番外編 『 付き合ってるのでこれは合法っすからね 』


 学校の後はミケの自宅へと足を運ぶのがもはや日課になってしまって、それは本日も例外なく実行された。


 扉の前に立って一応はインターホンを鳴らして来訪を告げるも、当然のように扉越しに足音が向かってくることはない。


 それもこの半年を通して慣れた事なので、冬真はミケから渡されている合鍵を鞄から取り出して鍵を解く。


 一応説明しておくと、冬真がミケの自宅の合鍵を持っているのはアシスタントという業務に就いているのと、ミケ本人から『わざわざ迎えに行くのもめんどうっす。合鍵渡すんで、勝手に入ってきてください』と言われたからだ。どうせ一人しかアシスタントいないんだから渡しても弊害なんておきやしない、というのがミケの見解である。


 冬真も性別上はれっきとした男なのでその点で問題があるのでは? と疑問は尽きないものの、本人にそんな度胸がないので、結局何ら問題はなかった。


「ミケ先生、来ましたよ」


 扉を開けてから一応部屋全体に響くように声を上げるのが通例になっていた。

 大抵はそれにもミケは無反応なのだが、稀に反応する場合もある。


「あ、今日も来たんすね」


 今日は稀のほうだった。

 靴を脱いで部屋に上がって、声のした方へ足を進めていく。


「お帰りっす。今日も学校お疲れ様っす」


 とリビングに着くとパジャマ姿でくつろぐ黒猫――ではなく、ミケが微笑みを浮かべて出迎えてくれた。


 天使やぁ、と頬を垂らしながら冬真は腰を下ろした。


「その様子だと、今日は休みでしたか?」

「いえ、ちょっとだけ案件のイラスト進めたっす。ただ、お医者さんからしばらく絶対安静と言われてるんで、三時間ほど描いて今日はもう描かないことにしたっす」

「それでも三時間は描くんですね」


 一月の中旬に体調不良で倒れて病院に搬送されたミケ。つい昨日退院して、医者からも家族からもしばらくは休養するように念押しされたはずだが、やはり描かなければ落ち着かないらしい。


 冬真としても無理強いはさせたくないものの、こうして意識して休んでくれるだけでも及第点かと思ってしまうのが甘やかしている証拠なのだろう。


「冬真くんだって知ってるでしょ。絵は毎日描いてないと手が訛るんすよ」

「知ってますよ。だから入院中もこっそりラフ描いてたの見逃してあげたんじゃないですか」

「その節は本当に助かりました。お医者さんかおばあちゃんにバレたら即ノート没収されてたっすから」


 ミケという人物は絵を描いていないと死んでしまう生き物なので、入院中でも絵を描きたい欲求を抑えられなかった。なので、仕方なく冬真が病室でミケを監視していたわけだ。


「それで、今は何してたんですか?」

「暇すぎてソシャゲやってました」


 と机に置かれたスマホの画面を見せてくるミケ。


「でもそれにも飽きてきたっす」と寝転がるミケ。


 絵を存分に描けないことがストレスなのか、少しだけご機嫌斜めに見えた。

 まぁ、無茶して倒れたので完全に自業自得なのだが。


「冬真くんが来たことだし、ちょっとだけラフ描いてもいいっすか?」

「ダメですよ。何の為の休養だと思ってるんですか」

「うぅ、いつもは私に甘い冬真くんが今回は厳しいっす」

「泣いてもダメなものはダメです。ミケ先生の体調が万全になるまで、無理はさせませんから」


 と言うと、ミケは寝転がったままじだばたとし始めた。


「四日も入院した間に体は既に全回復したっす! 私の体は絵を描くことを求めてる! 逆に描かない方がストレスっすよ!」

「……絵が描けないストレスで幼児退行してる」


 文句を垂らすミケが癇癪を起した子どもみたく暴れて、そんな様子を冬真は呆れながら見守る。


 やがて癇癪起こしも疲れたのか、その場でごろごろし始めたミケ。


「はぁ。暇っす。冬真くんが来たから話し相手ができて多少マシになったっすけど、今日来てくれなかったら暇すぎて死んでたかもしれないっす」

「それじゃあ明日も来ますよ」


 何食わぬ顔で言えば、ミケは「いやいや」と体を起こしながら苦笑を浮かべた。


「冬真くんは明日も学校があるじゃないっすか。学生に無理はさせられないっす」

「無理というほどでもないですし、お母さんもミケ先生の家にいるの知ってるから問題ないですよ」

「それなら安心……とは言えないっすねぇ。なにせ冬真くんはまだ未成年。それに引き換え私は成人女性。今までは仕事上の関係だったから問題なかったっすけど、今は問題ある気がしますし」

