第296話 『 同棲する前の予行練習として 』


「あれ晴。首赤いけどどうしたの?」

「あ? ……あぁ」


 いつものように慎とぶらり本屋に寄ったり喫茶店に寄っていると、突然そんなことを聞かれた。


 晴はやっぱり気付くよな、とため息をこぼすと、


「美月に首輪をかけられた」

「首輪て……あぁ、あるほど」


 一瞬難色を示した慎だが、すぐに晴の言葉の意味にたどり着く。


「あはぁ。夫婦睦まじくて何よりですなぁ」

「睦まじいというより完全に束縛されてるんだがな」


 ニヤニヤと不快な笑みを浮かべる慎に、晴は小悪魔モードになっていた美月を述懐しながら返す。


「生気吸われた挙句、しっかりとキスマークまで付けやがって」

「でも満更でもなさそうじゃん」

「どこがだ。おかげで街歩きにくいんだよ」

「へぇ。俺からすればまるでみせつけてるように思えるけど……あだだ⁉」

「揶揄うのも限度があるからな?」

「ずびばぜんずびばぜん! もう揶揄いまへん!」


 思いっきり頬を抓れば涙目になる慎。そんな彼が目尻に涙を貯めながら白旗を挙げれば、晴はやれやれと嘆息しながら手を離した。


「はぁ。でも羨ましい限りだよ。晴たちってレスになることなさそうだね」

 赤くなった頬を擦りながら呟いた慎に、晴は「どうだろうな」と曖昧に返した。

「今はお互いがお互いを求め合ってるからその危惧がないだけで、将来的にはあるんじゃないか」

「ま、万が一そうなっても、晴と美月ちゃんならのんびり生活を楽しんでそうだけどね」


 そんな慎の言葉に、晴は思わず笑ってしまう。


「ふはっ。そうだな。何も体を重ねることだけが愛の形じゃない。アイツと一緒にいられるだけで幸せだからな俺は」

「そういう歯に浮くセリフをよく素面で言えるよお前は」

「? 思ったことを口にしてるだけだが」


 それが余計に羨ましい、と羨望と呆れを宿した目で睨まれた。


「美月ちゃんは幸せ者だろうなぁ。相手がこんな尽くしてくれる旦那さんで」

「尽くさなきゃ愛想尽かされるかもしれないからな。それに、アイツの喜ぶ顔は見ていて飽きないから」

「それ、あの子の前で言ったら悶絶すると思うよ」

「マジか、なら今度言ってみるか」

「言うのかよ」

「この前の仕返しを考えてる最中だからな」

「この前?」

「こっちの話だ。気にするな」


 眉根を寄せる慎に、晴はひらひらと手を振る。


 まだ美月に腕を拘束されて一方的に攻められたことへの仕返しは済んでいないので、今は絶賛それを検討中なのだ。


 慎の助言を活かして、抱いている最中に言葉攻めして悶絶させようと思案していると、電話のコールが鳴った。


「あ、俺だ」


 それは晴ではなく慎からのポケットから鳴っていて、彼は軽く謝るとスマホを耳に当てた。


「もしもし詩織ちゃん。どうしたの?」


 どうやら電話の相手は慎の恋人である詩織らしい。

 なんとなく意識を電話中の慎に傾けていると、


「うん。分かった。帰りに洗剤とトイレットペーパーね」

「ん?」

「うん。うん。ついでにスーパーに寄って帰るから気にしないで。うん。うん。じゃご飯作って待ってるから」


 まるで同棲中のカップルの会話に聞こえたその内容に目を瞬かせていれば、電話を終えた慎がぽりぽりと頬を掻きながら白状した。


「やー。既に洞察力が鋭い晴なら今の会話で感付いたと思いますが……実は俺、今詩織ちゃんの家に泊ってるんだよね」

「なんだ。遂に実家から追い出されたか」

「そうそうお前もいい年だから家を出ろって家族から追い出されてさ……ってちげえよ!」

「見事なノリツッコミ」 


 思わず拍手を送れば、慎は「マジで止めて」と珍しく真顔で懇願してきた。

 それからまた、慎は少し照れた素振りをみせながら言う。


「家に追い出されたとかじゃなくて真面目に。同棲する前の予行練習としてしばらく一緒に住んでみようって話してさ」

「それで今は絶賛同居中と」

「そういうこと。親にも既に、詩織ちゃんは紹介してるよ」


 どうやらこの男。今回は相当本気なようである。


 今まではカノジョができても同棲する気なんて微塵もなければ、親に紹介なんてしてないと言っていた男が、親にまで紹介するのは前代未聞としかいいようがない。

 呆気に取られていれば、慎はあはは、と笑いながら言った。


「俺、詩織ちゃんと出会えたのは奇跡だと思ってるから。だから、あの人を手放すつもりはないよ」


 慎もまた、変わり始めているらしい。

 それが声音から伝わって、晴は「そうか」と口許を綻ばせた。


「ま、お前の覚悟なんてどうでもいいが、そう思える相手なら大切にするんだな」

「はは。ついこの前まで童貞だったやつが偉そうに言うな」

「その童貞に追い抜かれたヤリチン王子に言われたくないなぁ」

「ヤリチン王子じゃないから⁉」


 そんな下品な会話をしながら、晴は慎に付き合ってスーパーへと向かっていくのだった。


 ――――――――

【あとがき】

言っただろう。詩織の出番は増えると。

という訳で明日から詩織と慎メイン回です。

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