番外編 【 冬真とミケ 】

番外編: 『 返品交換は利かないっすよ 』


 金城冬真には〝人生の最推し〟と呼べる相手がいる。


 その相手の名前は【黒猫のミケ】。勿論、本名ではなくペンネームである。


 彼女はヲタク業界では知らない人はいないというほどの大人気イラストレーターだ。秋葉原では彼女の描いたイラストが大々的にお店に張られていたり、イラスト業界の第一線で活躍する約100名を集めた祭典中の祭典、絵師100人展に出展していたり、ミケが開く個人展も多くの萌えブタたちを集めて彼女の世界に引き込む。


 そんな全ヲタクが崇拝すべき神のような人物と冬真は、約半年ほど前に不思議な縁で繋がった。


 そこからさらに偶然と偶然が重なり、全ヲタクが嫉妬で血涙するほど羨ましい彼女のアシスタントを務めることになり、そこから更になんやかんやあって〝恋人〟になった。


 そのなんやかんやは説明すると長くなるので割愛するが、兎にも角にも、そんな自分の最推しと恋人となった。……恋人に、なれてしまった。


 これは、そんな金城冬真という元ボッチで根暗ヲタク。加えて童貞の高校生が、超有名イラストレーターのミケと付き合い始めて、童貞を卒業するまでのお話である。


***


 それはお互いにゆっくりと恋人として進んでいこうと決めた日のこと。


「……でもあれっすね。私たち、もうデートっぽいこともしちゃってるし、こうして冬真くんはほぼ毎日私の家に入り浸ってるから、なんかドキドキ感がないっすね」

「えぇ、僕はまだミケ先生と恋人になれた事実にドキドキしてますよ」


 同じ部屋で、こうして手を繋いでるだけで既に冬真の心臓はばくばくだった。

 細くて冷たい指が自分の緊張で震える手に絡んできて、それが心地よくもこそばゆい。


「まぁ、そう言わるとそうですね。最近は自分の家よりもミケさんの家で過ごす時間の方が多い気がします」

「にゃはは。休日はリビングで勉強してますもんね」

「い、嫌でしたか⁉」

「そんな訳ないじゃないっすか。むしろ私としては嬉しいくらいっすよ。冬真くんが家にいるおかげで、お腹空いたらすぐにご飯準備してもらえるから」

「あはは。できるだけミケ先生には作り立ての美味しいご飯を食べて欲しいと思って。それで、もしかしたら家に長居してるのかもしれません」

「いっそ同棲しちゃいます?」

「~~っ⁉」


 にしし、と悪戯な笑みを浮かべながらそんな提案をされて、冬真は思わず顔を真っ赤にする。


「そ、それは流石にお母さんに許されないと思います」

「にゃはは。それは残念。冬真くんが家にずっと居てくれれば家事しなくて楽ちんだと思ったんすけどねぇ」

「あれ? なんか僕、ミケ先生にいいように使われてる?」


 恋人として居てほしい、というより家事をやってくれるという理由で同棲を求められた気がした。


 眉根を寄せる冬真に、ミケは「そんなことないっすよ」とケラケラ笑った。


「でも! ミケ先生がお望みとあらば僕は家政婦だって掃除屋にでもなりますよ!」

「相変わらず私に従順っすね冬真くんは」

「当然ですよっ。だって僕はミケ先生のカレシ兼アシスタントなんですから!」

「アシスタント=言う事全部聞くにはならないと思うっすよ?」


 恋人となっても冬真の立場は以前と変わらず、ミケのアシスタントのまま。今後の方針の中で決まったことで、それは誰にも譲りたくないし、譲れない立場だった。


 ずっと、愛すべき、尊敬すべき人を傍で支えていきたい。


 ずっと、なんてのは流石に気色悪いと思われるかもしれないけど、それでも冬真は本気だった。


 それくらい、ミケのことが好きだった。


 これからも、ミケが全力で好きな絵を描けるように、全力で支えていく。


「冬真くんはまだ高校生なんすし、好きなことやればいいと思うんすけどねぇ。なんかないんすか、将来やりたいこと」

「やりたいこと、ですか……」

「そうっすよ。例えば、ゲーム実況者とか、ユーチューバ―とか、あ、ラノベ作家なんてのもいいんじゃないっすか?」

「前半も後半も僕にはハードル高いものだらけじゃないですか」


 ゲームの腕前なんて自慢できるものでもないし、動画クリエイターになれるほど話術が優れている訳でもない。作家は、冬真は書くよりも読む方が好きだ。


「将来とか、これといってやりたいことないんですよね。ミケ先生に尽くせればそれでいいと思ってるんで」

「それだと私が罪悪感湧いちゃうじゃないっすか。キミの将来の可能性を潰しちゃってる気がして申し訳ないっす」

「人生の推しの恋人になれた時点で僕の人生の幸運ラックスキルは使い果たしてると思うので、これから先運に頼ることも難しそうです」

「猶更申し訳ないっす⁉」


 将来のことを鬱になる、と冬真はため息を吐く。


「でもまぁ、まだ卒業まで一年以上もあるんですし、ゆっくり考えていけばいいんじゃないっすかね」

「その間にも答えが出ずいつの間にか高校卒業してたらどうしよう」

「いやそれは流石にないと思うっすけど……でも大丈夫っすよ!」

