第50話 『 あ、口許にソースがついてますよ 』


 女性の服選びに付き合う男性は大抵暇そうだったりくたびれた顔をするが、晴はというと、


「ふむ……今はこういう服が流行ってるのか」


 めちゃくちゃ楽しんでいた。真剣に眺めている様がなんだかおかしくて、美月は思わず笑みが零れてしまう。


 晴は自分の服に興味はないが、女性ものには興味があるようだ。そっちの趣味があるという訳ではなく、純粋に小説に使えるから、との事らしい。


 まじまじと洋服を眺めている晴に、美月は両手に服を持ちながら歩み寄ると、ありがちな質問をぶつけた。


「晴さん、こっちとこっち、どっちがいいですか」


 美月が晴に差し出したのは、水色とパンジーのブラウスだ。


 もうすぐ季節は夏を迎えるので、衣替えに一着欲しかった美月はせっかくなので晴に選んでもらう事にした。なんだか夫婦みたいだし、それに晴の服の好みも知りたいので選んでもらうのは都合がよかった。


「こっち」

「あら意外。すぐに決めましたね」


 晴が選んだのは、水色のブラウスの方だった。あまりにあっさり決められたので適当に決めたのかと思ったが、


「こっちのが清楚感が強いし、それに夏服として合ってるだろ。この柄ならボトムスの色にも組み合わせやすい。黄色のスカートとかありだな。まぁ、一番無難なのは白だと思うがな」

「……晴さん、詳しいですね」

「作家だからな」


 当然のように答えた晴に、美月はぱちぱちと目を瞬かせる。


「小説家だと服に詳しくなるんですか?」

「そういう訳じゃない。ただ、キャラクターを作る上で服っていうのはなくてはならないものだからな。デートシーンなのに、裸で外に出させる訳にはいかないだろ」

「即行で警察に捕まりますね」

「だろ」


 架空の話だが、街で裸で歩いている登場人物を想像すると苦笑してしまった。

 だから、と晴は続けた。


「おのずと、服についてそれなりに知識は付くんだよ。現実ものを書いてる作家は特にな。メイクは人に寄りけりだけどな」

「ファンタジーと現実もので何が違うんですか?」

「リアリティーだ。描写が細かい方がより読者が連想しやすくなる」


 例えば、と晴は水色のブラウスを指さすと、


「『美月が晴に差し出してきたのは水色のブラウスだ。ひらひらが可愛く、淡い色が清楚感を与えるが、肩が出ている形状で大人びた印象も与えさせてくる。年頃の女の子らしい好みとチョイスだ』……みたいな感じだな」

「……すごい」


 よく即座にそんな説明文が作れるものだと、思わず感服してしまった。


 ただの執筆バカではなく晴は本当に【稀代の天才】なんだと思い知る。そう呼ばれるだけの実力をみせつけられて、美月は晴がプロ作家なんだと再認識させられた。


「これくらい普通だぞ」

「それは絶対ないと思います」


 慢心も奢ることもなく平然と返した晴に、美月は力強く首を横に振った。少なくとも美月には真似できない芸当だ。そして、おそらく晴の実力は同業者たちの方が痛感させられているはずだ。


