第194話 『 いい夢を見れますように 』


 晴は、美月が晴の寝顔を堪能したいから早く起きていると思っているが、それは勘違いだ。


「――ん」


 晴と共寝する時はアラームをセットしないが、それでも自然と目は覚めてしまう。


 昨日はうっかり二人で張り切り過ぎてしまったから、目覚めの体には倦怠感が襲ってきた。


 それでももう一度目を瞑ることはできないのは――眼前、目尻に涙を浮かべる晴がいるから。


「(怖い夢……ではないんだろうな)」


 晴はよく、眠っている最中に涙を流す。どうしてか、理由は分からない。


 けれど、そんな晴が何かを求めるように美月を無意識に抱きしめるから、なんとなくではあるが察せる。


 晴はきっと、寂しいのだ。


 赤ん坊が母親に抱かれると安心するように、彼もまた無意識に美月に安寧を求めているのだろう。


 それを子どものようだ、と微笑むことはできない。何故なら、美月は彼の過去を知っているから。


 晴は、小説を書く事と引き換えに家族と絶縁した。


 無論それを望んだのは晴自身だ。だが、その選択を取らざるを得なかったという方が正しいかもしれない。


 晴は親が決めたレールを逸れたから失望され、虐げられ、そして壊された。


 元々、晴はよく笑う人だったらしい。そんな彼を美月は知らない。

 美月が知っている晴は、不愛想で表情の変化も乏しい人。

 それはきっと、心が一度壊れた影響なのだろう。


 心が壊れた人間。という存在が近くにいるわけではないが、それでもそういう人たちの顔はなんとなく分かる。


 そういう人たちは皆、何かに取り憑かれたような顔をしている。

 今の晴の顔は、以前よりはマシに思える。目元の隈は相変わらずだが。


 だから、幼少期に十分な愛情を注がれなかった反動なのか、晴はこうして美月に安寧を求めては、涙を流す。


「――好きなだけ甘えていいですからね」


 晴を甘えさせたい衝動よりも、何か義務的な感情に突き動かされる。


 無意識に美月を求める晴。いつもは逞しいのに今は小さく見える背中を、美月はきゅっと抱きしめた。


 こうして晴が落ち着くのであれば、美月は泣き止むまで抱きしめ続ける。

 優しく、それこそ赤ん坊を抱くように。


「すぅ、すぅ」


 穏やかな寝息が胸元に当たって、ちょっと擽ったい。


「ふふ。本当に子どもみたい」


 年上なのに、寝顔は子どもそのものだった。だから、なのだろう。いつ見ても飽きないし、余計に愛着が湧いてくる。


 ――いつか、貴方が心の底から笑える日が来るといいな。


 晴は己の過去は美月のおかげで清算されたというが、そうでない事はこの涙が如実に語っている。


 だから、美月はそう願うのだ。

 本当の意味で過去に決着がついて、皆から祝福されることを。


 二人の友人たちから。美月の母親である華から――そして、晴の家族からも。

 こうして貴方といる時間が何よりも幸せだから。


「いい夢が見れますように」


 慈愛と希望を乗せて、美月は晴の額に唇を押し付けた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る