第91話 『 ラブコメ作家恐ろしい。平然と甘い台詞吐いてくる 』
夕飯の買い出しは、すっかり二人で行くようになった。
「今日は何が食べたいですか?」
「毎度思うけど、なんでお前は俺のご要望のものを作れんの?」
スーパーのカゴを持ちながら疑問をぶつければ、主婦こと美月は「大袈裟ですよ」と平然と返した。
「全部作れる訳じゃありませんよ」
「でも俺がこの場でアレが食べたいっていえば大抵は作れるよな」
「それは修練の賜物というやつです」
澄ました顔も、少しだけ自尊心がみえた。
晴と生活を始めるから家事をこなしてきた美月。その料理の腕はプロといっても遜色ないほどに練達している。そこに加えて真心が籠っているので、なんだかいつも無償で食べているのも申し訳なく思えた。
「お前の料理は家庭を越えてる気がする」
「もう。褒めても何も出ませんよ。今晩は豪勢なものにしましょうね」
「がっつり浮かれてんじゃねえか」
「貴方に褒められると気分が舞い上がっちゃうんです。なので、しっかり責任取ってくださいね」
責任転嫁の度合いが凄絶だが、それで美味しいご飯が食べられるなら褒めるに尽きる。
そして、ふとある疑問が生まれた。
「お前っていつから料理やり出したんだ?」
小さい頃から美月が料理をこなしていたのは既知しているが、きっかけは知らなかった。
そんな晴の質問に美月はふむ、と顎に手を置いて思案すると、
「たしか……小学四年生の頃から、ですかね」
「すげぇな」
驚くと、美月は料理に興味を持ち始めたきっかけを教えてくれた。
「晴さんはもう、私の家族のことは知ってますよね」
「知ってる」
問いかけに静かに応じれば、晴は意識的に視線を野菜に落とした。
美月の事情に無遠慮に踏み込む気はないから、晴は美月と華――瀬戸家の事情には足を踏み入れないようにしている。
自分が救われたから、晴も美月の過去を受け入れる覚悟はあった。旦那だし。
「そんなに身構えなくていいですよ」
「……そうか」
硬直していた頬を見た美月が、苦笑交じりにそう言った。
美月を一瞥してから硬直した頬を弛緩させれば、晴は自然と肩の力が抜けた。
「晴さんが思っている以上に些細なきっかけなので、むしろ期待するだけ損させるかもしれません」
「なんでもいいさ。お前のことを知れるなら」
「この場でそれは反則ですっ」
「なんで照れた」
「今のは不意打ちにも程がありますって!」
赤くした顔を覆う美月に呆れると、周囲の奥様方から熱い視線を受けた。気まずい。
早々に美月を平常に戻させつつ、晴は話の先を促す。
「ほれ、さっさと教えろ」
せっかちさん、と美月は頬を膨らませてから教えてくれた。
「私が料理を始めたきっかけは、家庭科の授業で調理実習でした」
「うわ懐かしい」
晴にとっては随分と前の経験だ。
思わず声が漏れると、美月はくすっ、と笑いながら続けた。
「調理実習で初めて自分の料理を食べた時、凄く感動したんです。自分でもこんなに美味しいものが作れるんだって」
「…………」
「あの時に、私はお母さんにご飯を作ってあげたいと思うようになったんです」
いつも仕事の合間を縫って自分の為にご飯を用意してくれた母。そんな母に少しでも楽になってもらいたくて、それで家でも料理を始めたらしい。
「初めは失敗ばかりでしたよ。分量を間違えたり自分の指を切ったり……大変でしたけど、でもすごく楽しかったんです」
初めから全て成功する者などこの世には存在しない。皆、間違えを繰り返しながら成長していく。物事の結果は、その過程を楽しめるか否かの産物だ。
晴にとってそれは小説で。
美月にとってそれは料理だった。
「少しずつ作れる料理が出来て。それを喜んでくれた人がいて。今はそれがないと困ると言ってくれる人がいてくれて」
晴の方に振り返る美月は、なんとも慈愛に満ちていた笑みを向けていて。
「料理ができるようになってて良かったです」
「そうか」
その微笑みが、無性に愛しく思えるから。
気づけば美月の手を握り締めていて、柄にでもない台詞を吐いてしまった。
「いつも俺の為に美味しい料理を作ってくれてありがとうな」
「――っ‼」
胸裏に思う気持ちを吐露すれば、美月は目を瞬いて、それからボフンッ、と爆発した。
「殺し文句が過ぎます!」
「べつに普段思ってる感謝の気持ちを伝えただけだ」
当たり前のように言えば、美月は茹でた蛸みたく真っ赤にした顔を抑えながらうめいていた。
「うぅ~。親愛度マックスの晴さん怖い」
「どこが怖いんだ」
「私を褒め殺しにするところですよ!」
「そのつもりはないんだが……」
「貴方はもう少し、女心というものを勉強してください!」
久しぶりに訊いた美月のそんな説教に、晴は辟易としてしまった。
げんなりとしていると、美月はぶつぶつと何かを呟いていた。
「ラブコメ作家恐ろしい。平然と甘い台詞を吐いてくるっ」
「お前が気にするならもう少し発言控える努力をするが……」
「それは嫌です」
「お前ホントめんどくせぇな!」
やめて欲しいと望んだり、やっぱり続けて欲しいと要求したり。
要求がころころ変わる妻に、旦那はほとほと困り果てるのだった。
「晴さんが平然と私を褒め殺しにかかるのが悪いんです! 全面的に!」
「だから控えると言ってるんだ」
「それだと親愛度が低下しちゃうじゃないですか!」
「知るかそんなもん。そもそもなんだ親愛度って。なんのギャルゲーだ」
「私視点だと乙女ゲーです。晴さんを落とす私専用のゲーム」
「人をゲームキャラにすんな」
「貴方を攻略したいと思うのはきっと全世界の女性の中で私だけでしょうねぇ」
「お前以外は眼中にないわ」
「はうっ! ほらそういうところです」
「今のはお前がちょろいだけだろっ」
喧嘩のように見えてひたすらにイチャイチャする夫婦を、主婦たちはなんとも温かい目で見守っていたそう。
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