第52話 『 好きな人くらいには、自分の気持ちを伝えないと 』


「美月にキスされた」

「…………」


 無理矢理呼び出した友人に衝撃の告白をすれば、慎は何言ってんだコイツみたいな顔をしていた。


「美月にキスされた」

「いや聞こえなかったから無視してたんじゃないよ。何言ってんだと思ったから黙ってたんだよ」

「聞こえてるなら反応くらいしろ」

「それをお前が言うなよっ」


 けっ、と唾を吐けば、慎は感情を爆発させて机を叩いた。今日は晴の自宅だから許すが、外では感情を抑えてほしいものだ。


「それで、仕事が忙しい俺をわざわざ呼び出したのはそれ伝える為?」

「締め切り近いならわざわざ来なくてよかったのに」

「お前ホント冷たいよな⁉ なんでそんな辛辣なの⁉ どんな生活したら友達に冷酷になれるのさ⁉」


 乱暴に頭を掻く慎に晴は腕を組みながら真顔で答えた。


「いまのは俺なりに気を遣ったつもりだぞ。俺の話なんて大抵はくだらないからべつに構う必要はないという意味なのに。逆にどう解釈したら俺が冷徹人間になるのか教えてほしいくらいだ」

「本当に可愛げがないなお前は⁉」

「男に可愛さ求めんな」

「ああ言えばこう言う⁉」


 今日の慎は一段と荒れているように見えるが、それは気のせいではない。作家は締め切りが近いと皆ピリピリするのだ。晴みたく余裕を持って締め切りに望む者はこうはならないが、存外、自分と編集者が立てたスケジュール通りにはならないものなのだ。


 小説は必ず、どこかの部分で難航する時が訪れる。


 例えば、戦闘シーンなどの丁寧に書きたいシーンが上手く描写が出来ない時だったり。


 例えば、「やべ、先週めっちゃ進んだから今週はちょっとダラダラしよ~ww」と余裕ぶっこいていたらいつの間にか締め切り間近だったり。


 例えば――スランプになってしまったり。


 作家の足を止まる瞬間とは、いつどんな時に起こるのか予測不可能なのだ。絶好調だった作家が突然スランプになってしまい、そして何も書けなくなり小説家を辞めてしまう、なんて事も稀にある。


