第93話 『 旦那としてのモラルを教えてるだけですぅ 』
――そして翌日。
「お邪魔します~」
なんとも陽気な声で玄関を上がる女性に、晴は普段とは違う柔和な面持ちで応じる。
「狭い家ですが、どうぞ気楽にしてください」
「そんなことないわよ。とても立派なお家じゃない」
「ありがとうございます」
しっかり外面モードで眼前の女性――華に応じれば、その様子を不満げな顔で見てくる少女がいた。
「むぅぅぅ」
「なんでお前のお母さんが来てるのにそんなむくれてんだ」
ぷっくりとフグのように頬を膨らませる美月に眉根を寄せれば、後ろから愉しげな声が言った。
「晴くんを私に取られて嫉妬してるのよねー」
「そういうじゃないもんっ」
娘の思考を読み取ったかのように答えた華に、美月はそっぽを向いた。
「晴さんが他の女の人にはいつも優しい顔で対応するのはもう知ってます」
「お前にはぶっきらぼうで悪かったな」
苦笑すれば、晴は美月の頭にぽん、と手を置いた。
「でも、普段お前が見てるのが本当の俺だからな。それがどういう意味か、分かるよな?」
「――っ」
悪人のような顔して問い掛ければ、紫紺の瞳が大きく揺れる。
ぶっきらぼうで、不愛想で淡泊な晴。それがいつもの晴だ。
華や他の女性に向ける顔は美月には難しいかもしれないけど、しかしそれは晴が美月の前では自然体でいられるという証明で、信頼しているという証。
それはいつの間にか、晴が美月へと向ける信頼の証となっていて。
それを理解した妻は拗ねた顔をほんのりと朱に染めると、
「……分かりました」
「ん。分かってくれたならそれでいい」
こくりと、顔を隠しながら頷いた。
すっかり二人の世界に入ってしまえば、我に返った晴はやべ、と慌てて後ろを振り返った。
顔から大量の冷や汗が流れたのは、そんな夫婦の睦まじい様子を、後ろから涎を垂らして見守っていた義母がいたから。
「あらあらぁ。お義母さんの前でも平気でいちゃつくようになるなんて、本当に仲良くなったのねぇ二人とも」
ご馳走様、とご満悦気に微笑む華に、晴は「はは」と頬を引きつらせて、美月は顔を真っ赤にしたのだった。
△▼△▼△▼
そんな訳で晴宅へと来訪してきたお義母さん――華。
「二人が仲良くやっているようで私安心ね~」
「はは……それは良かった」
先程の会話を肴にする華に精いっぱいの造り笑顔で応じれば、晴は吐息したあと、
「華さんもお元気そうで何よりです」
「あらやだ。お義母さんて呼んでいいのよ晴くん」
「お母さん。晴さんを揶揄うのはやめて」
ジト目を向ける美月に、華はくすくすと微笑む。
「旦那を揶揄うのは妻の特権だから、かしら?」
「そういうじゃないから!」
テーブルを叩く美月は顔を真っ赤にしながら吠えた。
「素直じゃない子ねー」
「お母さんのばかっ!」
「(この母強えー)」
二人のペースを平然と狂わしてくる華に晴は戦々恐々としてしまう。
感嘆とさせられつつも、晴は気を取り直すように咳払いすると、
「お仕事、お休み取られたんですね」
華が大手企業で務めていることは知っているし、そこでバリバリ働いているキャリアウーマンだとも既知している。
なので、そんな華が連休を取るのは珍しい、と思っていると、華は「えぇ」と頷いた。
「これまではずっと仕事ばかりだったけど、たまには羽を伸ばすのもありかなって」
「いい考えだと思います」
ありがとう、と華は微笑みを浮かべた。
「それに、娘も私の元から離れちゃったしねぇ」
「それは……すいません」
わずかに哀愁を宿した瞳に、晴は頭を下げた。
けれどそれはすぐに華に制止されて。
「気にしなくていいのよ。二人が好きで結婚したんだし、思いのほか一人も満喫してるしね」
「大丈夫? お母さん」
「娘に心配されるほど脆いお母さんじゃありません。何年一人で貴方を育ててきたと思ってるの」
腰に手をあてて胸を張る華に、晴と美月はほんのりと口許を緩めた。
それから、華はウィンクすると、
「それに、美月の声が聞きたくなったら電話もするし、どうしようもなく会いたくなったらこっちに突撃するわ」
「えぇ。いつでも来てください。歓迎しますから」
「あらやだ。本当に紳士ね晴くんは。惚れちゃいそう」
「お母さん!」
真剣な空気を茶化した華に、美月が慌てて眉を釣り上げた。
キッと睨む娘の視線も気にせずに華はけらけらと笑うと、
「冗談よ。この年で再婚する気なんてないわ。私ももうすっかりおばさんだしね」
「何言ってるんですか。華さん凄くお綺麗だし、全然若いじゃないですか」
「あらどうしよう本当に落とされちゃうかも! 息子だって分かってるのに禁断の関係になっちゃいそう! 晴くん。娘より私と結婚しない? 体つきなら私、娘より立派よ」
「お母さん! 冗談でもそういうことは言っちゃダメだから⁉」
華の誘惑が本気ではないと分かっている晴は苦笑するが、美月はというと必死で母を制止していた。
「冗談だろ。母親相手になにムキになってんだ」
荒い息を吐く美月を落ち着かせようとすれば、怒りの矛先が晴に向いた。
「貴方も貴方ですよ。私という妻がいるんですから少しは発言を自重してくださいっ」
「華さんが綺麗なのは事実だし若いのも事実だろ」
「そういうところがお母さんを調子に乗らせるんです!」
一瞥すれば華は「うふふ」と不敵な笑みを浮かべていた。
「大丈夫。あの笑みは完全に俺たちを揶揄っている」
「そういう問題じゃないんです!」
「なら他にどんな問題があるんだよ」
「貴方はもう少し、無自覚に女性を口説いているという自覚を持って下さいっ」
「いやそんな覚え一度もないんだけど……」
「私は多々危機感を覚えてるんです!」
腕をぶんぶん振り回しながら叫ぶ美月は晴に指さすと、
「いいですか! 今後はお母さんであっても口説くような発言は禁止ですっ」
「束縛激しいぞお前」
「束縛じゃありませーん。旦那としてのモラルを教えてあげてるだけですぅ」
有無は言わせないという圧を向けてくる美月に晴は「……うぃっす」と頷く。
そんな夫婦の喧嘩の様子を、お義母さんは終始楽しそうに見届けていて。
「本当に熱々ねぇ。……クーラーの温度下げていいかしら」
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