第297話 『 同棲バフ。半端ねぇ 』


「たっただいまー!」


 夜。元気な挨拶をしながら帰って来たのは、この部屋の家主である詩織だった。

 ドタドタ、とまるで子どものような足音が近づいてきて、慎は思わず苦笑してしまう。


 そして、


「ただいま! 慎くん」

「おかえり。詩織ちゃん」


 壁からひょこっと顔だけを覗かせる詩織に、慎は微笑みを返した。

 詩織はにしし、と満面の笑み浮かべると、絶賛料理中の慎にすり寄ってきた。


「今夜のご飯はなーに?」

「今日は豚汁にタラの煮つけだよ」

「やっふぅー! どうりでお味噌のいい匂いが玄関から漂ってきた訳だよ~」

「詩織ちゃんは米派だもんね」

「日本人ですから!」


 上機嫌に鼻を鳴らす詩織に、慎は小皿にお味噌汁を掬うと「はい」と口に運んだ。


「味はどう?」

「バッチシですな!」


 最高だよ慎くん、と賞賛を送られると、慎も喜びで頬がにやけてしまう。


「いや~。最初は同棲(仮)するのにちょっと緊張したけど、こうやって家に帰って温かいご飯を作ってくれる人がいるってそれだけで幸せなものだね」

「ふふ。詩織ちゃんが幸せなら俺も幸せだから、料理は任せてよ」


 いつもごめんね慎くん、と頭を下げる詩織に、慎は「気にしなくていいよ」と笑みを浮かべる。


「俺はわりと時間ある方だし、会社員の詩織ちゃんの方が大変だっていうのは理解してるから」

「やだ惚れそう。ていうかもう惚れてる! 私のカレシが慎くんでよかったよぉ」


 心底嬉しそうに涙を流されると、慎もなんだかむず痒くなる。


「(あ~。やっぱこうして褒めてくれる人がいるっていいなぁ。晴と比べると可愛さが雲泥の差だわ)」


 あの男は料理など作っても「頼んでないが」の一言と渋い顔をしてご飯を食べるから、正直腹が立っていた。ならば作らなければいいだけの話だが、慎が栄養を与えてあげないとあの男は間違いなく過労死していた。今はしっかり健康を考えてくれる奥さんがいるので、慎は安心して詩織の為に料理を振るえる。


「さ、豚汁もできたし、ご飯もそろそろ炊けるから、詩織ちゃんも手洗ってきて」

「うぃ~っす!」


 エプロンを解きながら促せば、詩織は白い歯を魅せながら敬礼する。それからくるりと回って洗面所へ向かおうと――


「? どうかした詩織ちゃん?」


 突然急に立ち止まった詩織に小首を傾げれば、彼女はまたくるりと踵を返す。

 それから硬直する慎の前に、ぐっと顔を近づけると、


「いつも私の為にありがとね――ん」

「――っ⁉」


 感謝を伝えるように、詩織はおもむろに慎の唇に己の唇を重ねてきた。

 呆ける慎に、詩織はふへへ、と照れたように頬を朱に染めると、


「これからしばらくは、慎くんにキスし放題だねっ」


 そう言い残して、恋人は洗面所へ消えた。

 一人残された慎は、その場に深い吐息をこぼしながらうずくまると、


「……同棲バフ。半端ねぇ」


 と顔を真っ赤にしながら詩織との同棲生活に喜びを噛み締めるのだった。


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