「そういう線引きはちゃんとしてるんですね」

「なんすかその意外とでも言いたげな目は。私だってちゃんとした大人なんすからねっ」


 ふん、とドヤ顔で言うも説得力がなかった。


 しかし、ミケが大人として冬真との立場を考えているのは本当に意外だった。てっきり恋人になったからもっと家に居て! もっとお世話して! とでもお願いされると思ったが、そこはしっかり自制しているようだ。


 冬真としては、恋人になったからミケにはもっと甘えて欲しい、と思っているのが、それは年下としては生意気なのか。


「倒れたから私も学んだっす。これまでは冬真くんに甘え過ぎていた。私も大人なら、少しはちゃんとするべきだ、と」

「ミケ先生は全世界のヲタクの為に素晴らしい絵を描いてくれてるんですから、もっと僕を頼っていいんですよ」

「だめっすよ冬真くん! 私をこれ以上甘えさせたら、何をするにも冬真くん頼りになる本当のダメ女が完成しちゃうっす!」


 ぶるぶると顔を振って、冬真の提案を拒否するミケ。


「少なくとも生活リズムは整えて、ちゃんと栄養のあるものを食べて毎日健康でいようと思うっす! ……部屋の掃除はお願いしたいっすけど」

「心配しなくとも部屋の掃除はちゃんとやりますし、栄養のあるものだって食べさせますよ」

「くぅ! こんな至れり尽くせりのカレシが欲しかったっす! ……じゃない! 気を抜くと冬真くんの甘やかしに便乗してしまう⁉」


 この子末恐ろしい⁉ と何故か怯えるミケに冬真は不思議そうに小首を傾げる。


「料理もできて恋人思いで優しいとか……なんすかキミは。本当に高校生っすか」

「料理もできてミケ先生ラブですけど、何の特技も才能もない一般高校生ですよ」

「才能なんかなくても冬真くんは素敵な人っすよ。本当に私のカレシなのが信じられないくらいっす」

「僕もミケ先生のカレシって事実が未だに信じられてないです」


 冬真は憧れが強すぎて。

 ミケは劣等感が強すぎて。


 お互いがお互いの感情が尾を引いていて、未だに恋人という実感が湧いていなかった。


「……私、冬真くんのカノジョっすよね?」

「……僕、ミケ先生のカレシ、なんですよね?」


 恋人同士のはずだが、なんだか急に不安になって確認しあう二人。


 二人がどうにもぎこちないないのは、恋人になってから日が浅いことも関係しているのだろう。しかし、そこには付き合いの長さも関係している気がした。


 イラストレーターとアシスタントという関係が根深いせいで、どこか恋人としての距離感が定まらない。


 これが学生同士なら、放課後の帰り道に手を繋いで帰ったりして距離間を把握できたりするのかもしれないが、生憎ミケは成人してしまっている。


 それに加えてミケは今まで人生=カレシ無しだったから、余計に恋人としての距離感が掴めていなかった。


 何か距離を縮められる方法がないかと互いに模索するも、そもそも二人とも恋愛弱者で付き合った経験なんて一度もないから妙案など思いつくはずもなかった。


「……とりあえず、今日はもう絵描かないっすし、親睦会でもします?」

「そうですね。でもその前に、夕食の支度していいですか」

「お願いしますっす」


 いつもありがとう、と頭を下げるミケに、冬真はこの関係の前途多難さを思い知ったのだった。


 ***


「ね、冬真くん。今日は夕飯食べていくんすか?」


 夕飯の支度をしている最中、キッチンにひょっこりと現れたミケが問いかけてきた。


「いや、普通に帰りますよ」

「え~、せっかくだから食べて帰ればいいじゃないっすか」


 いつも料理させて帰らせるの申し訳ないんす、と申し訳なさそうに言いながら歩み寄ってくるミケ。


「ちなみに今日はなんすか?」

「…………」

「? 冬真くん?」


 数センチまで距離を詰めたミケが、包丁を止めた冬真に不思議そうに小首を傾げた。


「……今日は、肉じゃがにしようかなって」

「やったー。お肉は多めでお願いしますっす!」

「あはは。本当にミケ先生はお肉が好きですね」

「肉は正義っすから!」


 子どものように喜ぶミケを視界の端で見届けながら、冬真はぎこちない手振りで野菜を切る。


「……あの、ミケ先生」

「ん? なんすか?」

「その、ちょっとあの、距離が近くないですか」


