第143話 『 誰が魔性よ⁉ 本当に癪に障る猫ね⁉ 』
――休日。
「お邪魔しまーす!」
「お邪魔しますっ」
「「いらっしゃい、二人とも」」
本日は金城くんが花嫁修業――ではなく美月先生による調理実習の日。そして、金城ともう一人、彼の雇い主であるミケも晴宅へ遊びに来ていた。
「久々のハル先生のお家っす」
「七月の親睦会以来ですね」
「今日を楽しみにしてたっす!」
わくわく、と言ったように目を爛々と輝かせるミケ。彼女が晴宅へ赴いた理由は、アシスタントの付き添い……ではなく、晴が最近飼い始めた猫の視察だった。
「ミケ先生、来る時からずっとうきうきしてましたよ」
「そりゃ猫ですから!」
「ふふ。ミケ先生、本当に猫好きですよね。時々猫の動画見てるし」
「猫は癒しの権化っす」
リビングに向かう途中、金城とミケの会話を聞けば、以前とは違う空気感に晴は少し感慨深さを覚えた。
「……二人とも、距離が近くなった気がしますね」
「だな」
美月が小声でそう言えば、晴は口許を緩める。
花火大会の時から感じていたが、二人の距離感は少しずつ、確実に縮まっているように見える。まだ金城の方に緊張こそ垣間見えるものの、それも男女の関係には必要なスパイスだろう。
そういうスパイスがないまま過ごしてしまうと晴みたいな妻に毎度呆れられるダメ男が誕生してしまうので、金城には是非とも立派な男性へ成長してほしかった。
これは卑下ではなく俯瞰した自己評価だ、と胸中で自分に言い聞かせていると、いつの間にかリビングに着いていた。
『んにゃ』
「ふおおおお! この子がエクレアちゃんっすね⁉」
丁度カーペットでエクレアがくつろいでいて、鳴き声に反応したミケが勢いよくエクレアをロックオンした。
「は、ハル先生! 触っていいっすか! 触っていいすっか!」
「いいですよ」
「それじゃあ失礼します!」
『にゃにゃ⁉』
興奮しているミケに苦笑交じりに首肯して、鼻息が荒い成人女性が猫に飛びつく一部始終を目撃する。
「初めましてっすエクレアちゃん。私はミケと申します」
『……にゃ、にゃにゃ』
初めて見る人間にエクレアは緊張していた。
ミケも実家で猫を飼っているから猫の性格は熟知しているようで、鼻息こそ荒いもののエクレアとの距離は一定を保っていた。
「そうっすよね。やっぱ初めて見る人間に触られるのは怖いっすよね。大丈夫っすよ、私はキミのご主人の友達っす」
『にゃにゃ』
「にゃるほど。キミはご主人以外に触られるのが苦手な子なんすね」
『にゃ』
「ミケさん、その子のこと分かるんですか?」
驚いたような声音で問いかける美月に、ミケは「はい」とエクレアを見つめながら応えた。
「動物と話せる! なんて特殊能力はないっすけど、少しくらいなら何考えてるかとかは分かるっす」
すご、と晴と美月は揃って感服した。
「この子、どうやら頭が良い子みたいですね。それにプライド高い」
「正解です」
美月が食い気味に肯定した。
「その子、晴さんには懐きますけど、私には全然懐いてくれないんです」
「そりゃそうでしょう。だってエクレアちゃん、ご主人大好き子っすもん」
「俺、エクレアと会ってまだ数週間しか経ってないんですけど……」
「じゃあ一目惚れしちゃった感じっすね」
カラカラと笑うミケの言葉に、エクレアが恥ずかしそうにそっぽを向いた。それが、まるで胸中を見透かされたような仕草に見えて、晴は「マジか」と目を瞬かせる。
そんな晴に、美月は拗ねた風に頬を膨らませて、
「やっぱり女たらし」
「心外だ。誰もたらした覚えはない」
「無自覚ですからね。そうやってあと何人女を落としてきたんですか」
「少なくともお前以外は落とした覚えはない」
嘆息する美月に、晴はそう淡泊に返した。
そんな小さな小競り合いをしていると、いつの間にかミケがエクレアを持ち上げていて、
「この子、美月ちゃんのことは相当敵視してるみたいっすね。ご主人をたぶらかす魔性の女と思ってるみたいっす」
「誰が魔性よ⁉ 本当に癪に障る猫ね⁉」
とエクレアはミケを介して美月に思っていることを告げて、ご満悦気に微笑んだのだった。
▼△▼△▼▼
「初めまして、エクレアちゃん」
『にゃ』
ミケに持ち上げられているエクレアに、金城が遅れて挨拶を交わす。
「わわ、挨拶してもらえました!」
「良かったすね。でもやっぱり警戒はしてるみたいっす」
「キミとも仲良くなれるかなぁ」
『にゃにゃ』
なんて言ったんだろう、と小首を傾げる金城に、ミケは「にゃるほど」とうなる。
「たぶん、ご主人様に比べたらまだまだね、ないしガキね、だと思うっす」
「猫からも辛辣な評価だ⁉ いや、実際ハル先生に僕はミジンコみたいな存在だけど……」
「うんうん」『にゃあ』
「肯定されるのも複雑なんですけど⁉」
金城の過小評価に美月とエクレアが深々と頷いた。
そういう所は息ピッタリなんだな、と嘆息を吐くと、落ち込む金城にミケは朗らかな笑みを浮かべて言った。
「大丈夫。金城くんだって素敵な人っすよ」
「いやぁ~。ミケ先生からそう言われると照れますね」
「事実っすから」
ミケに褒められて頬を朱に染める金城。
「……今の言葉、私は絶対脈ありだと思うんですけど」
そんな二人の会話を聞いていた美月は、背を伸ばすと晴の耳元でそう囁いた。
晴も美月の意見に肯定したいが、ミケの言葉に他意がないと知っているので眉間に皺を寄せる。
「お前が想像してる展開になるのは難しいと思うぞ」
「どうしてです?」
「ミケさん。俺より恋愛感情に疎いから」
「それは大変ですね」
晴の恋愛感情の疎さは妻である美月が最も痛感しているので、彼女は重いため息を吐いた。
「……余計な手出しはするなよ」
「するつもりはありませんよ。人の恋路に無遠慮に補装する、なんて趣味は持ってませんから」
「ならいい」
釘を刺せば美月は首を横に振った。
なら安心だ、と安堵したのも束の間、美月は「でも」と前置きして、
「でも、手助けをするのは友達としてアリですよね」
「……程々にな」
やっぱり美月も恋バナが好きな女の子だと実感すれば、晴は小悪魔的な笑みを浮かべる妻に注意をしておくのだった。
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