第94話 『 あとでサイン頂戴ねっ 』
挨拶や雑談もほどほどに、今は華に自宅を案内していた。
「ここが晴くんの仕事部屋なのねー」
「殺風景な部屋ですけどね」
「そんなことないわ。ザ・小説家といった感じの部屋だわ」
ぐるぐると部屋を見渡す華は、新鮮だと瞳をキラキラさせていた。
お世辞を受け取りつつも、晴は改めて自分の仕事部屋を俯瞰して見てみる。
「(やっぱ、殺風景な部屋だな)」
小説家の執筆スタイルは当然個々で異なるものだ。
例えば、執筆に集中する為に本と必要最低限の家具しか揃えない集中型タイプ。もう一方はフィギュアや玩具など、自分の好きなものに囲まれながら執筆するテンションを維持するタイプ。
晴は前者で、慎は後者だ。
故にこの部屋は本当に味気ない部屋なのだが、華はどうやらお気に召してくれたようだ。
「いいわねー。本がたくさんある部屋」
「華さん、本好きなんでか?」
「えぇ。晴くんの小説もちゃんと買ってるわよ! あとでサインも頂戴ねっ」
「それは……なんだか恥ずかしいです」
親指を立てる華に、晴は複雑だと頬を掻いた。
知人に自分の作品を読まれるのは特段恥ずかしくもないが、自分の義母に作品を読まれていると知るれば羞恥心があるものだった。しかも殆どの作品はラブコメや恋愛ものだから、余計に後ろめたさがある。
「今の時代だと電子書籍のほうが便利だけど、こういう紙媒体の文章を眺めるのはいいわよね。なんというか、気分が落ち着くわ」
「はは。華さんの言う通りです」
「あら、意外と気が合うわね、私たち」
「……はは」
ガシッ、と腕にしがみ付いてきた華に晴はなんとも言えない表情になってしまう。
美月が見たら卒倒しそうな光景だが、晴は華を無理矢理引き剥がすことはなく彼女の言葉に首肯した。
電子では味わえない、紙特有の匂いと独特の雰囲気。ぺらぺらと紙をめくるのも物語を進めている気がするから、晴は断然紙媒体の方が好みだった。
好みを共感してくる人が身近にいると、やっぱり気分は上がるもので。
「よければ華さんに何冊か譲りますよ」
「あら、いいの?」
「えぇ。ちょうど家に本が溢れて整理しようと思ってたところですし」
売ろうか迷っていたが、こうして譲り受けてくれる人がいるなら是非とも貰って欲しい。
晴の提案に、華はすんなり頷いてくれた。
「それじゃあ、お言葉に甘えて何冊か頂こうとかしら」
「気に入ったものがあれば気軽に取っていってください。この部屋にあるものは全て読み終わっているものなので」
「そうなの?」
「はい。ここにあるのは参考用ですので」
参考用、と小首を傾げた華に、晴は「ええと」と説明した。
「文章とか単語とか、物語の構造は自分一人じゃどうしても限界があるんですよね。それを補完する為にも、他の作品を読むんです」
「晴くんでも限界を感じることあるのねぇ」
意外だと目を丸くする華に晴は苦笑。
「晴くん、すごく人気作家じゃない」
「人気作家だから、ですかね。いつも自分自身との戦いです」
丁度目についた一冊の本を手に取り、そして慈しむように触れながら続けた。
「俺は、たしかに面白い作品は書いている自信はあります。けど、本当はずっと疑問しか抱いてません」
「どうして?」
「本当に面白い小説って、この世には存在しないんですよ」
「――――」
朗らかな声音で言った瞬間、華は沈黙した。
一瞥し、驚いているなと分かっても晴は構わず自論を説く。
「小説とは、究極的には作者個人の欲求の塊でしかない。欲求を文字として可視化させたものが文章となり、物語となり、それが小説となりそう呼ばれる」
ただ非日常を味わいたくて小説を書く者。
ただ他人を喜ばせたくて小説を書く者。
ただ自己満足の為に小説を書く者。
ただ暇つぶしで小説を書く者。
小説とはまさに――利己的によって生み出された創作物にすぎない。
それが例え、どんな文豪であれ。
それが例え、どんな小説家であれ。
全ては、個の欲求に結論付けられる。
「利己的な欲求によって生み出された物語。それは他人からすれば超面白いものかもしれないし、超つまらない作品かもしれない」
「まぁ、人によって感じるものは違うからね」
「えぇ。だから、この世には面白い小説なんて存在しないんです。人気が出るか出ないかは所詮運で、人気が出ない作品だって、それを好きっていってくれる人がいる」
そして晴は、華に向かってずっと持っていた一冊の本を掲げた。
「例えばですけど、俺はこの作品が好きなんです。でも、一巻で打ち切りになってしまった。まぁ、一説によると作者本人が小説家を辞めたからって説が流れてるんですけどね」
「そうなのね」
華が少しだけ寂しそうな顔で本を見つめる。
ざっとあらすじを紹介すると、この本は青春群像劇のライトノベルだ。
不登校の主人公がある日突然、天界と呼ばれる場所から堕ちてしまった白銀の天使を助けて、そしてお互いに惹かれ合っていく。そんな作品。
――小説家・八雲ハルが小説に興味を持った始まりの作品だった。
「主人公とヒロインの葛藤とか儚さとか、すっごく丁寧に心理描写が描かれていて、風景とかの描写も圧倒されるほど上手いんです。その場に自分がいるみたいな感覚になって、心が躍る作品ってこういう事を言うんだな、って今でも思ってます」
臨場感を味わうとはまさにこのことだと、晴は身をもって体感させてもらった。
中学三年生の読書感想文でこの作品の事を書いたくらいには、晴はこの小説が好きだった。
読めば読むほど引きまれる、物語に圧巻されるとはこういう事なんだと、初めて晴に教えてくれた作品でもある。
いわば、この作品とその作家は、晴にとって人生の先輩のようなものかもしれない。
「絶対に人気があるんだろうと思ったんですけど、調べたらそこまで売れてなくて、あまり注目もされていないような作品でした」
「でも、晴くんはその小説が好きなのよね」
「えぇ。これは俺を小説の世界に引き込んでくれた作品ですから」
背表紙がぼろぼろになっても、ページが折れても、それでも今も大事にこの部屋にあるのは、晴の恩人のような存在だから。
この作品を見つけた、過去の自分を褒めたかった。
「自分で見つけて読んでみる。それが、面白い小説の定義だと俺は思います」
語り終えれば、華は紫紺の瞳を愛し気に細めていて。
「ふふ。晴くんらしいわね」
その慈愛の籠る双眸は、思わず愛する者と似重ねてしまうほどに瓜二つだった。
―――――――――――――
【あとがき】
明日は本来休載日の予定ですが、どうせ今日2話上げるなら明日更新しようということで明日も更新します。作者今週も休みなし!
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