第339話 『 形勢一変 』


「むぅ。せっかくの休日なのに執筆してる」

「書くのが仕事なんだから当たり前だろ」


 コタツで執筆していると隣で美月がジト目を送ってきて、晴はやれやれと肩を落とす。


 平日も書いてるくせに、と顔に書いてある美月を一瞥して、


「今見せ場を書いてるんだ。この高揚感が過ぎないうちに書いておきたい」


 と言えば、美月は何かを言おうとして言葉を飲み込んだ。おそらく、彼女の中で晴の邪魔をしたい小悪魔と仕事の邪魔をしてはいけない天使が葛藤しているのだろう。


「これが書き終わったら構ってやるから、少し待ってろ」

「まるで人を構ってちゃんみたいに言う」

「事実だろ」

「ち、違いますからっ」


 ふん、と頬を膨らませてそっぽを向いた美月に失笑しつつ、晴はキーボードを打つ。


 徐々に物語の世界に入り込んでいく晴を、美月はじっと見つめる。


「一度集中すると、晴さんこっちを見向きもしないんだよなぁ」


 そんな美月の独り言も、今の晴には聞こえなかった。


「ふふ。でも、集中しているこの顔を間近で見られるのは私だけだと思うと、悪い気はしないな」

「――――」


 無言で、時折小さく笑う晴を、隣で妻は楽しそうに眺めるのだった。


 ▼△▼△▼▼



「ふぅ。とりあえず、キリのいいとこまで書けたな」


 パタン、とパソコンを閉じれば、その音を合図に美月も本を閉じた。


「あ、終わりました?」

「ん。待たせたな」


 背中を伸ばす晴に美月はくすくすと笑う。


「ちょっと待っててください。今飲み物用意してきますので」

「助かる」


 お礼を言えば、美月は「どういたしまして」と返しながら立ち上がった。


 キッチンに向かう妻の背中を見届けつつ、晴はスマホを開く。


 とはいっても美月が飲み物を持ってくるまでの暇つぶしなので、トイッターを開いて知り合いが呟いているのを見るだけだが。


アイツは更新してるが……ほんとに禄でもないこと呟いてるな」


 今日はお家でごろごろするか~、と呟いているので、おそらく詩織とデートはしない予定らしい。


 およそ一か月の仮同棲生活も終わって、慎は現在何も手につかない状態らしい。そんな事晴には心底どうでもいいので、「ささっと同棲すればいいのに」と思いつつ、


「詩織さんは……なんかこっちも暗い呟きしてるな」


 どうやら彼女も慎と同じ心境なようで、トイッターに『なんだろ、部屋が無性に広く感じる』などと闇が垣間見える呟きをしていた。


 恋人が恋しくなっている二人に辟易としつつ、晴は続いて有名イラストレーターのアカウントを覗く。


「ミケさんは……あれ、更新してないの珍しいな」

「どうしたんですか?」


 不思議そうにスマホを見ていると丁度マグカップを持ってきた美月が問いかけてきて、晴は彼女からマグカップを受け取りながら答える。


「ミケさんがトイッター更新してないの珍しいと思って」

「そんなに頻繁に更新してるんですか?」

「ちょくちょくって感じだな」


ミケは『眠い』とか『アニメ観る!』の一言や落書きを投稿する事が多い。なので、最終更新が四日前なのは珍しかった。その四日前の投稿も一回だけと、やはり多忙さが窺える。


 ずず、とホットココアを飲みながら、


「先週は金城くんとアキバに行ったらしいから、休み取ったと思って安心したんだがな」

「あぁ、そういえば月曜日の冬真くん、一日頬が緩んでましたね……流石にちょっと引いたな」

「相当楽しかったんだろうな」


 憧れのイラストレーターとアキバデートである。お互い生粋のヲタクなので、さぞ盛り上がったことだろう。投稿を辿れば、『アキバ超楽しい!』という呟きがあった。


「ちゃんと休んでいるんだろうか」

「貴方がそれをいいますか」


 えい、と脇腹をつつく美月。


「俺はお前の相手をしなきゃいけないから休んでるだろ」

「えぇ、さっきまで執筆してたじゃないですか」

「たった三時間だけだろ。午後はたぶん書かないから安心しろ」

「確定ではないのが不安ですねぇ」

「なら俺が書かないようにしっかり見張っておくんだな」


 と言えば、美月は「えぇ」と不敵な笑みを浮かべて、ぎゅっと抱きついてきた。


「貴方が今日はもう書かないように、邪魔してやります」

「ふ。可愛らしい邪魔な仕方なこって」


 ふふ、とほほ笑みを浮かべる美月。その頭を撫でれば、まるで猫のように喉を鳴らす。


「こうして家でまったりするのも悪くありません」

「今日は寒いからな。外には出たくない」

「何言ってるんですか。夕飯の買い出しは一緒に来てください」

「出前を取るという選択肢もあるぞ」

「ほほぉ。せっかくの休日なのに、私の手料理は食べたくないと?」

「前言撤回。買い出し行くか」

「ふふ。素直でよろしい」


 美月の絶品手料理と出前など比べるまでもなく前者を選ぶ。

 晴との約束も取り付けてご満悦げな美月に呆れつつ、


「じゃ、夕方まではこうしてくつろいでるか」

「ふふ。そうですね。休日なので、いつもより多く貴方と一緒にいられます」

「可愛いこと言いやがって」

「貴方の妻は可愛いんですよ?」

「知ってる」

「ならもっと愛でてください」

「へいへい」


 猫のように甘えてくる美月に思わずキスしてしまいたくなるが、ここでしてしまうと止まらなくなる気がするので今は我慢する。


 その代わりと抱き着く美月の頭を撫でていれば――突然スマホが鳴った。


 メールはよくあるが電話は珍しいなと思いながらスマホを見れば、電話の差出人に目を瞬かせた。


「? 誰からですか?」

「……金城くんからだ」

「冬真くん?」


 電話の差出人の名前を言えば、美月は抱きつくのを止めて起き上がった。どうやら彼女も、冬真から自分宛ではなく晴に電話が掛かってくることに違和感を覚えたらしい。


 疑問と、胸裏にわずかな嫌な予感を覚えながらスマホを耳に充てれば、


「もしもし金城くん?」

 

 応答した瞬間。彼の声音は酷く震えていて――、


「――うん。……うん。……分かった。だから落ち着いて。うん。うん。分かったすぐ行く」


 隣で晴の顔を窺う美月。その紫紺の瞳を一瞥しながら、電話越しに頷く。


 それから電話を切れば、晴は立ち上がって――


「すぐ支度しろ、美月」

「ぇ」


 まだ状況を飲み込めていない美月に、晴は奥歯を噛みしめながら告げた。


「――ミケさんが倒れた」

 

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