第344話 『 涙と本音と約束を 』


 ――ノックをして入れば、すぐに彼女と目が合った。


 それは一瞬だけで、気まずくて視線を逸らしてしまえば、顔もうまく見れないまま彼女の下へと歩み寄っていく。


 カタッ、と音を立てながら椅子に座れば、互いに無言のまま、どう話を切り出せばいいのか分からないまま数分が過ぎた。


「……あの」

「……ええと」


 声を出したタイミング被ってしまって、冬真とミケは同時にたじろぐ。


「ミケ先生から、どうぞ」

「いえ、冬真くんからで……」

「僕は後で大丈夫です」


 だから先にお願いします、と促せば、ミケは「じゃあ」と頬を掻き、


「その、急に倒れたりなんかして、本当にごめんなさい。散々ハル先生からも、冬真くんからも注意されたのに、結局こんなことになってしまって」


 深々と頭を下げるミケに、冬真はギリッと奥歯を噛む。


「……色々と、言いたいことは山ほどあります。――でも、まず先にこれだけは言わせてください」

「――っ‼」


 顔を上げたミケは、驚いたように目を丸くしていた。


 何故か――それは、目の前の冬真が、大粒の涙を流していたからだ。


「生きててくれてッ……本当によがったです! ミケ先生が無事でっ、よがっだぁ!」

「……冬真くん」


 ぼろぼろと、堪え切れずに大粒の涙を流す冬真。


 そんな冬真にミケは一瞬狼狽したが、けれどすぐに手を握ってきて、


「心配かけてごめんね。不安にさせちゃって、ごめんなさい」

「本当にッ、本当に怖がったんですからねぇぇ! 死んじゃったらどうじようって! ずっと怖がったんですよぉぉぉ!」


 涙と、声を裏返しながら叫べば、ミケは何度もごめんと謝った。


「バカな女でごめんなさい。キミを不安にさせてごめんなさい。もう二度と、こんなことないように気を付けるから、だから泣かないで」

「無理でずぅぅぅぅぅっ!」


 手だけでは足りなくて、ミケはどうしようかと悩んだ末、ゆっくりと腕を伸ばすと、泣きじゃくる冬真を抱きしめた。優しく、けれど、強く。


 驚く冬真の耳元に、ミケの声が鼓膜を震わせた。


「ご覧の通り、割と元気っすから」

「でも倒れたじゃないですかぁぁぁぁぁ!」

「ごもっともっす」


 何も言い返せないと苦笑するミケ。


「あぁもう、キミを泣かせたくないのに、不安にさせたくないのに……どうしてこう上手くいかないんだろう」

「ぐすっ……ぐすっ」

「年上のくせに、何もできなくて、キミに迷惑かけてばかりっす」

「ひぐっ……ひぐっ」

「支えてくれることに甘えて、それで自滅する女なんて馬鹿の極みっすよ」


 上手く声が出せない冬真の耳元で、ミケが自分を咎める。


「こんなに大切なアシスタントを泣かせてしまって、どう責任取ればいいのか分からないっす」

「うっ……うっ」


 泣き止んで、そう懇願するように、ミケは両手でぎゅっと冬真を抱きしめる。


「もう絶対、キミにそんな顔させないっす。もう絶対、無茶なことはしないっす。黒猫のミケの名に誓うっす」


 ただのアシスタントに、ミケはそんな固い誓いを立てようとする。


 そこまでしなくてもいいのに、と思う反面、そこまで自分のことを想ってくれる事が嬉しかった。


「こんなバカ猫っすけど、それでも愛想尽かさないでまだ傍にいて欲しいっす。キミがアシスタントじゃなきゃ、私は嫌なんす」

「…………」

「我儘だって分かってるっす。でも、冬真くんがアシスタントじゃなきゃ私は全力で絵で描けないんす。まだ、私を支えてて欲しいっす」


 ぎゅっ、と抱きしめるミケに、冬真は嗚咽を堪えながら答えた。


「ならっ……もう絶対に倒れないでください」

「倒れないっす」

「それと、ちゃんとご飯を食べて、ちゃんと寝てください」

「約束するっす。だから……」

「まだありますっ」

「まだあるんすね」


 少し身構えるミケに、冬真は涙を流しながら続ける。


「愛想なんて一生尽かさないです。ミケ先生は僕の生涯の推しです。僕だけじゃない、他の人たちにとっても、ミケ先生は最高のイラストレーターなんですっ」

「……はい」

「だからもう、苦しい時は一人で抱え込もうとしないでください。頼りないですけど、僕が、僕が絶対、ミケ先生を支えますからっ」

「頼りないだなんて、そんなこと一度も思ったことはないっすよ。キミはずっと、私にとって最高のアシスタントっす」

「ならもっと頼ってくれてもよがったじゃないですかぁぁぁぁぁぁ!」

「にゃはは。また泣かせてしまった」


 情緒が不安定だから、一度引っ込みかけた涙がまた溢れ出してしまった。


 涙を流す冬真の頬を、ミケは袖で拭い続ける。


「やくぞくっ……ちゃんと守ってくださいねっ」

「守ります。だから、傍にいてください」

「ずっと傍にいますっ! もっとアナタの役に立てるように、頑張りますから……だからっ、もう二度と、無茶なんかさせませんッ」

「やっぱりキミは頼りがいのあるアシスタントっす。キミが傍にいてくれないと、私はもっとダメ人間になってしまうっす」

「ミケ先生をダメ人間になんかさせませんっ」



 そう言い切れば、ミケはありがとうと微笑を浮かべた。

 頭に置かれたミケの手。その温もりを感じながら袖で強引に涙を拭えば、


「今度また無茶したら、怒りますからね」 

「全力で怒ってくれて構わないっす」

「ご飯も作ってあげませんからね」

「それだと私、死んじゃうかもしれないんすけど……」

「それだけ僕が怒っているという証拠です」


 強い眦で睨みつければ、ミケは「了解っす」と苦笑。

 それから、冬真はわずかに腰を浮かせば――


「わぷ。……どうしたんすか?」


 徐にミケを抱きしめれば、彼女は戸惑いながら問いかけてきた。


「いいでしょう別に。これくらいは。僕を心配させた事への罰です」

「罰というより、さっき私がした事への仕返しみたいな感じっすけど」

「受け取り方なんてなんでもいいです。ただ、少しだけ、こうさせてください」

「それで冬真くんが落ち着いてくれるなら、なんでもいいっすよ」


 抱きしめる冬真に、ミケはそう言いながら背中に腕を回してきた。


 目を覚ましてくれてよかった、そんな想いを伝えるように強く抱きしめる冬真と、それを優しく受け止めるミケ。


 アシスタントとイラストレーターは、互いに安堵を求めて抱きしめ合うのだった――。

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