第49話 『 反論は受け付けませんよ、あ・な・た 』
――デートがしたい。
日に日に、その想いが募っていく。
恋人という関係をすっ飛ばして婚約者となった時も、二人で出掛けたのはせいぜい近所のショッピングモールくらいだ。しかも一回きり。そんなのをデートと呼ぶ男は絶対にこの世から滅ぶべきだと思いつつ、嘆息する。
美月はもっと、晴とイチャイチャしたいのだ。
無論、あの男がそれとは無縁の生活を送って来た事は知っている。晴は〝彼女いない歴=人生〟の男だ。当の本人はその事実をまったく悲観していないが。
あの執筆バカの頭にも、一応は〝デート〟という単語はインストールされているはずだ。だってラブコメ作家だし、小説でもデートシーンを書いているし。
デートしたいが、誘っても断れる気がするのだ。「面倒くせぇ」と言いそうで。本当に言ってきそうでムカッとした。
がしかし、美月にも勝算はあった。
その根拠は、最近晴が美月に色々と気遣ってくれる事だ。
バイトのある日は迎えに来てくれたり、雨の日にはわざわざ傘を持ってきてくれたり、もっと素直になれと言ってくれたり――以前の晴からは想像もつかない気の回し方である。それが少し不気味ではあるが。
なので、美月は一度思い切って誘ってみようと決めた。
晴の言う通り素直になってみれば、想像以上の結果が得られる気がしたから。
何事も、変えようと行動しなければ変わらない――。
▼△▼△▼
「晴さん。お出掛けしませんか?」
「嫌だ」
休日。上目遣いで提案すれば、即却下された。
デートと言うと確実に嫌がられそうだったので迂遠な言い回しをしたのだが、それでもダメだった。
逡巡を返して欲しい気持ちでいっぱいになりながらも、美月は食い下がった。
「ほら、天気もいいですし。たまには外に出ないと」
窓に指を指せば青い空が広がっている。ここ連日ずっと雨だったので、久しぶりの快晴は美月にとっても世のカップルにとってもデート日和といえよう。
しかし、
「外にはお前を迎えに行く時に出てるし、ぜったい暑くなるであろう日の外に行くなんて拷問以外のなんでもない」
家でごろごろしてる方がマシだ、と女心が一ミリも分からない執筆バカはスマホに視線を移してしまった。
……むぅ。
「晴さんっ」
「なんだよ」
スマホに負けるのは妻としてどうなのかと、対抗心が芽生えて晴の手からスマホを奪う。
不機嫌そうな顔をする晴に、美月はぐいっと顔を近づけると、
「お出掛けがしたいです」
「なんでだ」
「理由なんてありません」
一緒に居たい事に理由なんてないし、晴と出掛けたい事に理由なんてない。強いていえば、もっと仲良くなりたくて、もっとイチャイチャしたい。
子どもみたいなワガママではあるが、そんなワガママを是としたのは晴だ。なら、責任は取るべきだ。
「私たち、同棲してからも、結婚してからもどこかに出掛けたことないじゃないですか」
「まぁ、お互い色々と忙しいからな」
「それはそうですが……」
美月にはバイトもあるが、今日はお休みだ。そして、ソファーでごろごろしているという事は、晴も暇ではないものの時間に余裕はあるはず。
ならば、美月としての選択肢は一つしかない。晴が執筆する気が起こるより前に家から引っ張り出す。
「どこか行きましょうよ。デートシーンの参考にしていいですから」
「先月で間に合ってる」
間に合わせるものか。
「それだけで足りますか? もっと色々なシチュエーションを体験した方が役立てられると思いますよ」
「……ぐ」
晴が少し揺らいだ。この男は小説を餌にすれば案外ちょろい事を知っている。
「ヒロインの洋服も、ネットよりも実際に見た方がよりイメージが付きやすくなると思いますよ」
「それはその通りだが。女性もの服屋は行きづらいんだよな」
「私がいるじゃないですか」
それならば晴も気軽に店内に入れるし、服を物色していても美月の服を見繕っていると周りは勝手に勘違いしてくれるはずだ。
むむむ、と晴がさらに揺らぐ。よし、あともう一押しだ。
「晴さんが好きな服も、なんでも着てあげますよ……」
「それはいい」
「なんでですかっ」
恥じらいを覚えながら言えば、それは真顔で却下されて腹が立った。
仕返しに腕をぺし、と叩きつつ、美月は必死に晴の説得を続けた。
「晴さんが忙しいのは知ってますけど。でも、たまにはもっと私に構って欲しいです」
「…………」
気づけば本音が零れていた。
ねぇ、と晴の袖を引っ張りながら、美月は潤んだ瞳を向けると、
「一緒にお出掛けしたいです。晴さん」
素直にお願いしてみれば、晴は気怠さそうに後頭部を掻いて「はぁ」とため息を吐いた。
「準備、出来てるのか」
「――っ」
諦観したように問いかけた晴に、美月は声にもならない歓喜を上げた。
舞い上がりそうな心を必死に抑えながら、美月は首を横に振る。
「まだできてません。でもすぐに準備します!」
「ゆっくりでいい。俺も何の支度できてないからな」
よ、と立ち上がる晴に、美月も慌てて立ち上がる。
「あ、あの……晴さん」
