第123話 『 なら私があーんしてあげましょうか? 』
「うまうま」
「ふふ。晴さん、唐揚げ好きですね」
「鶏が好きなんだよな」
「焼き鳥も好きなんですもんね」
「タレの焼き鳥は最高だ」
「私は塩派です」
「塩もいいよな」
「ならどっちも好きじゃないですか」
可笑しそうに美月がふふ、と笑う。
ずっと歩くのも疲れるので、晴と美月は一休憩と足を休めていた。その道中で唐揚げを見かけて、小腹も空いたので買ったのだが、
「お前は買わなくて良かったのか?」
「はい」
と頷いた美月。
「勿体ない。美味いのに」
「じゃあ食べましょうかね」
「そうか、なら買ってこい」
ここで待ってる、と言っても、美月は買いに行く気配はなかった。
眉根を寄せる晴に、美月は前髪を耳に掛けるとおもむろに口を開けた。
「何してんだ?」
「あーん」
小首を傾げる晴に、美月は片目を開けて何か語り掛けていた。
数秒思案して、そして理解する。
「食べさせろってことか」
無言のままこくりと頷く美月。
美月の肯定を受けて、晴は串に唐揚げを一つ刺すと、
「ほれ」
「あむ」
開けた口に放り込めば、美月は何故か不服気だった。
もぐもぐと咀嚼して、数十秒経って唐揚げを飲み込んだ美月がジト目を向けてきた。
「なんで躊躇いも動揺もなく普通にあーんができるんですか?」
「お前がやれって促したから」
淡泊に答えれば、美月はやはり納得がいってないようで、
「知ってました? これ、私が貴方から初めてあーんされた瞬間なんですよ」
「そうか」
「むぅ。少しは照れてもいいのに」
どうやら美月は晴の反応を楽しもうとしたのだが、それは期待外れだ。
「べつにこれくらい誰でも出来るだろ」
「ラブコメ作家と一般人を一緒にしないでください」
「残念ながら往来であーんするシーンは書いてないな」
往来、という単語を聞いた瞬間、美月の顔が遅れて赤くなる。
ようやく自分がどんな大胆なお願いをしたのか理解したらしい。
「見てみろ。周囲が俺たちを見ている」
「な、なんでこんな往来であーんなんかしちゃうんですか⁉」
「責任転嫁にも程があるぞ」
顔を真っ赤にしながら晴の腕を叩いてくる美月。
ぽかぽかと叩く美月にされるがまま、晴はため息をこぼした。
「俺の中で何かがすり減った気がする」
動揺はないが、向けられる好奇な視線に虚無感を味わった。
「家に帰ったらお仕置きだな」
「えー⁉ 私のせいですか⁉」
「当たり前だろ」
「晴さんにも非はあると思います!」
実行したのは晴だが、提案してきたのは美月だ。どちらかが戦犯なら、先にこんな提案をした美月だと思う。
そんな夫婦喧嘩を繰り広げていると、
「やーやー、こんな往来の前でイチャイチャするとは、相変わらず熱々な夫婦ですなー」
そんな皮肉たっぷりと不快な笑い声が聞こえてきた。
この親しみのある人間に向けられた言葉だけで誰かは瞬時に理解できて、晴は美月との夫婦喧嘩を中断すると気怠そうに振り返った。
「お前も来てたのか――慎」
「や、晴。久しぶり~」
口を尖らせる晴に、友人――慎は飄々とした笑みを浮かべながら近づいて来た。
「お久ぶりです、ハル先生。それに美月ちゃんも」
「「お久しぶりです」」
そしてもう一人。ひらひらと手を振る慎のカノジョ――詩織に、晴と美月は揃って会釈した。
挨拶も一通り終えると、詩織はニヤニヤと小悪魔のような笑みを浮かべながら揶揄ってきた。
「それにしても、さっき見ちゃいましたよ~。人前であーんするなんて、ハル先生大胆ですね」
「あれくらいで動じはしません」
「流石は天下のラブコメ作家様だ⁉ な、なら私の前でもさっきと同じことできます?」
「俺はべつに……」
「――っ⁉」
詩織の要求にぎこちなく頷くと、晴は美月を見た。頷かなそうだな、と思惟した通り、美月は真っ赤な顔を高速で横に振っていた。
「すいません。ここから先は夫婦のやり取りなので、お見せすることはできないです」
