第280話 『 カノジョとキスの味 』


 修也のカノジョは何を考えているのか全く分からない。


 本日のテスト勉強会が終わり、冬真と千鶴が頭から煙を立たせながら帰ってくのを見届けた修也は、さて自分も帰ろうと思った矢先に恋人である朝霞可憐に「お前は残れ」と引き止められてしまった。


 修也にとって初めてできたカノジョの可愛い? お願いなので、断ることもできずにリビングから可憐の部屋へ移動した訳なのだが。


「あ、あの~。可憐さん」

「なにぃ」


 いきなりのお宅訪問だけでも心臓が爆発しだったのに、カノジョの部屋まで上がってしまうのは端的に言って心臓が破裂しそうだった。


 そんな修也とは対照的に、可憐は修也に寄り掛かって自然体でいる。


「どうして僕だけ居残りなんですか?」

「決まってるじゃん。私のカレシだからだよ」


 可憐からカレシと言われると、なんだか感慨深さが胸に湧いてくる。


 思わず感極まってほろりと涙がこぼれ落ちそうになると、可憐が指を床に指しながら言った。


「下にはまだまゆまゆがいるから、修也は落ち着かないかなと思って」

「そ、そんなことは……」

「それとも、カノジョと二人きりになるの嫌?」

「そんなことは断じてありません⁉」


 サラッと甘栗色の髪を揺らしながら訪ねてきた可憐に、修也は胸を撃ち抜かれる。


 美月という美少女の影に埋もれてしまっているが、可憐だって相当の美少女なのだ。


 小さな輪郭の顔立ちと、ツンと立った小さな鼻梁。垂れ下がった目尻に長いまつ毛。そこにカノジョ補正も掛かって、修也は世界で一番可憐が可愛いと思っている。


「可憐さんと二人きりになれて、僕は光栄であります!」

「おおぅ。そうだろー、そうだろー」


 大人しそうな雰囲気に見えて、案外乗りがいいのが可憐だ。

 敬礼する修也に、可憐はふふ、とたおやかに微笑むと、


「カレピとお家デートというものに興味があってね。せっかくの機会だし修也と試そうと思って」


 声音は静かなのに、可憐の発言は一つ一つが胸を昂鳴らせてくる。


 思わず頬が赤くなって視線を逸らしてしまうと、それに構わず可憐が頭を肩に乗せてきて。


「私はぐーたらしてる時が一番好きなんだ。友達といる時も、カレシといる時も」


 チラッ、と可憐は視線だけをくれて、


「修也はそんなカノジョとは付き合いたくない?」

「そ、そんなことないです! ……僕は、可憐さんとこうしていられるだけで幸せですっ」

「はは。安い幸せだなぁ」


 可憐はそう言って笑うけれど、修也にとっては本心だった。


 人生で初めてできたカノジョ。その人を大切にしたいし、彼女の考えを尊重していきたい。


 できれば、恋人みたいなことをしたいとは思うけれど。


「僕は、ありのままの可憐さんが好きです」


 落ち着いた声音も好きだし、おっとりとした目も好きだ。


 普段は何事にもやる気を見せないのに、勉強の時だけは活き活きとしている姿にはギャップがあって思わず魅入ってしまう。


 それに、こうして身を寄せてくれるのは修也を信頼している何よりの証だ。


「なので、可憐さんはいつも通りの可憐さんでいてください」


 そう懇願すれば、可憐は苦笑した。


「修也はもう少し欲出してもいいと思うなぁ」

「か、可憐ひゃん⁉」

「恋人なんだから、これくらいは普通」


 突然掌に熱が伝わったと思えば、可憐が修也の手を握ってきた。しかも、ただの手繋ぎではなく、しっかりと指を絡めた恋人繋ぎだ。


 あまりに唐突で、おまけに初めて女子と手を繋いだから修也は分かりやすく狼狽する。


「そ、そのっ、僕あまりこういうのに慣れてなくて、だから手汗とかすご……」

「そんなの気にしない。というか慣れろ」

「は、はいっ」


 緊張する修也に対して、可憐は平然としたまま、微動だにしなかった。


 自分だけ動揺して恥ずかしい。そう思っていると、可憐は静かなまま「修也」と名前を呼んだ。


「手繋ぐの飽きた」

「はやっ⁉ 飽きるの早いよ可憐さん⁉」


 目を白黒させる修也をお構いなしに、可憐はパッと手を離した。


 恋人繋ぎに羞恥心が限界を迎えた訳でもなく、声音や表情にも変化がないからどうやら本当に飽きたらしい。


 まだ可憐の手の温もりが残る手を名残惜しそうに見つめていると、また、カノジョが突拍子もない行動に出る。


「よいっせと」

