第139話 『 構って欲しいですにゃん 』


「おい、また無言でくっ付いてどうしたんだよ」

「浮気者は黙っててください」


 夜。珍しく晴の部屋に入って来た美月は、ベッドに座れと有無を言わさぬ圧で指示してきた。

 美月の指示通りに従えば、美月は扉をロックして無言の圧を放ちながら晴に跨って抱きついて来た。


「辛辣だな。べつに浮気した覚えはないが」

「猫としてました」

「じゃあ浮気じゃないだろ」


 頬を膨らませながら美月がいじけた風に言う。

 まあ、美月が拗ねるのも無理はないか、と納得はできた。

 というのも、リビングにいると必ずエクレアが〝構って〟と晴に擦り寄って来るのだ。

 晴も飼ったばかりのエクレアを無下にするのはどうかと思って、ついつい構ってしまった訳なのだが、そのせいで美月は晴の隣に居る時間が減ってしまった。


「はぁ、お前もすっかり甘えたがりな奴になってしまって」

「貴方がそうさせたんです。責任を取ってください」

「その覚えは全くないけどな」

「無自覚なのは悪い所ですねぇ」


 耳元で美月がくすくすと笑う。

 晴はやらやれと嘆息して、


「どうすればいい?」


 尋ねれば、美月は「それじゃあ」と前置きして、


「頭を撫でてください」

「ほれ」

「ふあぁぁ」


 催促された通り頭を撫でれば、美月はエクレアのように撫で声をあげた。

 大きな猫に苦笑して、晴は美月の頭を撫で続ける。


「どうですか? エクレアと私、どっちが撫で心地良いですか?」


 エクレア、と答えたら引っ掛かれそうな気配がした。


「……お前」

「一瞬だけ答えるのに迷いましたね」


 うぐ、とうめけば、美月は拗ねた時にする要求をしてくる。


「罰として今日は一緒に寝てください」

「それは構わんが、扉のロックはするなよ?」

「それだとエクレアが入ってくる可能性があるでしょう。夫婦の時間は誰にも邪魔させませんよ」

「猫に嫉妬すんな」

「猫といえどエクレアは女の子です。そして、今は私の敵です」


 なんのだよ、と胸の中でツッコまずにはいられない。

 家族なんだから仲良くしてほしいものだな、と思うが、これはもうしばらく時間が掛かりそうだと諦観する。


「安心しろよ。俺は浮気なんてしない」

「どの口が言うんですかねぇ。さっきまでエクレアにデレデレだったくせに」


 ツン、とした声音で言う美月。


「なんだヤキモチか?」

「そ、そんなんじゃありません。相手は所詮猫ですし、貴方の一番は絶対に私ですから」


 急に饒舌になったので、どうやら図星らしい。

 めんどくせえ、と思いつつも、意外と素直じゃない所は可愛いなと思ってしまう自分がいて。


「構って欲しいなら素直にそう言えばいいだろ」

「べ、別に構って欲しいとは言ってませんけど」


 最近は素直になってきたなと思ったが、照れや恥じらい、それから妙な対抗心がまた美月を天邪鬼な性格に戻してしまった。


「素直になるのが吉だぞ」

「じゅ、充分素直ですけど……」

「澄ました顔で言っても説得力に欠けるな」


 はぁ、とため息を吐いて、晴は視線を泳がせる美月を睨むと、


「ワガママな俺の奥さん。旦那にして欲しいことはなんですか?」

「――むぅ」 


 そう問いかければ、美月はしばらく頬を膨らませたまま顔を俯かせた。

 やがて、朱く染まった顔を上げると、恥じらうように呟いた。


「貴方に、構って欲しいですにゃん」

「誰も語尾ににゃんを付けろとは言ってないが……まぁ可愛いからよしとするが」

「う、うるさいですっ」


 羞恥心たっぷりに答えた美月がぽこぽこと胸を叩いてくるも、痛くないのでそのままにしておく。

 それから、晴はすっかり甘えたがりになってしまった猫に微笑みをこぼすと、


「じゃあ、何をして欲しいか言ってみてくれ。全部叶えてやる」

「……その表情の晴さん、エッチです」

「? べつにいつもと変わらんと思うが?」


 視線を逸らす美月に眉根を寄せれば、彼女はちらちらと晴を見ながら言う。


「全然違いますよ」

「どんな顔してるんだ?」

「イジワルな顔です」


 ピンとこない。

 小首を傾げる晴に、美月は顔を赤面させながら吐露する。


「いつも無表情ですけど、こういう、私をイジメる時の晴さん、少し口角が上がるんです」

「知らんかった」

「貴方は無意識でしょうね。でも、私には破壊力が凄まじいんです」


 晴も初めて知った癖に、美月は紫紺の瞳を揺らめかせる。


「貴方はもっと、自分がカッコいいという事を自覚するべきです」

「いつも死んだ魚みたいな顔と言ってるのはどこの誰だ」

「たしかにいつも死んだ魚みたいな顔とは言ってますが、そんな顔もカッコいいですよ」

「色々言いたいことはあるが……お前、俺のこと好きすぎだろ」

「べ、べつにそこまで好きじゃありません」

「嘘吐くと碌なことないぞ」


 露骨に視線を逸らした美月にジト目を送れば、彼女は「うぐっ」とうめく。


「素直に言ってみろ。お前は、俺に何をして欲しいか」


 美月が好きな顔で問いかければ、彼女は晴の服を握り締めながら、恥じらいを孕んだ声音で呟いた。


「何でもいいですか?」

「いいぞ。お前が満足するなら俺は何でもしてやる。出来る範囲までで頼むがな」


 美月が喜ぶのなら、その寂しさが埋まるなら、晴は自分の全部を使って埋めなければならない。

 だってそれが、夫としての務めだと思うから。

 そんな覚悟にも似た感情で向き合えば、美月はようやく素直に甘えて来た。


「なら、エクレアとできないことして欲しいです。妻の――私だけの特権を」

「そうだな。たしかに、これはエクレアとは出来ないな」

「えぇ。たっぷり、私も甘やかしてください。それが、夫としての務めですよ」


 それを果たしてください、と紫紺の瞳が訴えてきて、晴は応える。


「いいぞ。お前の気が済むまで甘えさせてやる」

「はい。甘えさせてください、晴さん」


 見つめ合って、数秒後。

 口許に浮かぶ三日月が沈んだ後、甘い吐息と熱い吐息が無音の部屋に木霊した――。

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