第51話 『 ファーストキスの味はいかがですか? 』
初めてだ。こんな気持ち。
「(今日は楽しかった)」
夜。湯船に浸かる美月は、今日のデートを振り返りながら頬を緩ませていた。
洋服選びは言わずもがな。食事ではドキドキしたし、ゲームセンターでは晴がクレーンゲームが上手い事実に驚かされ(ぬいぐるみやらフィギュアを乱獲していた)、映画も好みが同じだから揉めることなく楽しめた。
こんなに楽しいデートは初めてだった。
数はそれ程だが、美月にも元カレはいた。当然、晴と同じようにデートはしたが、思うように気分は高揚しなかった。好意があるから一緒にいるはずなのにも関わらず。心は満たされなかった。それこそ、潤わぬ砂漠のように。
それは洋服選びに暇そうにされたからだろうか。映画の好みが合わずカレシに合わせたからだろうか。ご飯を食べる時、誰かも分からない輩にカノジョとデートしているアピールに使われたからだろうか――一概には言えないが、どのデートもイマイチだった。
「(元カレたちは、ちゃんとデートプランを練ってたりしてたな)」
彼らは美月を楽しませようと努力をしていた。でも、晴は違った。
『特に行きたい場所も見たいものもないからな。お前の好きでいいぞ』
基本は美月の行きたい場所に晴は付き合ってくれた。面倒くさそうな顔をしていたが、けれど美月の気が済むまで付き合ってくれた。
ムードなんてものは微塵もなかったが、それでも和やかで気兼ねなく楽しめていた。手を握れば握り返してくれるし、さりげない気遣いもみせてくれた。晴は観察眼が優れているから、美月が疲れたと感じると休憩しようと足を休ませてくれたのだ。美月の疲労に気付いたのは、晴が初めてだった。どの元カレも、自分が疲れたから休憩しよう、だった。
――晴さんは優しい。
ぶっきらぼうで、表情筋が乏しくて、ラブコメ作家のくせに言葉遣いは淡泊だけど、でも美月への想いは行動で示してくれる。行動で示してくれるから、こっちはギャップにやられてしまう。
「好き。好きすぎて辛い」
ぱしゃぱしゃとお湯を蹴りながら、美月は赤くなった頬を隠した。
晴に好意があったから同棲を始めて、晴が好きになったから結婚して、晴ともっと仲良くなりたいからデートした。デートしたせいで、余計に晴が好きになってしまった。
こんなにも好きで頭がおかしくなりそうなのは、初めてだった。
自分が物静かで、感情もあまり表出さないのは自覚している――その全部が嘘かのように、頬がにやけるし鼓動が早くなる。そして、求めてしまう。
はぁ。
「……キスしたい」
自分からそう思うのは、したいと欲求があふれるのは、初めてだ。
好きになったらキスする、そんな約束を待って、もう何週間か経つ。前に晴は「好きだ」と伝えてくれたけど、キスはしてくれなかった。
尻込みしているのか、それとも怖いのか。あるいはたんに忘れているのかもしれない。
最後の可能性の方が高いなと思えば、美月としては遺憾だしそろそろ限界も近い。なので、晴に早く気付いて欲しかった。
自分たちは夫婦なのだから、もう我慢しなくていいのに。
我慢なんて、して欲しくないのに。
「……自分からいくのはアリかな」
そう思ってしまった。
美月はもう待ち詫びていた。
大胆でも、自分らしくなくても、なんでもいい。もっと晴に触れたい。触れてみたい。
――もっと、晴を好きになりたい。
「よし」
夫婦なんだから、遠慮はしなくていいと思った。だから――素直に行動してみる。
▼△▼△▼▼
「晴さん」
お風呂から出た美月の頬は蒸気していた。髪もタオルで拭いただけで、まだ乾かしていない。
湿った髪は艶めかしく、そしてシャンプーの甘い香りが自らの鼻孔を擽る。そんな良香を晴にも届けるべく歩み寄れば、晴はスマホから視線を外して美月を捉えた。
「なんだ?」
小首を傾げる晴に、美月は無言のままカーペットに尻もちを着いた。そして顔を上げれば、
「今日は楽しかったですか?」
「思いのほか充実だった」
「なら良かったです」
問い掛けに、晴はこくりと頷いてくれた。
晴の肯定を受ければ、美月も安堵が胸に広がる。
彼の役に立てて、そして楽しんでもらえたら重畳だ。勇気を出してデートに誘った甲斐があるというもの。
「私も楽しかったです」
「俺は付いて行っただけだがな」
「それでも満足でした。それと洋服も買ってくれてありがとうございます」
「あれは一番楽しかったからな」
そのお礼、と晴は美月に洋服を買ってくれた。晴がコーデしたものだが、流行と美月の好みを取ったお洒落な衣装だったので、美月も気に入った。少しだけ、女として負けた気がしなくもないが。
そんな嫉妬よりも、やはり断然楽しさが勝って。
「俺としても、お前に不満がないなら重畳だよ」
「不満なんてありません。それに、晴さんが充実した休日を送れただけでも私としては本望でしたから」
何かと小説の事を考えている執筆中毒者だ。息抜きになればいいなと思ったが、結局このデートも晴は小説の事を考えていた。たぶん、この人の頭から小説を切り離すことはできないのだと諦観を悟ってしまった。
でもいつか、晴の頭を自分でいっぱいにしたい。
そんな子どもみたいな欲求を胸に抱える美月に、晴は口元を緩めると、
「良い息抜きになった。ありがとな」
そう感謝しながら頭に手を置いてきた。
「(ズルいですよ、本当に)」
美月が不安を感じる度に、晴はいつも安寧をくれる。彼はエスパーなのだろうか。
嬉しさ。その喜びを噛みしめていると、晴は「ほれ」と手を離した。
「さっさと髪乾かせ」
「――――」
促してくる晴に、美月は顔を伏せたまま、頷かなかった。
――やっぱり、もう待てない。待ちたくない。
俯いた美月に、晴は怪訝に声をひそめる。
「どうした?」
「……やっぱり、もう待てません」
「何か言ったか?」
ぽつりと呟けば、晴は上手く聞きないと顔を近づけてきた。
この感情は、もう伝えないと自分を狂わせてしまう。
溢れてしまって、止まることはないから。だから美月は――
「晴さんが悪いんですよ」
「――んっ⁉」
その無警戒な唇を――自分の唇で奪った。
ずっと我慢させる晴が悪いから、仕方がない。
「――ん」
たった数秒。しかし確かに交わった唇は、彼の熱を伝わせてくれる。
離した唇からは、徐々にその熱が儚く失われていった。
恍惚とした瞳に、驚愕する晴が映っている。
目を剥く晴の袖をきゅっと握りながら、美月は紫紺の瞳を揺らめかせると、
「ファーストキスの味はいかがですか?」
「~~~~っ」
美月の唐突で大胆な行動。
それをくらった晴は、初めて動揺をみせた。そんな晴に、美月はしてやったりと満足げに微笑んだのだった――。
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