「かかか可憐さん⁉ 何してるの⁉」

「……何って、修也に乗っかってる」

「動機は⁉」

「そこに修也がいるからぁ」


 可憐が腰を下ろしながら端的に答えた。


「こ、これはマズいです」


 布越しと言えど、太ももに柔らかい感触が伝ってくる。


「マズいって……何がマズいの?」


 知った上での問か、それともただの無知か。おそらく、前者だ。


 兎にも角にも、可憐に跨られてしまって修也は軽いパニック状態に陥ってしまった。


「だってこれ、可憐さんの顔が近い……」

「ふふ。どうだぁ。カノジョのご尊顔は」


 わずかに声音を弾ませて、楽しそうに距離を詰めてくる可憐。


「あわわ。か、可愛いですっ。世界一可愛いから、だから離れて……っ」

「童貞丸出しだなぁ」


 童貞みたいな反応ですいません、と心で詫びる。


 何でもいいから離れて欲しいのだが、けれどそんな修也の葛藤を無視して可憐がジッと見つめてくる。


「修也、顔真っ赤だねぇ」

「あ、当たり前ですよっ。こんなに可憐さんの顔が近いのに」

「前もこれくらいの距離で話したことあったでしょ?」

「今と前じゃ状況が違いますっ」


 今の修也と可憐は恋人同士なのだ。

 そうなれば当然、昔と違って期待もしてしまうわけで。


「(キス、できる距離だ)」


 そう思うだけで行かないのは、修也が単純に意気地なしだから。

 やっぱり僕って、とカノジョの可愛い顔を前に嘆息を吐いた瞬間だった。


「――ん⁉」


 不意に、唇に柔らかい感触が当たった気がした。


 一瞬。思考が停止して目の前が真っ白になる。少しずつ、時間をかけて視界が色を取り戻していくと、小さな吐息が鼻先に当たった。


「ふぅ。なるほど。キスってこんな感じか」


 ぺろりと舌を舐めて、艶やかな表情を魅せる可憐。


 一方の修也は、思考が完全に停止していた。


 ――キス。キス? 僕今、キスされたの? 誰に? 可憐さんに? なんで?


 徐々に、自分の身に起きた異常事態を理解していき、


「ふぁ⁉」


 顔がボっと赤くなった。


「かかか可憐さん⁉ 今何を⁉」

「何って……キスだけど」


 しれっと答えた可憐に、修也は言葉を飲み込むとさらに驚愕。


「どうして急にキスしたの⁉」


 可憐に動機を求めれば、彼女は「どうしてって」と一拍置くと、


「そこに修也の顔があるから……」

「はい」

「キスってどんな感じなんだろうと興味が湧き……」

「はい」

「なんか修也もしたそうだったからした」

「そんな理由でキスされたの僕⁉」


 予想以上にあっさりとした理由だった。


 そんなあっさりとした理由で、修也のファーストキスは初めての彼女に奪われてしまった。


「可憐さん。こういうのって、もっと雰囲気を大事にするものじゃないんですか?」

「カノジョの部屋で二人きりという状況を、修也はいい雰囲気とは言わないの?」

「そりゃドキドキはしますけどっ、けど、もっとこう、初めてデートの思い出にとか……」

「修也はロマンチストだなぁ」

「うぐっ」


 ぎこちなく言えば、その一言で片づけられる。


「私はそんなこといちいち考えない。そこに修也の唇があって、誰にも邪魔されない状況で、キスというものに興味があったからキスをした」


 修也の唇を奪った経緯を、可憐は淡々と語る。


「修也のロマンを砕いてしまったことに申し訳なさがあるといえばそんなものは微塵もないけど……でも、キスした感想くらいは、言ってくれてもいいんじゃないかな?」

「――っ」


 懇願するように訴えられて、修也は奥歯を噛む。


 たしかに経緯はなんであれ、キスはした訳だ。しかも、先の口振りだと可憐も初めてのキスだったのだろう。


 立場的には修也が可憐にファーストキスを奪われたが、修也もまた、可憐のファーストキスをもらってしまった訳で。


 ならば、ここは男としてしっかりと感想を言わねばなるまい、と腹をくくった。


「その……すごく、嬉しかったです。可憐さんとキスできて。とても光栄でした」

「ふーん」

「なんて淡泊な反応⁉」


 勇気を振り絞って答えたというのに、可憐から返って来たのは驚くほど薄い反応だった。


 記念すべき恋人としてのファーストキスだというのに、自分も満足に味わえなかった上に可憐に満足もさせてあげられなかったというのは、男のプライドにヒビが入りそうだった。


