら、美月を抱いているうちにどうでもよくなる思惟なのかもしれないが、出来れば悶々とするこの感情に答えを出したかった。そうすればあの人の為にも、小説の為にもなる気がしたから。
そんなことを思案していると、不意に唇に柔らかな感触が当たった。
「――んっ」
何事かと思って目を瞬かせれば、いつの間にか眼前には美月の顔があった。
キスされたのだと遅れて気づくと、今度はその動機に無理解が生じた。
「エッチはまだ……でも、キスくらいはしたかったので、つい」
恥じらいながら答えた美月に、晴は苦笑したあと、そっと朱い頬に手を添えた。
「それは、俺からもしていいやつか?」
「したいなら、お好きに。でも、一回だけですよ」
「そこは何回でもいいだろ」
「ダメ。一回だけ」
意地悪いに言った美月に、晴はむぅ、と口を尖らせる。
それから、諦観した風に息を吐くと、
「じゃ、その一回を味わうとするかな」
「ふふ。たーんと味わってくださいね」
淡く微笑んだあと、美月はゆっくりと目を閉じた。
晴も少しずつ顔を近づけて、瞼を閉じていく。
ほんの数秒の暗い世界は、すぐに熱を灯して、
「「――んっ」」
晴と美月は一度きりの口づけを、深く交わしたのだった。
――――――――――――
【あとがき】
そんな訳で晴と美月のエチチ回はもう少し先です。読者様は楽しみにしててください。お預けした分。エクスプロージョンした内容になってます。ムフフ。ムフフ。
あ、そして第6章はエチチ回多めです。だって第5章なかったから。今から書くのが楽しみにだなぁ。
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