「あはは。そうですね。熱々の夫婦仲に水を差しちゃってごめんなさい」
潔く引き下がってくれた詩織に感謝しつつ、晴はこれまでのやり取りを黙って眺めていた慎に視線を移すと、
「……なんか久しぶりにお前を見た気がするな」
「そうだね。お互い相手のことで忙しいし」
「仕事が忙しいの間違いじゃなくてか? ……いはい。なんでお前ら抓むんら」
「貴方が悪いんです」
「微塵も理解できん」
なぜか頬を膨らませる美月に頬を抓まれた。
そんな様子をゲラゲラと腹を抱えながら笑う慎に腹立たしさを覚えながらも、ふと視線は先程まで晴と美月を揶揄っていた女性に惹かれた。
「今更ですけど。詩織さんも浴衣着てきたんですね」
「そうです! スルーされて内心焦りましたけど、どうですか、ハル先生。私の浴衣は?」
美月に頬を抓まれたままなので、晴はとりあえず似合っていると親指を立てた。
まぁ、詩織の浴衣についてはおそらくカレシである慎がベタ褒めしているはずなので、晴はこのくらいで十分だろう。あまり他の女性を褒めたら妻も嫉妬するだろうし。
ようやく頬が解放されると、赤くなった頬をさする晴に慎が言った。
「というか、お前も美月ちゃんと一緒に花火大会来てたんだな」
「まあな」
「めんどくせぇ、とか言って絶対行かないと思ったのに」
「そ、そんな訳ないだろ」
実際それで二週間前に喧嘩したので、内心冷や汗が止まらなかった。
さらには隣で不穏な笑みを浮かべる美月の圧も相まって、晴は気を取り直すべくコホンッ、と咳払いすると、
「ここで逢ったのも何かの縁だ。一緒に見て回るか?」
ちらっと美月を見れば、無言のままこくりと頷いた。どうやら慎たちと一緒に行動しても不満はないらしい。
そんな晴の質問に、慎と詩織は相談していて。
「どうする、詩織ちゃん。俺は構わないけど」
「うーん。……私、今日は慎くんと一緒に見て回りたいかな」
「だって晴! 残念だけど今回は二人で回ることにするよ! いやマジ、本当にスマン!」
「あっそ。下心丸見えで誠意の籠ってない謝罪はいらんぞ」
顔の前で手を合わせる慎だが、言葉と表情が合っていない。
ニヤニヤと気色悪い笑みを浮かべる慎に呆れた風に嘆息して、晴は「じゃ」と手を振った。
「お前も詩織さんと花火満喫してこいよー」
「……晴の口からそんな言葉が出てくるとは。いやはや、これが愛の力か」
「下らん事言ってないでさっさと行け」
「へいへい。本当に淡泊な人ね貴方は、行きましょ詩織ちゃん!」
「……なんでちょっとオネエ口調なんだよ」
愉快な友人を辟易としながら見送った。
その最中、慎に手を引かれる詩織が唐突に振り返って、こちらに手を振っているのが見えた。
晴に、というより隣に座る女性に対して向けられた気がするそれに、美月はぺこりと頭を下げた。
それがどういう意味なのか皆目見当もつかないが、刹那に見えた詩織のご満悦げな顔を見ればなんとなくその意図が分かった気がして。
「うし。休憩も済んだし、また歩き始めるか」
「はい」
淡く微笑む美月を一瞥して、晴は腰を上げた。
美月も立ち上がって、そして二人でまた屋台の光で照らされる道を歩いていく。
その途中、不意に隣から袖を引っ張られた。
「ねぇねぇ、晴さん」
「なんだ?」
「手は繋いでくれないんですか?」
「まだ唐揚げのカップ持ってるだろ」
「片方空いてるでしょ」
「空いてるが、それだと唐揚げが食べられなくなる」
「なら私があーんしてあげましょうか?」
挑発的に微笑む美月に、晴は思わず失笑してしまう。
「さっきそれで顔を真っ赤にしたのはどこの誰だ」
「だ、誰でしょうかねぇ」
露骨に視線を逸らした美月。その反応につい口許が綻びて、
「お前だよ」
と白い額にデコピンを入れたのだった。
「――あうっ」
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