第43話 『 独身女性相手にマウントを取っているのか⁉ 』
――そして時は再び現在。文佳は晴宅の扉の前に立っていた。
「ふぅ」
深い呼吸のあと、文佳は生唾を飲み込んだ。
いくら仕事といっても、相手は男性なのだ。異性の相手の部屋に入るのは女性なら必然と緊張するはず。それが好意を寄せる相手なら尚更。ただ、その相手は自分の知らぬ間に既婚者になっていたが。
「(今日は仕事。今日は仕事……でもハル先生のお家だ~~~~っ‼)」
興奮ののち、
「(けど既に既婚者なんだよなぁ)」
急激にテンションが下がる。
「(でもハル先生の家には変わりない!)」
またテンションが上がって、
「(でも相手は既婚者で今家には嫁がいる⁉)」
またまた下がる。
そんな感情シェイクを繰り返すこと数分。荒くなった息のまま文佳はインターホンを押した。
インターホンが鳴るまでは部屋のカンシカメラは作動しないはずなので、その間に呼吸を整える。髪も手直ししたりして、身なりも整える。何度も言うが、晴はすでに既婚者だ。
その事実を胸にしまいつつも、文佳は気合を入れ直した。
「(今日来た目的は仕事。だけどもう半分は、ハル先生の結婚相手をこの目で直接見るため!)」
ぶっちゃけると、本日の目的は後者の方が強い。結婚相手が気になって仕事どころではないのだ。そして、脳も正常じゃない。
もし淫らな女で先生の執筆活動を邪魔する印税目当ての女だったら私が追い出してやる! という勢いで腕を捲れば、カチャッ、とロックが解錠する音がした。
『久しぶりにハル先生を拝める⁉』と目をキラキラとさせながら扉が開くのを待っていれば、文佳の目の前に現れたのは――
「あ、どうぞ上がってください」
晴ではなく、女の子だった。
「――――」
それまでの高揚が一気に冷めて、思考が纏まらず目をぱちぱちと瞬かせた。
「(あれ、ハル先生って女の子だっけ? もしかして
と思考は纏まってないものの日頃のヲタク活動と仕事で鍛えられた脳が勝手にあれこれと雑念を繰り広げた。
ありえない可能性に頭を振ると、文佳は目前の少女は〝ハル先生の従妹〟と結論づけた――もしかしたらこの子が件の相手という可能性は、考えたくもなくて思考を放棄した。
「えっと、貴方は?」
そんな意思に構わず、口が条件反射で勝手に聞いていた。
「(なに聞いちゃってんの私ぃぃぃぃぃ⁉)」
先の思考は今この瞬間水泡に帰してしまって、文佳は後悔せずにはいられない。
自分で自分を戒めていると、少女は頭を下げて、
「すいません。名乗るのが遅れました」
それから、淡い笑みを浮かべると、
「八雲美月といいます。八雲晴の――妻です」
ほんのりと照れを交えながら、そう名乗ったのだ。
▼△▼△▼
「晴さんは資料を纏めてるそうなので、少しリビングで待っててもらえますか?」
「……はい」
文佳を出迎えた少女――美月は廊下で晴が支度中であると説明してくれた。
美月が振り向いたのをいい事に、文佳は美月をまじまじと観察する。
初対面では混乱していた頭も、今はだいぶ落ち着きを取り戻していた。
「(この女がハル先生の奥さん……女性っていうより、少女じゃない⁉)」
落ち着いた頭でも、すぐにバグってしまいそうなほど情報が追い付かなかった。
まず、美月は晴の従妹ではなく、妻だった。なんとも若い奥さんだ。唖然とさせられるくらいには若い。
体格や容姿からして、年齢は、せいぜい二十歳前後だろう。もしかしたら文佳より年上の可能性もあるが、しかし、あの透き通る程にぴちぴちな肌がその考えを否定させてくる。文佳は二十五歳だが、肌の手入れは毎日している。だから分かるのだ。あの肌感は二十代前後の女のものではないと。
「(二十歳より年下。まさか十代⁉ ……なわけはないか)」
文佳の推測は実際正しいのが、本人は鼻で笑って一蹴してしまった。
その推測が数時間後に正解だと分かるのは一旦置いておいて、
「(今は背後だから見えないけど、この子、凄い可愛いわよね)」
驚かずにはいられないのは、美月が普通の少女ではなく美少女ということ。さすがは都会の女。レベルが高い。田舎出の文佳とはきっと素養が違うのだろう。今度山を経験させてやろうか、と邪推な思惑はすぐさま振り払いつつ、
「(美少女やぁ。ものほんのむっちゃ美少女や~)」
まるで二次元のキャラクターが現実世界に顕現したか、とでも錯覚するほど、美月は美しく可愛かった。
揺れる長く艶やかな黒髪。つんと立ったまつ毛に、紫紺の瞳。小さく、そして整地された顔。佇まいは淑女然としていて、肌は新雪のように白い。腕と足は華奢だが、胸は文佳よりも立派でありお尻は文佳よりも引っ込んでいる。なんだこれは、新手の嫌がらせか?
美しい少女と醜い自分に嫌気を指しつつも、なんとなく、彼女が晴の嫁になったのも分かる気がした。それが無性に悔しくなって、腹が立った。
「(ちっ。世の男は結局可愛い女かっ。悪かったわね普通で!)」
世の男に悪態と唾を吐いていると、美月が振り返った。
「本日は夫の為に遠い所から足を運んでいただきありがとうございます」
「い、いえ。ハル先生の担当者として当然のですから」
気遣いも非常によく出来ていて、まさに完璧な少女過ぎて文佳は戸惑うばかりだった。
しかし、
「(なんでこの子、さっきから照れるの⁉)」
美月は晴の事を『旦那、夫』と呼ぶ度に頬を朱らめるのだ。それがただ腹が立つ。
「(なんだその『私結婚したばかりで、夫って言うのはまだちょっと抵抗あるですうふふ』みたいな態度は⁉ マウントか⁉ 嫁ですよアピールか⁉ 独身女性相手にマウントを取っているのか⁉ 何が楽しんだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ⁉)」
情緒が安定しない。
劣等感がさらに精神を不安定にさせて、文佳は苛立ちを堪え切れずに髪を掻きむしる。
「(許さんぞ小悪魔め! その化けの皮を剥いで、絶対にハル先生の小説活動を守り抜いてやる! なんたって私はハル先生の担当者だからな⁉)」
目の前の少女に悪魔の角が見えるのは文佳の錯覚なのだが、彼女の目線では美月は完全に『ハルの印税を喰らって生きる魔性の女』に見えていた。
「(そしてあわよくば、私がハル先生の正妻として君臨して……ムフフッ)」
晴の担当者としての決意と個人の邪推さが見事に邪悪な笑みを完成させていた。
そんな下らない妄想を楽しんでいる晴の担当編集者に、美月はというと、
「?」
さっぱり分からなくて小首を傾げるのだった。
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