第268話 『 今日頑張ったご褒美くれますか? 』


 今日は文化祭の振り替え休日なのだが、美月にはアルバイトがある。


「お疲れ様でしたー」


 十一時から十七時までのシフトも終わり、マスターや他の従業員に挨拶してからお店を出ると、見慣れた人物が視界に入った。


「あれ、晴さん」

「おう。お疲れ」


 ポチポチとスマホをいじながら手を上げた晴に、美月は目を瞬かせる。


 そんな美月に晴は無言のまま歩み寄ると、肩にかけていたバッグを奪ってしまった。


「迎えにきた」


 と淡泊に答えた晴に、美月は「また連絡なしに」と嘆息する。


「迎えにきてくれるならメールの一つ送ってはどうです?」

「どうせ迎えに行くのに、いちいちメール送るのも面倒だ」


 二度手間、とバッサリ切り捨てる晴。

 そんな晴に、美月はむぅ、と頬を膨らませながら呟いた。


「貴方が迎えに来てくれるって分かってるなら私のモチベーションも少し違ってくるのに」

「ならそういう時は迎えに来てくれるかそうでないかというドキドキ感を楽しんでくれ」

「それで来なかったら落ち込むんですけど」


 我ながらに面倒な性格だなぁ、とは思う。


 けれど、晴が迎えに来てくれると分かると、それだけで今日の仕事を頑張れるのだ。


 少しずつ家に向かいながら、夫婦はそんな会話を交わす。


「俺も気分で迎えに行くかそうでないか決めてるからな」

「でも、今日は文化祭の後で疲れてるかもと思って来てくれたんでしょう?」


 と挑発的な視線を送りながら問えば、晴は照れもなく肯定した。


「まぁな。お前、多忙極めてたし。昨日はゆっくりしてたとはいえ、結局家事は全部やってもらったからな」

「もう。心配性なんですから」


 けれど、その気遣いが堪らなく嬉しい。


「晴さんて、実は物凄く過保護じゃないですか?」


 と言えば、晴はそうかな、と首を傾げる。


「過保護と言われたことはないな。慎からも「お前はもう少し人に優しくどうだ」と言われてるし」

「貴方はもう少し友人を大切にしたほうがいいですよ」


 晴は慎と美月とでは対応の差が天と地ほどある。アメとムチと言えば少しは聞こえがいいかもしれないが、アメよりもムチを振るう比率が圧倒的だ。


 いたたまれない晴の友人に苦笑しつつ、


「でも、私の体調を私以上に気遣ってくれてません?」

「それはあれだ。お前が人並以上にハードな生活を送ってるからだ」


 そうだろうか、と小首を傾げる。 


「お前はもう少し、自分がどれほど頑張ってるか自覚しろ」


 どこかの奥さんにそっくりな口調で咎める晴に、美月は複雑な表情を浮かべる。


「けれど全部、好きでやってることですし」

「好き=いくらでも働ける訳じゃない。定期的に休むのは大事だろうが」

「貴方が言いますかそれ」


 と指摘すれば、露骨に視線を逸らす執筆おばかさん。


 俺のことはいい、と美月にとってはどうでもよくないが無理矢理議題を逸らされて、


「お前が忙しくしているのを見ていると、いつか倒れるんじゃないかと俺がハラハラさせられる」

「でも、貴方家事できないでしょう」


 正論で返せば、晴がうぐっ、とうめく。


「だ、だとしてもだ。俺はお前に無理して倒れられるのは勘弁だ。お前が倒れて入院なんかしてみろ。ドミノが如く俺が倒れ、エクレアが倒れるぞ」

「どんだけ脆いんですか貴方」


 晴だって美月と出会う前は一人暮らしをしていたのだから、最低基準とはいえ日常生活は送れていたはずだ。


 それなのに、今では美月がいないと生活ができないと豪語するダメっぷりである。


「できなくはない。が、お前がいつも清潔に保ってくれているクオリティを維持できないんだ」

「家事ができないことをとことん棚上げしますね貴方」


 苦笑のあと、大仰にため息を吐く。

 それから、美月は少し恥じらいをみせながら答えた。


「私が一生懸命頑張れるのは、貴方からご褒美をもらえるからって知ってますか?」

「……そんなご褒美あげてないが」


 そっぽを向いた晴に、美月は小悪魔な笑みを浮かべて詰め寄った。


「嘘はいけませんねぇ。私が頑張ったり、疲れていたり、おねだりすると貴方はいつも私のお願いを聞いてくれるじゃないですか」

「夫の務めだからしてるだけだ」

「その務めが、私にとってはご褒美だって知ってましたか?」


 知らなかった、と晴は相変わらずそっぽ向いたまま答える。


「今日も、アルバイト頑張りました。迎えに来てくれるのも嬉しいですけど」


 そこで一旦区切ると、晴が視線だけを向けた。

 その黒瞳を真っ直ぐに見つめながら、美月は甘えた声でお願いする。


「家に帰ったら夕飯を作って、一緒に食べて……その後は、今日頑張ったご褒美くれますか?」

「いいぞ。いくらでもくれてやる」


 美月の懇願から逃げるようにまた視線を逸らした晴は、ぎこちなく肯定した。

 それに小さなガッツポーズをすると、晴が重いため息を落としながら呟いた。


「お前が忙しくても倒れない理由が分かった気がする」

「ふふ。分かってくれましたか。私がどうして頑張れるのか」


 晴が傍にいてくれるから、美月は頑張れるのだ。

 それを理解した晴は、無言で美月の手を握ってくると、


「お前はやっぱり、強かな女だな」

「そこに可愛いも足しておいてください」


 分かったよ、と晴は面倒くさそうに頷いた。

 そんな他愛もない会話をしながら、二人は帰路に着く。


「ふふ。晴さんからのご褒美。今夜は何やってもらおうかなー」

「できれば刺激の強くないやつで頼む」

「ふふ。そう言われると何故でしょうか。刺激の強いやつをお願いしたくなっちゃいますね」

「この小悪魔め」

「ふふ。でも、そこが好きなんでしょう?」


 そう意地悪に問えば、晴は珍しく「どうだろうな」と誤魔化したのだった。

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