 夕飯のメニューを聞いてもリビングに戻ろうとせず、調理している冬真の隣にいるミケ。


 そんなミケの事が気になって仕方がなかった。


「嫌っすか?」

「嫌というわけじゃ……ただ少し、いつもと様子が違うなと思って」


 なんだかいつになく距離が近い気がするし、それに調理中の冬真の様子を観に来るのも珍しかった。いつもは大抵自室にいるかリビングでごろごろしているのに、今日は妙だ。


「深い意味はないっすよ。そういえば私、冬真くんが調理してるところ間近で見た事ないな、と思って、それでちょうどいい機会だから観察しようと思って。エプロン姿もいい資料になるっすし」

「写真撮るのだけは勘弁してください」

「じゃあ脳内フォルダに保存しておくっす」


 そう言って、ミケは借りてきた猫のように静かに調理中の冬真を見つめていた。


 視線が気になってうまく集中できずに作業していると、おもむろにミケが呟いた。


「私、ずっと憧れたんすよ。こうして誰かにご飯作ってもらうの」

「――ぇ?」

「あ、勘違いしないで欲しいんすけど、ちゃんと子どもの頃は親の作ったご飯食べてましたよ。ただ、大人になるとご飯作ってくれる人っていなくて……私、高校卒業と同時に一人暮らし始めて、それからずっと自炊はしなくてコンビニ弁当だったんで、こうやって誰かにご飯作ってもらうの憧れたんす。アニメとか、漫画とかでラブコメ観てると余計にそういうのが羨ましいなって感じないっすか?」

「あぁ、ありますね。この子たちは学校でこんなにもイチャイチャしているのに、自分はぼっちで何をしてるんだろう、って」

「ね、虚しくなるっすよね」


 そうですね、と頷いて、お互いに微苦笑を交わし合う。

 それからミケは慈しむように双眸を細めて、


「だから、こうして冬真くんにご飯作ってもらってる今がすごく嬉しんす。まぁ、冬真くんとしては、カノジョの手料理をご所望かもしれないっすけど」

「それは勿論憧れはしますけど、でも僕はミケさんが美味しいご飯を食べて喜んでる顔を見てる方が嬉しいです」

「本当にキミは……そういうところが大好きっす」


 好き、と伝えられて、冬真は思わず照れくさくなってしまった。


 好きな相手にハッキリと好意を伝えられるいうのは、想像以上に嬉しいものだった。


 そんな気持ちにお返しできる方法は冬真にはまだないから、だから冬真は料理を頑張る。


 これからは、これまで以上に。ミケに美味しいと喜んでもらえるように。


「――ちょっとこっち向いて、冬真くん」

「はい?」


 茹だってきた鍋に丁度野菜を入れたところで、不意にミケにそう促された。


 促されて、振り向いた直後――


「――いつもありがとうっす」

「――んっ⁉」


 直後、ミケの顔がすぐ傍まで近づいていて、そして唇に何か柔らかいものが当たった。


 咄嗟のことで硬直する冬真の開かれた瞳の中で、頬を朱に染めた女性だけが映った。


「付き合ってるのでこれは合法っすからね。これまでの感謝と、私の冬真くんに対する気持ちと、その他ETCを含めた分を乗せておいたっす」

「…………」

「そ、それじゃあ! 私は今から夕飯ができるまでラフ描いてるんで! じゃ、じゃあ!」


 顔を真っ赤にするミケ。のべつ幕なしに言って、そのまま逃げるようにリビングに消えた。


 そんな様子を驚愕と茫然の狭間に立ちながら聞いていた冬真は、顔を真っ赤にしながらあの時唇に触れた何かを必死に思い出そうとしていた。


「い、今のって、まさか……キス?」


 言葉にすると、先の一瞬が少しずつ鮮明に蘇っていく。


 揺れる黒瞳。何かを決意したような小さく、けれど力強く踏み込んだ一歩。その先で、ミケの小さくて可愛い顔と、薄紅色の唇が冬真のカサカサな唇に押し付けてきた。


 それはあまりに唐突で、それはあまりに突拍子もなくて、それはあまりに嬉しすぎるサプライズで、


「……み、ミケ先生とキスしてしまった⁉」


 その事実に、冬真は言い知れない感動と、そしてあまりの急展開さに悶絶した。


 気まぐれな黒猫は、なんとも大胆に恋人との距離を縮めて、あまつさえ少年のファーストキスをかっさらっていったのだった。

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