第185話 『 こういう時くらい、見栄を張らずに私を頼ってください 』


いつの間にか苦痛が和らいでいることに気が付けば、晴は重い瞼をゆっくりと開けた。


「――美月」


 ふと隣に気配を感じて視線を向けてみれば、そこには居るはずのない少女が居た。


「あ、目が覚めましたか」


 ほっと安堵を顔に浮かべる美月に、晴は頭痛に奥歯を噛みしめながら身体を起こす。


「まだ寝ててください」

「そんなことよりお前、なんで居るんだ」


 もう一度ベッドに寝かせようとする手を払いつつ、上半身を起こした晴は美月にそう問いかけた。


 もしかしたらすでに十六時頃なのか、と思惟が過ったものの、手元にあったスマホを点ければ時刻はまだ十二時を回った頃だった。


 それが答えのようなもので、美月はちろりと舌を出しながら白状した。


「貴方があまりに心配で早退してきちゃいました」

「何やってんだお前」


 はぁ、とため息を吐けば、美月は気にも留めずに言った。


「たかが半日休んだ程度で何も言われませんよ。それに、妻が体調不良の旦那を気遣うのは当然だと言ったでしょう」

「だからって……俺も余計な心配は無用と言ったろう」

「余計じゃありませんよ」

「――っ」


 わずかに、怒りを覚えるような声音。

 真っ直ぐに晴を見つめる紫紺の瞳には、憂いと憤りが混濁しているように見えた。


「こういう時くらい見栄を張らず私を頼ってください。何の為の夫婦なんですか」

「…………」


 何も言い返せないことをいいばかりに、美月は晴に説教を始める。


「そもそも心配するな、と言いますが、貴方の普段の私生活からしてそれは無理な要求ですよ。日頃から執筆ばかりして私が体調管理しないとダメダメなくせに、どの口が偉そうに言うんですかこの口ですかっ」

「いはいいはい……頬を抓むのやめれ」


 怒りを露わにする美月が頬を抓ってくる。

 病人にも容赦ない妻は数秒経ってようやく手を離すと、やれやれと肩を落とした。


「いいですか。夫婦は助け合ってこその夫婦なんです。私が辛い時は貴方が助けて、貴方が辛い時は私が助ける。それが出来なきゃ即離婚です」

「はい」

「分かったら寝るっ」

「あぐっ……もうちょっと病人に優しくしろよ」

「病人なら病人らしく素直に言う事を聞くっ」

「……うぃっす」


 ぷりぷりと怒った風に頬を膨らませる美月。これ以上無駄口を叩くのは避けようと瞬時に察した。


 半ば無理矢理に晴をベッドに寝かしつけたあと、美月はじぃー、と晴を凝視していた。


たぶん、晴を見張っているのだろう。


「……看病というより監禁な気がする」

「何か言いました?」

「いえ何も」


 凄まじい圧だった。


 口を開くことも許されない状況に胸中で『解放してくれッ』と懇願していると、美月が晴の顔色を窺いながら訪ねてきた。


「身体の調子、どうですか?」

「まだ気怠い。でも、寝る前よりは良くなった気がする」

「そうですか。熱、測ってもいいですか?」

「ん」


 淡泊に返事すれば、美月から体温計を渡される。

 それを脇に挟んで数秒もすればピピッと電子音が鳴った。


「何度だ?」

「三十八・四℃です。完璧に風邪引いちゃいましたね」

「そうか」


 困った風に吐息する美月に、晴も自身に不甲斐なさを覚えながら嘆息する。


 熱は上がり気怠さもあるが、身体は不思議と楽だった。これも寝たおかげかもしれないが、やはり一番の理由は美月が傍に居てくれているからな気がした。


 彼女の顔を見た途端、不安は消えて胸に安堵が広がっていて。


「……心配してくれてありがとな、美月」

「ふふ。どういたしまして」


 ようやく感謝を伝えれば、美月は優しい笑みを返してくる。

 そして気づけば、晴は美月の手を握っていた。


 最初は目を見開いた美月も、きっと晴の心情を察したのだろう。すぐに握り返してくれた。


 ふ、と自然と微笑みがこぼれれば、晴はぽつりと呟いた。


「風邪を引いた時、誰かが傍にいてくれると安心するもんだな」

「ね。私が居て心強いでしょう?」

「安心する」

「弱ってると素直に感謝の言葉が出てくるものですねぇ」


 可愛い、と微笑む美月。


「ちゃんと私が看病してあげますから、貴方はゆっくり休んでください」

「いつも悪いな。世話かけて」

「そんなの今更ですよ」


 夫婦なんですから、と優しい声音で美月は言った。


「最近は執筆頑張ってたから、その反動が出ちゃったのかもしれませんね」

「そうかもな」

「私も色々と見直さないとダメですね。もっと栄養価のあるものを食べさせてあげないと」

「お前が反省することなんて何もないだろ。むしろ、これ以上食べさせたら旦那が肥えるぞ」

「存分に肥えてください。太っても愛してあげますから」

「自分は体型維持してるくせに」

「当たり前でしょう。貴方にだらしない姿なんか見せられませんよ」

「お前が太っても愛してやる」


 苦笑交じりに言えば、美月は「よろしくお願いします」と悪戯な笑みを浮かべながら返した。


 それから、美月は紫紺の瞳を細めると、


「ちゃんと風邪を治して元気になったら、その時はまたいっぱい私に愛情を注いでください」

「あぁ。看病された分、きっちりお返ししてやる」

「ふふ。それならしっかり看病してあげないとですね」


 これは早く完治しないと晴が大変かもしれない。


「病み上がりでハードなことはさせるなよ?」

「させませんよ~」

「ニヤニヤしながら言うな。はぁ、やっぱり一人で治すか……」

「そんな寂しいこと言わずに。ほら、今から妻お手製のお粥作ってきてあげますから」

「マジか」

「……食欲はあるみたいですね」


 食いつきをみせれば、美月は頬を引きつらせた。


「お腹空いた。メシ食いてぇ」

「……貴方、本当はとっくに元気なんじゃないんですか?」

「何言ってんだ。身体は怠いし頭もまだ痛い。でも不思議だな。お粥と聞いた途端お腹が空いてきた」


 晴の言葉に呼応してか、お腹もぐぅぅ、と音を鳴らした。

 そんな晴に、美月はやれやれと肩を落として、


「本当に貴方という人は……待っててください。美味しいご飯。作ってきてあげますから」

「ん。待ってる」


 誰かが傍にいること。

 その安心感と温もりに浸りながら、晴は美月に看病されたのだった――。

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