 そう嘆いていると、


「ならもう一回いっとくか」

「――んぐっ⁉」


 また、突然唇を奪われた。


 今度は柔らかい感触をしっかりと感じて、思考は停止しているもののやはり驚愕が強く表出る。


 しかも、一瞬で終ると思っていた口づけは、一秒。二秒経っても終わることはなかった。


 それがまるで、修也の唇の硬さを確かめているようで。


「ぷはぁっ。……可憐さん、なんでまた、何の合図もなしにキスするんですか」

 ようやく唇が離れると、修也は息継ぎしながら可憐に問いかける。

「修也がもう一回したそうで、私ももう一回したかったから」

「だからって、するならせめて一言くらい……」

「キスするのにいちいち了承を得てたらキリがないでしょ。これから何回もするんだし」

「な、何回もするんですか?」

「嫌だ?」


 ブルブル! と首を横に振った。

 そんな修也に、可憐は「だろぉ」とわずかに嬉しそうに口角を上げる。

 それから可憐は「なるほど」と呟くと、二度のキスを比べるように言った。


「数秒触れるより、長い方がドキドキするね」

 そんな事を確認すると、おっとりとした目が修也を見つめながら問いかけてくる。

「修也はどっちが好き? 短いキスと、長いキス」

「そ、それは……」


 これは正直に答えていいのかと一瞬迷いが生じたが、修也は羞恥心に頬を赤く染めながら答えた。


「ええと、その……長い方が、僕は好きです」

「ほほぉ。なら私と一緒だ」


 答えれば、可憐が嬉しそうに呟いた。

 そして次の瞬間。また、


「「――ん」」


 三度目の口づけを修也と可憐は交わした。


 無理解な状況。可憐の思考が全く読めずに困惑するも、柔らかな唇を離すことができない。


「(可憐さんの唇。柔らかい。それに、甘い香りもする)」


 ただ、可憐の熱を堪能する。

 そして、少しずつ熱が離れていくと、


「ふぅ」


 と可憐が深く息を継いで、蕩けた顔の俊也を見つめる。


 まさか、男の修也が先に限界を迎えるとは思わなかった。


 初めて知った恋人の素性と、初めてのお宅訪問。そこに新たにお家デートが加わって、トドメに三度のキス。


 修也の脳は既に爆発寸前だった。


 なのに、恋人の可憐は、


「キスって、する前までは唇と唇が重なるだけで何とも思わないでしょと思ってたけど……でも、案外いいものだね」

「か、可憐さん?」

「しー。静かにして」

「…………」


 そっと、可憐は修也の頬に手を添えてくる。その手に力は込められていないが、何故か抵抗することができなかった。


 そして、強制的に視線を合わせられて、少しずつ距離を詰められていく。


「ふっふっふー。これはハマってしまいそうですなぁ」

「いや、ちょっと待って可憐さ――」

「私の命令はー?」

「絶対です⁉」


 可憐から告白された日。

 修也は可憐に誓わされた。


 ――『私の召使いになって』と。


 それがどんな生活になろうとも覚悟はしていたけれど、


「(可憐さんがキスにハマったら、僕の身が持たない⁉)」


 可憐との恋人生活は、修也の想像以上に甘い生活になりそうだった。


「ふふ。よく言えました。じゃあ修也。続き、しよっか」

「お、お手柔らかにおねが――んぐっ⁉」


 その後、可憐に六回ほどキスを迫られた挙句、最後は舌まで入れられたのはここだけの話だ。



――――――――

【あとがき】

この回を書いてから自分の中で可憐ちゃんの評価が爆上がりしました。

そして、初めての恋人繋ぎとキスを一日で済ませられる修也くん。。。でも、最後は可憐ちゃんの探求心が爆発して舌まで入れてもらえたそうなのでよかったね。

もしかしたら番外編で付き合うまでの過程が描かれるかも? 書けたら書きます。

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