第289話 『 もう既に嫁がいるのに、他の女まで堕とそうとしてる 』


「それでは撮影始めまーす」


 スタッフの声と共に、撮影が始まろうとした――その直前。


「……緊張してない?」

「んな訳あるか。少しだけしてる」

「はは。俺も」


 こういう場に慣れているようで、実はこの中で誰よりも緊張しているのは慎だった。


 普段は飄々としている彼も、この撮影が編集後に全世界に公開されると思うとやはりわずかに頬が硬い。


 そんな慎が、晴の顔を見ずにぼそりと呟いた。


「今日は晴が一緒にいてくれて助かったわ」

「やめろキモい」

「はは。ホント、晴はいつも通りだね」


 撮影開始寸前、二人は苦笑を浮かべる。

 そして――


「皆さんこんにちはー。MIX文庫ちゃんねる宣伝部……」


 カウントダウンが0になった瞬間。雫が小さく呼気を吐くと飛びきりの笑みを咲かせた。


 流石は生放送やラジオを多数経験しているだけあって、出だしから快調なスタートを切る雫。


 そんな雫に感服しつつ、OPは進行していく。


「本日の司会は私、伊織雫と……」


 雫が挨拶をしっかり決めた次に、バトンは晴に渡り、


「皆さんこんにちは。【微熱に浮かされるキミと】の作者、ハルです。それと……」


 ほい、と次のバトンを慎に渡し、


「【異世界召喚されたら最強剣士だった件】の作者、慎でーす」

「……さっきの緊張ぶりが嘘のようだな」


 どうやら何かのスイッチが入ったらしく、普段のように(二割増しにも見える)爽やかな笑みを浮かべる慎に、晴は思わず苦笑を浮かべてしまった。


 晴のこの表情はきっと編集者がカットしてくれるだろう、と胸中で懇願しながら、OPでの晴と慎の出番は無事終わる。


「はい! ということで、今回はMIX文庫で現在大活躍中のお二人をゲストに今話題のゲームを遊んでいきたいと思いまーす!」

「……はいっ。OPはオッケーです!」


 完璧と言っていいほど綺麗に締めた雫に、晴と慎は思わずぱちぱちと拍手を送った。


「やっぱり場慣れしてますね」

「えへへ。慣れているように見えて、内心すごく緊張してますよ。いつやっても慣れないです」


 それを見せないのが流石プロだ。

 撮影は一時中断して、今はスタッフたちがゲームを準備してくれている。

 その間、雫と晴は雑談を交える。


「でもハル先生、噛まずに挨拶できて凄かったです! 私なんか今でも生放送で噛んじゃうことがあるのに」

「あはは。ただ挨拶しただけですからね。緊張しているとはいえ、ここで噛んでたら撮影が進まなくなりますから」


 隣で無事にOPを取り終えて安堵しきっている小心者は触れないでいれば、雫は何やら晴に感銘を受けたように息を吐いていた。


「はぁぁ。ハル先生って、会うたびに思いますけど、凄く真面目な方ですよね」

「はは。真面目というより、失敗して迷惑をかけるのが嫌なだけですよ。だから必死に冷静さを取り繕って、それを自分に言い聞かせてるだけです」

「勉強になります!」

「べつに勉強になるようなことは何も言ってないですんけど……」


 雫の羨望がむず痒い。


 そうして雫と雑談をしている光景を、少しずつ緊張から解き離れていく慎は「女たらし」と恨めしそうに見つめていた。


▼△▼△▼▼



 今更だが、本日の撮影の内容を紹介しよう。


 撮影は全部で二本。一本は晴と慎のインタビュー動画で、もう一本は晴と慎でゲームをして、読者や視聴者に小説家という存在をより身近に感じてもらうという趣旨の動画構成になっている。


 そしてまず一本目の撮影は、後者のゲームプレイ動画の撮影だった。


「あれ、コントローラーが一つ足りなくないか?」


 テレビ画面の前に移動して、晴も慎もコントローラーを握ってさあ撮影が再開するぞといった直前、晴は雫が手ぶらであることに気付く。


 そんな晴の疑問に、雫は「足りてますよ」と返した。


「私は司会役なので、ゲームには参加しませんよ」


 苦笑しながら答えた雫に、晴は「そうだっけ?」と慎に確認。


「そうだよ。雫さんは司会に集中しないといけないから、ゲームするのは俺と晴だけ」

「…………」

「? どうしたの晴?」


 黙る晴に、慎が眉根を寄せる。

 数秒沈黙したあと、晴は慎に尋ねた。


「お前、今日ツイッチ持ってきてる?」

「え? ……まぁ、一応持ってきてるけど」

「ならそれ貸してくれ」

「何で……ってまさか晴」


 晴の思案をどうやら察したようで、慎が呆れる。


 スタッフも撮影が再開する寸前だったので困惑している最中で、晴は自分が持っていたコントローラーを押し付けるように雫に渡すと、


「せっかくの機会なので、雫さんも一緒にゲームやりましょう」

「――え」


 突然の提案に驚く雫に、晴は柔和な笑みを浮かべながら言った。


「俺と慎だけゲームして、女性一人に司会を任せるのもなんだか忍びないですし、それに、ゲームは皆で遊んだほうが盛り上がるでしょ?」

「……でも」

「司会は任せてしまうかもしれませんが、他は俺と慎でいくらでもカバーできますから」


 ですから雫さんも一緒にやりましょう、と語り掛ければ、彼女は呆気に取られたまま「……はい」とこくりと頷いた。


 それを見届けると、


「すいません。一度会議室に戻るので、撮影再開するのもう少し待ってもらってもいいですか?」


 スタッフがぎこちなく頷いて、晴は「ありがとうございます」と頭を下げる。


 それから慎にお前も来い、と顎で促すと、彼は嘆息交じりに歩き始めた。


 慎と共に会議室に向かおうとした最中、パタパタと文佳が小走りで駆け寄ってくる。


「す、すいませんハル先生。私としたことが、そこまで気が利かなくて」

「四条さんが気にすることなんてないですよ。トラブルって訳でもないですし、それに、これはただ単に俺のわがままですから」

「……そういうところが本当に好きですぅぅ!」


 そう言えば、何故か文佳は声にもならない悲鳴を上げた。


 突然奇怪な行動を取る文佳に驚いていれば、


「うわぁ。なにこのラブコメ作家。もう既に嫁がいるのに他の女性まで堕とそうとしてるー」

「何言ってんだお前。ほれ、さっさと取りに行くぞ」


 慎も訳の分からないことを言い出して、晴は顔をしかめる。


 それから晴はもう一度スタッフや雫たちに時間取らせてすいません、と頭を下げると、慎と急いでゲーム機を取りに行く。


 そんな晴の背中を見届けていた撮影スタジオの一同はというと、


「「……やだ惚れそう」」


 晴の紳士な対応に、女性だけでなく男性までもがきゅん、と胸を打たれたのだった。

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