第230話 『 私じゃ、だめ? 』


「なぁ、金城って好きな人いるの?」

「……それ、授業中に話す内容なの?」


 黒板にチョークが叩かれる音が木霊する教室で、千鶴は冬真にそんな質問した。


 たしかに冬真の言う通りなのだが、他に二人きりになれる時間なんてものはないのでこんな状況でしか恋バナができないのだ。


 二人で帰ることになる、なんてなれば美月と可憐が邪推しそうだし。


「いいいじゃん。今暇だから」

「暇じゃないよ。僕、真剣に授業受けてるので」

「露骨に逃げんなよ~」

「あうっ」


 小悪魔めいた笑みを浮かべながら、シャーペンで腕を突けば可愛らしい悲鳴が聞こえてくる。


 どうにか話を繋ごうとちょっかいを出すも、冬真はそれを無視して前を向く。


「むぅ」


 拗ねた風に頬を膨らませて、千鶴は「あっ」と妙案を思いついた。


「ねね、金城」

「なに?」

「はいこれ。これなら先生にもバレないでしょ」


 そう言った千鶴に冬真は視線を下げると、重いため息を吐いた。

 千鶴の妙案。それはノートで会話をすることだった。


『金城、好きな人いる?』それとウサギのイラストも添えて。

「千鶴さん。絵描くの上手だね」

「今はそんなことどうでもいいんだよっ」

「あうっ」


 また露骨に話題を変えようとする冬真に、千鶴はシャーペンで腕を突く。


 こういうの青春っぽいなぁ、と思わずにやけてしまうと、やがて諦観した冬真がノートの端っこでペンを動かし始めた。


「はい」

「どれどれ」


 千鶴の質問の回答。冬真の字で『いないよ』と書かれていた。

 嘘だ、と心の中で嘲笑しながら、千鶴はまたペンを走らせる。


「ん」

「はぁ」


 す、とノートを移動させれば、それに付き合う冬真が肩を落とす。


『本当にぃ?』

『本当だよ』


 淡泊な文字の応酬。なのに、不思議と心地よい。


『てか金城、今までカノジョとかいた経験あるの?』

『あるわけないでしょ。死刑宣告かなにかですか』

『そっか~。実は私も』


 反応が気になって顔を覗けば、冬真は目を見開いていた。


『そうなんだ。意外だね』

『あはは。皆からよく言われるよ』

『千鶴さん、素敵な人なのにね』

「そういうこと書くなっ」

「ひぐっ⁉」


 顔が真っ赤になって、恥ずかしくなって思いっ切り机の下の足を蹴りつけた。

 授業中だから必死に声を抑えるも、堪え切れなかった分が変な声としてこぼれた。


『僕、何か悪いことした⁉』

『したね‼』

『え、まったく心当たりがないんだけど……』


 鈍感野郎には教えない、と千鶴はそっぽを向いた。とりあえず、怒った顔は描いておこう。


 そんなやり取りが数分続くと、千鶴は遂に本題に触れた。


 息が、わずかに乱れる。


『ミケ先生は?』


 それを書いたノートを渡して、ちらっと顔を見れば、冬真が息を飲んだのが分かった。


 冬真は数秒眉間に皺を寄せたあと、すらすらとノートに返事を書き始めた。


『好きだけど、好きじゃないよ』


 それはどういう意味だろう、と眉根を寄せる。

 そんな千鶴に、冬真はさらに続けて手を動かした。


『僕はミケ先生のことはイラストレーターとしては大好きだけど、人としては好きじゃない』

「――――」


 なぜか、その答えに心がざわつく。

 冬真の文章の意味は理解できた。それ故に、千鶴は逡巡した。


『でも、あんなに仲良さそうだったじゃん』


 心の葛藤を文章に起こせば、冬真が淡々と返してくる。


『僕とミケ先生の関係は、仲のいいイラストレーターとアシスタントだよ』


 その文章からはまるで、それ以上もそれ以下もないでも言いたげに感じた。


 さっきまでの楽しい空気は一変、ミケのことに触れた瞬間から、冬真の顔から笑みが消えた。


 それがどうしてなのかは、千鶴には分からなかった。


 そんな千鶴に、冬真はぽつりと小さな声音で呟いた。


「……あの人は、雲の上の存在だから」

「――あ」


 その酷薄な笑みに、千鶴の心が揺れる。それと同時、可憐の言葉が脳裏に過った。


 ――『案外勝てるかもよ。幻想ではなく、現実をみせてやればいいんだし』


 その言葉が、冬真の今の顔を見て、胸に響く。


 ミケは、神様みたいな人だ。


 多くの人を魅了させる才能を持つ、自分たちみたいな〝凡人〟とは違う世界の存在。


 冬真は、それを自覚している。


 ねぇ。


 なら。


 金城。


「私じゃ、ダメ?」

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