「? 何が大丈夫なんです?」


 ミケの言葉に、はて、と小首を傾げれば、彼女は薄い胸をトンと叩きながら堂々と答えた。


「冬真くんが卒業して就職も進学もうまくいかずにニートになったら、私が養ってあげるんで!」

「推しに養われるとか男としてのプライドズタズタ過ぎる⁉」


 満面の笑みで答えたミケに、冬真は顔面蒼白で叫ぶ。


「? なんでそんな嫌な顔してるんすか。いいじゃないっすか。私は日頃から冬真くんにお世話されてるので、そのお返しっすよ」

「いやいや! 僕のはこれが仕事ですから! ミケ先生が言ってるそれとは真逆もいいところですよ!」

「あぁ、お金のことなら安心してくださいっす。ちゃんとお小遣いあげますから。でもパチンコとかギャンブルで溶かすのはちょっと止めて欲しいっすね」

「なんで僕をクズ男キャラにしようとしてるんですか⁉ 仮にもしそうなったとしても、バイトなり何なりしますから! ミケ先生の負担になるようなことはしません!」

「にゃはは。冗談っすよ。冬真くんしっかり者だし、なんやかんや言ってもちゃんと将来は自分で決めると思うっすから、心配なんてしてないっす」

「もう~。揶揄わないでくださいよっ」


 なんだかどっと疲れた気がする。


 深くため息を吐けば、そんな様子をミケに笑われた。


 それに気恥ずかしそうに頬を朱に染めて視線を逸らせば、穏やかで心地のいい、けれどその中に確かな好奇心を宿した声音が独りごちるように言った。


「……でも私としては、卒業したら専業主婦になってくれる、なんてのは真面目にありなんすけどね」

「――ぇ?」


 目を瞬かせながら振り向けば、そこには少し恥じらいをみせてそわそわしてるミケの姿があった。


 その顔を見た瞬間、心臓がドクン、と跳ね上がる。


「私とてはありっすよ。冬真くんが、私に〝永久就職〟するの」

「そ、それはまだ、き、気が早すぎるのでは?」

「そ、それはそうっすけど、でも、冬真くん言ったすよね。私をずっと傍で支えるって。私、言質取ったし、確認もしったすよ。こんな自堕落な女でもいいっすか、って」


 確かに確認されたし、それに頷いたことも覚えてる。

 ずっと支えるとも、確かに言った。


 でもそれは、冬真としては『アシスタントでいる限り』だった。


 でもミケは、冬真の言葉を額面通り『ずっと支える』として受け取っていた。それはつまり、生涯ずっと支えていく、という意味で。


 ……それはまるで、プロポーズではないか⁉


「あれっ⁉ なんか僕の知らない間に、ミケ先生との関係が進展されてる⁉」


 現状が恋人であることに変わりはないが、そこに冬真が自覚していない間に前置詞が付けられていた。――婚約者、という前置詞が。


「うえっ、うえええ⁉ 僕、ミケ先生と結婚を前提に付き合ってるんですか⁉」

「やっぱり嫌っすよね。こんな自堕落で絵のことしか頭にない女とそういう関係になるって」

「嫌じゃないですよ!」

「じゃこれからもよろしくお願いしますっす」

「軽い⁉ あれ、まさか僕、ミケ先生に嵌められた⁉」

「? 私はまだ冬真くんにハメられてないっすよ」

「意味が違う⁉ そういうハメるじゃない⁉」


 ミケに終始調子を狂わされて、ぐががあ、と奇声を上げながら後頭部を掻きむしる。


「いったいどこから僕は間違ってたんだ? ミケ先生と恋人になるどころか、結婚とか、いくらなんでも畏れ多すぎる⁉」 


 必死に記憶を掘り返しても、どこで選択肢を誤ったか分からなかった。それも当然だろう、どの選択肢も毎回頭を真っ白にしてほぼ勢いだけで選んできたのだから、大事な部分が全部ぶっ飛んでしまっている。唯一記憶に残っているのは、告白してミケからオッケーをもらった記憶くらいだ。


 そうやって阿鼻叫喚としていると、不意に不気味な笑い声と白くて華奢な手が頬に触れる感触が襲った。


 ビクッ、と震えながら顔をミケに向ければ、彼女はなんとも可愛らしく、そして小悪魔な笑みを浮かべていて。


「もう、返品交換は利かないっすよ。冬真くんが付き合った女は、自由気ままなで、絵を描くしか取り柄がなくて……そして、冬真くんのことが大好きな女なんすから」

「――――」


 にしし、と白い歯をみせながら笑う黒猫。そんな黒猫に、冬真の心臓ハートは見事に射抜かれてしまう。


 こんな可愛い恋人ができた幸せと、そんな恋人に大好きと言われた衝撃で、既に頭は思考停止しそうなほど感情が渋滞していた。


 それでもたった一つ。これだけははっきりと断言できて。


「(か、可愛すぎるんですけどミケ先生ぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!)」


 人生の最推しが魅せた照れ顔が、尊死してしまうほどに可愛かった。


 そんな訳で、冬真とミケは婚約者としてこれから過ごしていくのだった。


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