第345話 『 甘やかします。僕が黒猫のミケを 』


「ずびー!」

「落ち着いたっすか?」

「あい」


 ミケの前でみっともない姿を見せてしまったと思いながらも、気分は晴れ渡る空のようにすっきりしていた。


 数時間前の葛藤も恐怖も消えて、今は凪のような静かさが胸に広がっていた。


「(今なら、伝えられる気がする)」


 そう思えば途端、心拍数が上がった。けれど、やはりさほど緊張はしていなくて。


「僕、ミケ先生に伝えたいことがあるんです」

「? なんすか?」


 黒瞳を見つめながら言えば、ミケは不思議そうに小首を傾げた。


「ずっと言いたくて、でも言えなくて。僕なんかがアナタにそれを伝えていいのか迷ってたんですけど、でも、今回の件で思い知らされました」

「――――」


 言わなきゃ、伝わらない。


 伝えなきゃ、答えなんて分からない。


 尊敬する小説家に、背中を押してもらったのだから。


 大切な友達に、背中を押してもらったのだから。


 勇気とは違う。覚悟を決めたような眦。それが目の前の大切な人を見つめれば――


「好きです。ミケ先生」

「――――」


 この場で告白するのは場違いかもしれない。


 それでも、今伝えようと思ったのは、このタイミングしかなかったから。


 真っ直ぐな告白に、ミケは声のないまま目だけを大きく見開く。


「……それは、イラストレーターとしてっすか?」

「いいえ。一人の女性として、アナタの事が好きです」


 そう答えれば、黒い瞳が揺れた。


「僕は、無茶するミケ先生をただのアシスタントだからって思って見て見ぬ振りをしてた」


 自分の意気地のなさが招いた結果だ。彼女と同等の立場なら言えたと、そんな言い訳を続けたザマがこれだった。


 そんなのは、もう嫌だ。


 ミケを一人にしたくない。ミケに笑顔でいて欲しい。いつも元気で絵を描き続けて欲しい。


 それがただのアシスタントにはできないなら、アシスタントを辞める。


「体調管理も禄にできないダメ女っすよ?」

「なら僕がミケ先生の体調管理します」

「恋人より、絵を優先してしまうかもしれない女っすよ?」

「ミケ先生の絵を描いてる姿、大好きです」

「……ただでさえお世話されっぱなしなのに、恋人になったら、もっと甘えてしまうかもしれないっすよ?」

「甘えてください。それで、ミケ先生が大好きな絵を描けるなら、僕だって本望ですから」


 彼女が抱える不安を、優しい声で一つ一つ溶かしていく。


 この告白が今日はダメでもいい。ただ、アナタを決して見放さないと、そう伝わればいい。


「アナタが描く絵が、僕は世界一大好きです。カッコいい男キャラも、可愛い女の子キャラも、圧倒されるような背景も」

「――――」

「アナタを世界で一番尊敬しています。アナタの好きなものを、これからもっと知っていきたい。共有していきたい」

「――っ」


 伝えないと。


 自分がどれほど黒猫のミケを尊敬しているか。


 自分がどれほど――ミケさんを好きなのかを。


 握った手。それを振り解かれれば、この告白は失敗。


 冬真のありったけの想いに、ミケはしばらく顔を俯かせたまま、やがてぽつりと呟いた。


「……キミが来る前、ハル先生に言われたんすよ」

「何をですか?」

「さっさと自分に素直になれ、って」


 どういう意味だろう、と小首を傾げれば、ミケは続けた。


「私、ずっと逃げてたんす。自分は絵しか取り柄がないダメ人間だから、キミを不幸にするかもしれないって」

「そ……っ」


 そんなことはない、と言おうとして、けれど続くミケの言葉に声を噤む。


「キミが千鶴ちゃんの告白を断ったって聞いた時、少しだけ安心したんす。まだキミは私の傍にいてくれるんだって。恋人でもないのに、そんな資格ないのに、本当にズルイ女っす」

「――――」


 ただ静かに、ミケの言葉に耳を傾ける。


「気付かない振りして、見ない振りして、ずっと逃げてきたっす。でも、ハル先生に尻ぶっ飛ばされて、キミの泣き顔見て、やっと気づきました」

「――っ!」


 顔を上げたミケ。彼女のその顔は、微笑と一つの涙が伝っていて。


「年上のくせに、年下の男の子にお世話されてる禄でもない女っすけど、いいんすか?」

「――はい」

「ご飯も作れない、掃除もできないズボラな女っすけど、それでもいいんすか?」

「――はい。ご飯も、掃除も僕がやります。ミケ先生は大好きな絵を好きなだけ描いていいですよあ、でもちゃんと休んでくださいね」

「これ以上甘やかさないでください」


 震える声音。それに、朗らかな声音で応じる。


「甘やかします。僕が黒猫のミケを。大好きなイラストレータさんを。大好きなミケさんを」

「胸、小さいっすけど、呆れないでくださいっす」

「そんなことで呆れたりなんてしません」

「付き合って、やっぱ無理別れましょうはなしっすよ」

「僕はずっとミケ先生一筋ですよ」

「本当に、本当に返品対応してないっすからね」

「ミケ先生を手放すつもりありませんよ」


 さっきはミケに涙を拭ってもらったから、今度は冬真がミケの涙を拭う番。


 これまで、一人ぼっちで絵を描き続けていた自由気ままな猫。


 その猫はようやく――


「冬真くん」

「はい。なんでしょうか」

「私も、冬真くんが好きっす。私を、これからも支えて欲しいっす」

「はい。これからも、ずっとミケ先生を支えていきます」


 自由気ままな猫はようやく恋を知り――そして愛情を確かめるように、優しい少年と抱きしめ合うのだった。


「大好きっす、冬真くん」


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