「なんだよ」
「あの、行ってくれるんですか?」
「嫌なら行かない」
「嫌じゃありません! すごく、凄く嬉しいです!」
そんな喜ぶことか? と晴は小首を傾げるが、美月にとっては嬉しい事なのだ。
喜ぶ美月を見守りながら、晴は腰に手を置くと、
「行先はお前が決めろ。お前の行きたい所でいい。ただし、あんまり遠い場所は嫌だ」
「はいっ。分かりました」
嬉しくて、嬉しくて堪らなくなる。
こくこくと頷けば、晴は支度をしに部屋へと向かっていく。
そんな夫の背中を見届けながら、美月は胸の前できゅっと拳を握り締めた。
――素直になってよかった。
小説の参考になるという条件が彼を動かしたのだろう。でもその中にも少しだけ、素直になった事も含まれているかもしれない。もしそうなら、素直になるのも悪くないと思えた。
「(やった。デートだ)」
兎に角にも、美月は晴とデートが出来る事となったのだった。
▼△▼△▼
素直になった美月の提案により、二人は数駅離れた複合型のショッピングモールに来ていた。
「こういう場所なら友達ともでこれたろ」
「晴さんとがいいんです」
晴と行くからデートなのであって、友達と来ればただのお出かけだ。美月はデートがしたいのだ。
早速女心をへし折りにかかる執筆バカに辟易としつつも、美月は晴の手を握った。
「今日は手、繋いでもいいですよね?」
「まぁ、デートだからな」
不安交じりに窺えば、晴は淡泊に返した。
「(晴さん。デートだって思ってくれてるんだ)」
晴がそんな意識を持ってくれていたと分かれば、俄然嬉しさは増して。
もっと強く手を握れば、
「むずむずする」
「もっとむずむずしてください」
背中を掻こうとする晴に、美月はくすくすと微笑む。
もう、美月と晴は夫婦なのだ。ならば、人目をはばからずくっつく事が出来る。これまでずっと晴は『警察に逮捕されるのでは』と怯えていたが、その必要はない。合法であり、夫婦として当然の行動だろう。
「(結婚して良かった)」
心底そう思う。これなら、もっと晴と親密な関係になれるから。
今日は夫婦として、デートをめいっぱい楽しみたい。そんな気持ちが溢れて、足が勝手に歩き出す。
先を行く体に、一歩遅れた晴が歩幅を合わせて付いて来てくれた。ヤバい、今凄く幸せな気分だ。
高揚が止まらない。
抑えきれない気持ちを隠さずに晴に振り向けば、
「晴さん、手を繋ぐの慣れましたよね」
「んあ。……まぁ、これくらいで動じはしないだろ」
でもやっぱり、まだむずむずはするらしいとの事。
「それは女性に慣れてないからでは?」
「それもあるが、やっぱり法ギリギリに触れていることを意識してしまう」
「まだ言う……私たちは夫婦なんですから、もう合法ですよ」
なので晴は捕まらない。というか、手を繋ぐだけなら例え相手が未成年でも捕まらないとは思うが。
そんな風に呆れていると、晴は「分かってる」と後頭部を掻いて、
「慣れるまでもう少し待ってろ」
「仕方がありませんね。それじゃあ、それまでずっと手を繋いでましょうか?」
「それは本当に勘弁してくれ」
「なんでですかっ」
「色々耐え切れないから」
晴が必死な顔で訴えてきて、美月は仕方がありませんね、と渋々受け入れた。だが、慣れるまで治療は必要だろう。ひとまず、初めのお店に入るまではずっと握っておくことにした。
そんな美月に、晴は嘆息すると、
「お前は俺と手を繋ぐの好きだよな」
「すき……想い人と手を繋げるなら誰だって嬉しいものです」
「そういうもんか?」
「そういうものです」
眉根を寄せる晴に、美月は世の女性を代表して頷いた。
「晴さんは嫌ですか? 手を握るの?」
「可もなく不可もなくだな。誰かと手を繋ぐのなんか……いや、なんでもない」
「?」
何か言おうとしたが、晴は途中で言葉を濁した。眉根を寄せれば、晴は平然とした顔で続けた。
「随分と久しぶりなだけだ。異性と手を握るのはな」
異性、とはおそらく母親の事だろうか。言葉を選び直したのに引っ掛かるが、そんな懸念はすぐに有耶無耶になってしまった。気のせいだろうと。
「晴さん恋愛経験ゼロですもんね」
「あ、今お前バカにしたな?」
「してませんよ」
「いやしてるな」
「してませーん」
ふふ、と笑いながら視線を意図的に逸らせば、晴が睨んでくる。
それから、美月は微笑みを浮かびながら晴を見つめれば、
「仕方がないので、今日は恋愛経験豊富な私が晴さんをリードしてあげます」
「それ絶対男が言う台詞なんだろうけど、乗った。俺を楽しませてくれよ、美月ちゃん?」
挑発すれば、晴が挑発され返してきた。童貞のくせに、と内心で晴を小馬鹿にすれば、美月はその挑発を受けるように、晴の腕に抱きつく。
「おま……これは流石に」
「なんですか? 反論は受け付けませんよ――あ・な・た」
狼狽する晴にお構いなしに、美月は顔を真っ赤にしながら小悪魔な笑みを浮かべるのだった。
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