 晴の天才ぶりを肌に感じて、圧倒されながら美月は晴が選んだ方を見つめると、


「じゃあ、これにします」

「買うのか」

「はい。晴さんが選んでくれましたから」

「なら俺が買ってやるよ」


 懐がいいなと思いつつも、美月はふるふると首を振る。


「これは私が買わないと意味がありません」

「なんでだ?」

「みなまで言わせないでください」


 好きな人に選んでもらった服は自分で買って、そして魅せつけたいのだ。その方がさらに思い出深くなるから。


 甘えろと言うが、これだけは甘えてはいけない。


 頑なに主張を続ければ、晴は嘆息して、


「まぁ、お前の好きにしろ」

「はい。好きにします」


 諦観した晴に買ってこいと促されて、美月はレジへ向かう――わけもなく。


「せっかくなのでもう一着買いたいです」


 男性と服を選べるのは貴重だし、こんなにも親身に見繕ってくれるのも珍しいので楽しくなってしまった。


 そう言えば、晴は「いいぞ」とすんなり肯定してくれた。


「俺もまだ見たいし、どうせならお前でコーデやってみたい」


 凄く面白そうな提案をしてきた。


「いいですね。やりましょう!」

「引かれると思ったけど案外乗り気だな」

「男の人が共感してくれるのって貴重なんですよ。それに、私が楽しんで晴さんも楽しむのがデートですから」


 二人で楽しんでこそ二人でいる価値があるから。だから美月は晴にも買い物を楽しんでほしかった。


 晴が乗り気なら、尚更。


 そんな美月の思いに、晴は口許を緩めると、


「俺はお前が楽しんでるだけでも満足してるけどな」

「むぅ。今それはズルいです」

「何がだ?」


 晴が美月の頭に手を置いて、想いを吐露した。不意打ち過ぎて、顔が真っ赤になってしまう。


 恥ずかしくて、嬉しくて、甘くて、溶けてしまいそうで――鼓動が弾む。


 幸せを噛みしめながら、美月は微笑を浮かべると、


「私も、晴さんに満足して欲しいです」


 夫と同じ願いを言の葉に乗せるのだった。


 ▼△▼△▼▼



 結局服選びで二時間ほど消費してしまい、気付けば午後を過ぎていたので二人はフードコートにて昼食を取っていた。


「お前ってウィンスタやってないの?」


 焼きそばを食べながら聞いてきた晴に、美月はパスタを咀嚼してから答えた。


「やってますよ」

「のわりには写真撮らなかったな」

「撮ってどうするんですか」

「てっきり『旦那とデートしに来ました♪ 昼食もラブラブ~』みたいなことを写真とともに乗せると思ったんだが」

「しませんよ。それだと晴さんが既婚者だってバレちゃうじゃないですか」

「べつに隠してる訳じゃないからいいぞ。誰も気にせんだろ」

「それでもしません」


 つん、とした声音で否定する。


 そもそもウィンスタは鍵アカなので友達以外は閲覧できない。トイッターのアカウントはそうではないが、こちらはたまにしか呟かないのでフォロワーもあまりいない。たしか【200人】くらいだった気がする。


 そして、晴はもう少し自分が有名人だと気付いた方がいい。


「私より、注意すべきなのは晴さんの方では?」

「なんでだ?」


 本人はまったく気づいていないので、仕方なく気付かせてあげる事にした。


「晴さん、トイッターのフォロワー数何万ですか?」

「10万人くらい、だった気がする」

「15万人です」


 晴は美月の桁違いのフォロワー数を誇っていた。


 こんな表情筋が乏しい男ではあるが、ラノベ界隈では晴は人気者なのだ。


 大袈裟だな、と晴は嘆息すると、


「その殆どは俺じゃなくて作品に興味がある人たちだよ」

「その作品だって、晴さんが書いてるんでしょう。なら、その人たちは晴さんのことが好きで応援してると思いますよ」


 そう言えば、晴は目を丸くした。

 唖然としたように硬直すると、数秒後にハッと失笑をこぼした。


「お前の言う通りだな。なんであれ、応援してもらってることに変わりはない」

「分かればいいんです」

「なんでお前が嬉しそうなんだ」


 晴が眉根を寄せるが、美月にとっては晴が自覚してくれるというのは嬉しい事なのだ。


 私の旦那は凄い人なんだと、妻としても誇らしく思えるから。こういう感動も、結婚したらついて来るのかと気付く。


「(晴さんは私よりも凄い人。そんな人を独り占めできるのは今だけ)」


 ならば写真をSNSにアップするよりも、こうした一緒にいる時間を独占できる方が悦に浸れる。妙に絡まれるよりも気分が楽だし、それに二人きりの時間は誰にも邪魔されたくない。……写真はあとでこっそり撮ろう。


 子どもっぽいけれど、でも好きだから仕方ない。美月はズルいのだ。卑怯でズルで悪知恵が働いて――そんな本性を隠すのは、晴と一緒にいたいし、イチャイチャしたいから。


「(ごめんなさい、晴さん)」


 内心で謝るが、顔には三日月が描かれていた。


 晴を振り向かせられるなら、振り向いてもらえるなら、どんな努力もどんな卑怯な手を使ってもいいと思えた。こんな感情は初めてだが、存外心地の良いものだった。

 いつか、晴が小説よりも美月の方に振り向いてくれるまで、美月は晴を誘惑し続ける。


 今はその一歩目。だから勇気を出して、


「あ、晴さん。口元にソースがついてますよ」

「ん? どこだ」

「ここです」


 晴がフキンを取ろうとするよりも早く、美月は手を伸ばした。その指先が晴の頬に触れて、ソースを絡めとる。


 くすりと微笑みながら、美月は指先で取ったソースを自らの口元まで運べば、そのままはむ、と舐めた。


「お前……往来でよくそれをやる度胸があるな」


 呆気に取られる晴と、周囲の視線を受けてなお、美月は嫣然と微笑むと、


「だって貴方の妻ですから」


 自分の言葉を肯定するように、左手の薬指に填められた結婚指輪がキラリと輝いた。

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