第138話 『 ご主人は私のものよ 』

新しく八雲家に家族として迎え入れられたのは、一匹の白い猫だった。

 性別はメス。名前はエクレア。

 獣医曰く生後四カ月ほどらしく、生まれて間もない子猫だ。

 そんなエクレアは、どうやら晴に異様に懐いてるようで、


「ちょっとエクレア! もう少し私にも懐いてくれてもいいんじゃない⁉」

『にゃにゃっ』


 拾い主である美月には中々懐く気配がなかった。


「あんま怖がらせるなよ」

「そうは言っても……この子、晴さんにベッタリし過ぎじゃないですか」

「まぁ、ちょっと甘えたがりな気もしなくはないが」

「気のせいじゃありませんよっ」


 苦笑すれば、美月が眉を吊り上げた。

 拾った時の孫を見るお婆ちゃんのような顔はどこへやら、今の美月は嫉妬に狂う女の顔だった。

 そんな美月に、エクレアは『にゃっ』と挑発的な笑みを浮かべていて。


「エクレア、美月とも仲良くしてくれ」

『にゃぁぁ』

「そんな捨てられた猫みたいな顔するなよ」


 美月にも抱かせてあげようとエクレアを持ち上げれば、金色の瞳が潤んだ。

 ずきりと胸を抉られるような痛みが走って、晴は美月には申し訳ないと思いながらもエクレアを再び己の太ももに座らせた。


『んにゃぁぁ』


 満足そうに鳴くエクレア。


「そっか。ここがお前の定位置なのか」

『んにゃ』

「猫と会話しないでもらえますか⁉」


 喉を撫でれば愛らしく鳴くので、つい甘えさせてしまう。

 なにコイツ可愛い、とすっかりエクレアに夢中になってしまった晴。

 そんな様子を、妻は悔しそうに爪を噛んでいた。


「くっ⁉ 晴さんは私の旦那なのにっ……」

「猫に嫉妬するなよ」

「その子は猫であっても、もはや私のブラックリスト入りですよ!」


 なんのだよ、と胸中でツッコんだ。

 呆れる晴に、美月はエクレアに向かって指を指すと、


「その子晴さんにベッタリじゃないですか⁉ というかなんで会って間もない貴方にこんなに惚れこんでるんですか⁉」

「知るかそんなの。俺がくつろぎ場として最適なだけだろ」

「いいえ。女の勘が言っています! この子は私から晴さんを奪おうとしていると!」

「ソウデスカー」


 暴走する美月に晴はため息をこぼす。

 そして、晴はエクレアを撫でながら美月に言った。


「安心しろ。俺はお前から離れるつもりはない」

「あうっ。今ときめかせるのはズルいです」


 美月が胸を抑えながらうめいた。

 不意打ちに弱い美月が朱く染めた顔を覆っていると、その様子を見ているエクレアは不満げに喉を鳴らした。


『にゃあぁぁぁ』

「うおっ、どうしたエクレア? 急に頭すりすりしてきて」


 困惑すれば、エクレアが上目遣いで鳴く。

 それが、まるで美月に対抗しているようだった。


「はいはい。お前も可愛いぞ」


 愛い奴め、と体を撫でれば、エクレアはご満悦気に鳴いた。

 それからエクレアは美月に顔を向けて、


『にゃっ』

「くっ⁉ 何ですかその顔、まるで私の方が晴さんに相応しいとでも言いたげな⁉」

「考えすぎだろ」


 さっきから女の子同士で火花が散っている。

 晴としては家族になったんだから仲良くしてほしいのだが、どうにもその兆候は見られなかった。

 晴を巡る女の戦いは更に苛烈さを増して。


「いい、エクレア。この人は私の旦那なの。そして貴方のご主人様は私」

『にゃっ』


 エクレアが鼻で笑った。


「なんて腹が立つ! もう少しアナタを拾った私に感謝してもいいでしょ!」

『にゃにゃ、にゃにゃにゃ』


 調子に乗るな、と言っている気がした。


「賢いからか余計に腹立たしい! 猫の言葉なんて分からないのにエクレアの言葉は分かる気がする⁉ 調子に乗るなアバズレ、って言われた気がする⁉」

「気のせいだろ」

「貴方も貴方ですよ! 妙に女慣れしているのが猫にも影響してるじゃないですか!」

「また乱暴な責任転嫁を……」


 ご乱心な美月に嘆息すれば、エクレアもやれやれと言った風に嘆息した。

 仕方ない、と晴は隣の席を叩くと、


「ほれ、お前も座ってエクレアを撫でてみろ。親睦を深めて少しは仲良くしろ」

「むぅ。貴方に窘められるとなんだか複雑な気分になります」


 不服だと言いたげに頬を膨らませる美月だが、晴の言う通りおずおずと隣に座った。

 それから、美月はゆっくりとエクレアに手を伸ばして、


「エクレア。私と仲良くしましょう」

『――――』 


 これまでの醜い争いを止めようと、美月の方から和解の手を差し伸べる。

 そんな白い手に、エクレアも顔を近づけていき――


『にゃにゃっ』


 カプッ、と噛みついた。

 瞬間、美月の頬がぴくぴくと引きずられて、


「きぃぃぃぃ⁉ やっぱりこの子とは仲良くできそうになりありません!」

「そうか……まぁ、猫と人にも相性はあるからな」


 美月の手に出来た綺麗な歯型を見ながら、これは前途多難だな、とため息をこぼした。


『にゃにゃ』


 ご主人は私のものよ、とエクレアが言ったような気がして、晴は苦笑を浮かべるのだった。

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