 締め切りとは、出版社の都合と読者の期待と作品に対する自負というプレッシャーまみれの悪魔の宣告なのだ。温厚な慎の情緒が狂うのも仕方ない。


「……大丈夫。あと四十ページ書けば終わるから。デッドラインには間に合うからっ……そうすればやっと念願の……」


 と自分に言い聞かせてる慎に晴は憐れだなと失笑してしまう。まぁ、締め切りに間に合わず開き直る作家よりかはマシだが。


「四十ページなら四日もあれば終わるだろ」

「黙れ速筆家! 遅筆家の俺の気持ちなんて分からないだろ!」

「お前のペースは普通だろ」


 たしかに晴の執筆のペースは早い。無論、暇があれば執筆しているから原稿が進んでいるという理由もあるが。


 気が立っている慎に、晴は頬杖をつくと、


「お前、今日パソコン持ってきてるのか?」

「っ! ……当たり前だろ。今週はずっと持ってないと死ぬかもしれない!」

「必死だなー」

「お前も一回味わってみろっ。この殺人鬼に追われているような緊迫感をっ」

「……機会があればな」

「ちっ。堅実作家め」


 慎の舌打ちも、今回ばかりは見逃した。


 妬ましい、と言わんばかりの視線を受けながらも悠々とコーヒーを飲めば、慎は視線を外してごそごそと鞄からパソコンを取り出した。


「(ま、俺も味わったことあるけどな)」


 作家なら誰しも通る道だ。慎には明かしていないが、晴だって当然締め切りに追われた事がある。あの時は本当に死ぬかと思った。というより――


「ここで少し書いて行っていい?」


 慎の声が晴の思考を途切れさせた。雑念を振り払って一瞥をくれると、


「好きなだけ書いてていいぞ」

「ありがと。美月ちゃんが帰ってくるまで書かせてもらうわ」

「べつに気にしなくていいぞ。お前がいるからってあいつは畏まらないし」


 なんなら仕事部屋使ってもいい、と提案を送れば、慎は目を瞬かせた。


「晴、柔らかくなったね」

「さっき冷酷野郎って言ったのは誰だ」

「ごめんて。さっきは気が立ってたから」


 冷静さを取り戻した慎は徐々にいつもの朗らかな空気に戻っていた。

 そして晴はというと、柔らかくなったという言葉に眉根を寄せていた。


「俺は変わってないと思うけどな。前もお前をよく泊まらせただろ」

「めんどくさそうな顔してたけどね」

「それはお前が俺の執筆の邪魔をしてくるからだ」

「そうでもしないと晴は休まないだろ?」

「うぐっ」


 正論に反論が喉に詰まった。

 口を噤む晴に、慎は「ふはっ」と吹き出して、


「やっぱり晴は柔らかくなったよ。前なら休む休まないは俺の自由だって言ってたのに」

「そんなこと言ったか?」


 覚えてない。

 でも慎は「言った」と主張した。


「美月ちゃんと会う前の晴はもうちょっと刺々しかった」

「そうか?」

「自覚がないのは相変わらずだねぇ」


 けらけらと慎が笑うも、心当たりがない晴は首を傾げるしかない。

 まぁ、心当たりがなくもないが。


「(コイツの言ったこともきっと正論なんだろうな)」


 ふと振り返ってみれば、確かに今の自分は柔らかくなった気がした。ぶっきらぼうなのは変わらないが。


 今の自分について、柄にもなく思い返していれば、そんな晴に慎は双眸を細くすると、


「ま、場所を提供してくれたお礼にさっきの話だけは聞いてあげるよ」


 そう執筆しながら耳を傾けてくれた。


 ▼△▼△▼


 

「で、件のファーストキスの味はどうだったの?」

「なんでファーストキスだって決めつけるんだ」

「なんでって……晴は恋愛経験ゼロだろ」


 それ=ファーストキスになるものか? ……なるか。

 胸中で納得すれば、慎はパソコンに目を向けたまま続けた。


「ファーストキスの感想くらい、ラブコメ作家様なら鮮明に読者おれに伝えられるよね?」

「期待すんな。現実とフィクションは違う」


 慎の挑発は即座にへし折りつつ、晴は頬杖をついて答えた。


「お前が期待した感想は提供できない。正直、俺もいきなりされたからあんまし実感が湧かないんだよ」

「はぁ。美月ちゃんが可哀そうだ」

「なんでだよ」


 落胆する慎に眉根を寄せれば、慎は一瞥をくれて言った。


「美月ちゃんからキスした、ってことは晴が好きだから自分からしたんだろ」

「……たぶん」

「そこは自信持ちなって……ならさ、キスした時の感想くらい、欲しかったんじゃない?」

「――――」


 指摘されてあの日を思い出せば、晴は慎に何も言い返せなかった。


 ――『晴さんが悪いんですよ』


 約束を、忘れていたわけではない。ずっと覚えていた。


 ただ慎重になっていたせいで、それが結果美月に我慢させていたのかもしれない。

 美月はずっと、晴からキスされる事を待っていたのだろうか。


 キスする事が、晴が美月を好きになったという証明だから。


 ずっと、晴は美月を不安にさせていたのかもしれないと、今更ながらに気付く。


 あの日、美月からキスされて、晴はただ呆気に取られていた。言葉を失った晴を、美月は遅れてやってきた羞恥心のせいでその後は部屋に閉じ籠ってしまった。


 次の日はいつも通りだったが、やはりどこかお互い気まずく、会話もぎこちなかった。


 逡巡する思考に、慎の呆れた声が届く。


「晴が淡泊なのも、ぶっきらぼうなのも美月ちゃんは知ってるよ」


 だから、と慎は口許を緩めて、


「好きな人にくらいは、ちゃんと自分の気持ちを伝えないと」

「――そうだな」


 慎のありがたい助言に、晴は痛感させながら頷く。

 頑張れ、と慎は小さな声援エールをくれた。

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