第45話 『 四条文佳が守らねば⁉ 』
美月の存在により大いに荒れた精神だったが、会議が始まると共に冷静さを取り戻していった。
そしてかれこれ二時間。会議はとくに難航する事なく無事終了を迎えた。
「では、この方向で話を進めていきましょうか」
「ありがとうございます」
晴から渡されたプロット見やりながら満足げに微笑めば、晴も柔和な笑みを返した。
今日も笑顔素敵、という感想は胸にだけ留めて置いて、文佳は感慨深そうに吐息した。
「【微熱に浮かされるキミと】もいよいよ最終章ですか」
「はい」
以前の会議から、晴とはどういう展開で終わりを迎えるかは相談していた。そして、今日渡された資料と次の巻にあたるプロットを見て、この作品がどういう流れでクライマックスを迎えるかの具体案を貰った。
ラブコメ作家・ハルらしい終わり方だと思った。だから文佳は余計な口出しをせずに、彼が思うままに書いて欲しいという気持ちを尊重した。
きっと晴ならば、最高のエンディングを見せてくれると、担当者として信じたのだ。
「長いようで、あっという間でしたね」
「そうですね」
文佳がこの作品に関わったのは途中からだが、それよりも遥か前にこの作品に出合っている。一読者として、ファンとして、担当者として、一言では表し得ない感情が胸に奔流している。でもその感情は、晴の方が感じているはずだろう。だって晴は【微熱に浮かされるキミと】の生みの親なのだから。
どんな小説家であれ、自分の作品に愛情を持っていない小説家などいないのだ。
それを裏付けるように、晴は安寧のような、けれどどこか物寂しそうな顔をしていた。
しかし、流石はプロ作家。一瞬で思考を切り替えると、凛然とした眦を向けてきて、
「四条さん。これまでこの作品に付き添ってくれてありがとうございます」
「や、やめてくださいハル先生! まだ作品は完結してないんですから!」
そんな感謝を伝えられれば文佳も感涙せずにはいられなくなってしまう。
この数年間が走馬灯のように脳裏に過ってきて、思わず目頭が熱くなった。本当に、泣きそうになった。
慌てて袖で目を擦れば、文佳は垂れかかった鼻水を啜って、
「まだ作品は完結してないんですから、気は抜けませんよ!」
「はは。その通りですね」
脇を締めて気合を入れれば、その様に晴が可笑しそうに微笑を浮かべた。
それに胸がキュンッと締まりつつも、文佳は胸を抑えながら、
「では、今日の会議はこの辺りで終わりにしましょうか」
「そうですね。お疲れ様です」
「他に連絡する事や方向性に迷ったらいつでもメールください」
「そうさせてもらいますね」
爽やかな笑みに、文佳は担当者という枠を超えてもっと献身的になってしまいそうになる。
「(いかん。相手は既婚者。既婚者なのよ文佳⁉)」
晴の次巻の内容はしっかり頭に収まりつつも、しかし一週間前に突然報告された結婚したという事実だけは未だに消化できずにいた。
「(くっ⁉ せっかくハル先生と二人きりというラブコメ空間にいるのに全然気分が上がらない! やはりあの女狐のせいか⁉)」
厳密にはこの家にいるのは三人だが、リビング空間という意味では二人きりは正しい。しかし、会議が終わった瞬間にまた件の美少女が頭をチラつく。それはもう、何度も。
「……ハル先生」
「はい、なんでしょうか?」
会議が終わってひと段落ついていた晴が、文佳の声音に小首を傾げる。
文佳は努めて冷静に、できるだけこの嫉妬心が伝わらないように語調を落として訊いた。
「つかぬ事をお聞きしますが、奥様とはいつ出会われたんですか?」
そう質問すれば、晴は明らかに戸惑った。
それもそうだろう。だってこの質問は、仕事に関係なければ完全に文佳の私情なのだから。しかし、これを聞かずには帰れない。
もう一度、平常心を保ちながら問うた。
「ハル先生のプライベートに担当者の私が口を出すのもおかしいとは当然理解してます」
「いえ、そんなに大仰にならなくてもいいですから。みつ……妻と出会ったのは先月です」
「先月⁉」
目が飛び出るかと思った。というか飛び出た。
「(私は出会って先月の女に負けたのか⁉)」
その事実の衝撃もさることながら、そんな出会って間もない女性に負けた自分に一番不甲斐なさを覚えてしまった。
そんな驚愕に打ちひしがれていると、晴は「あはは」と後頭部に手をあてながら、
「やっぱり驚きますよね。自分でも驚いてますよ」
「え、えぇ……ま、まぁハル先生の生活を管理する義務も規則も私にはないので、全然好きにしてくれて構わないですけど……でも先月かぁ」
どうりで何の報告も入らない訳だし、事前に情報が届かなかった訳だ。晴のブログは常にチェックしているが、女がいるような気配はなかった(元々更新が少ないのもあるが)
「(出会って先月ってことは、付き合う過程とか諸々すっ飛ばして電撃結婚したってことか⁉)」
あの社内でも〝堅実な男〟と女性陣から称されていた晴が、まさかそんな大胆な行動力をみせるとは想像もしていなかった。だから文佳はうつつを抜かしていたというのもあるが、それにしても誤算というか、想定外である。
「(これは、事情を知らないといけないのでは⁉)」
やはり、晴があの少女に何か吹き込まれたのかとよからぬ想像をしてしまう。
だって先月に出会った女と結婚だぞ。そんなの、疑いたくもなるし、怪しいとも勘ぐってしまうし、何よりもこれでは文佳の気が収まらなかった。
「(ハル先生の小説活動と人生は、この担当編集者である四条文佳が守らねば!)」
謎の責任感に促されるまま、文佳は晴にニコリと笑うと、
「ハル先生」
「何でしょうか?」
「ハル先生の担当者として……いえ、これからのラノベ業界の為に、是非奥様とハル先生のお話をお聞きしたいのですが。是非奥様とご一緒に」
適当な理由で美月を引っ張り出そうとすれば、当然ながら晴は難色を示した。
「え、俺たちの話ってこの業界に何か影響ありますかね?」
「ありますよ。もしかしたら、その話のおかげで私もハル先生の次回作のアイディアが生まれるかもしれませんし、ハル先生本人もそれがきっかけで新しい作品が創れるかもしれませんよ?」
自分でも思わず「乗せるの上手いな」と思ってしまうほど上出来な口上だった。
そんな文佳の自画自賛を肯定するように、晴は「確かに」と顎に手を置いて考え込む。あともう一押しか。
「全然気軽で構いません。会議でもないですし、ここはハル先生のご自宅なので編集ブースより気楽に話せると思います。それなら奥様も緊張しないと思いますし」
ここで妻の気遣いをみせることで、晴を納得させやすくする。
どうしても美月の事が知りたい文佳の巧みな誘導に、晴はついに、
「分かりました。妻を呼んで来るので、少し待っていてください」
「はいっ。ありがとうございます!」
――フハハッ! 落ちた!
満面な笑みの裏に真っ黒な笑みを隠れさせて、文佳は頷いた。
なんとも下衆なやり口だが、美月を引っ張りだせるなら卑怯でも何でも構わない。
「(必ず化けの皮を剥いで、ハル先生の目を覚ますんだから!)」
妻を呼びに向かった晴の背中を見届けながら、文佳はそう意気込むのだった。
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