第187話 『 私、我慢できなくなってしまいました 』


数日後。


「完全復活」

「良かったですね」


 時間を掛けて美月に看病されたこともあり、いつも以上に快復した晴。

 そんな晴に、美月はぱちぱちと拍手を送りながら呆れた風に言った。


「本当はもう少しゆっくりして欲しかったんですけどね」

「お前は過保護過ぎなんだよ。二日もあれば完治するものをその倍もかけるとかどんだけ心配性なんだ」

「病は完治させるのに越したことはないんです。貴方の場合、油断すればすぐに執筆しようとしますから」

「お前が学校行ってる間に書いてたけどな」

「……本当に貴方という人は」


 はぁ、と大きいため息が聞こえた。


 早退した翌日、美月は学校を休もうとしたがそれはさせなかった。理由としては、やはり彼女はまだ学生なので学業を優先させたかったこと。そしてもう一つは、彼女の監視の目があると執筆できなかったからだ。


 つまり、妻の目を盗む為に学校に行かせた。


「おかげでいい話も思いついた。これはストックしておこう」

「風邪は治っても執筆病はならないみたいですね……いっそそっちの治療を最優先にさせるべきだったかな」

「ふっ。不治の病だ」

「自慢げに言わないでください」


 まったくもう、と美月は肩を落とした。


 晴の執筆病には治療法がないので、この先も美月の看病が必須になるだろう。大変だな、と他人事のように呟きながら、晴は口に三日月を描くと美月の頭を撫でた。


「なんにせよ、だ。看病してくれてありがとな」

「それが私の務めですからねぇ」


 体調不良の晴を慮ってくれたこと。それにはしっかり感謝しないとならない。


 素直にその感情を吐露すれば、美月は素っ気ない態度をとりながらも口角が上がっていた。


 素直じゃないやつ、と胸中で呟きながら、晴は無言でもっと撫でて、と要求してくる妻に応じた。


「エクレアも貴方を心配してくれたんですよ。ちゃんとあの子にも感謝してくださいね」

「分かってるよ。お前にも、エクレアにも感謝してる」


 晴のことを案じてくれていたのは美月だけでない。我が家の大事な飼い猫も、晴をすごく心配していたらしい。


 そしてどうやら、晴の看病を経て美月とエクレアにもいくらか心境の変化があったようだ。


 以前は美月が近寄るとそそくさと逃げたエクレアが、時々美月の足元に近寄るようになった。相変わらず撫でようとすると逃げるが、何もしなければエクレアはじっと美月の傍でくつろいでいる光景を何度か目にする機会があった。


「いつの間にエクレアと仲良くなったんだ?」

「貴方を看病したおかげで、エクレアが私を認めてくれたようです」


 晴の風邪を治した功績を認められてエクレアが心をわずかに開いたらしい。


 美月とエクレアの距離が縮まったのなら風邪を引いて良かったな、そんなことを思っていると、不意に美月が袖を引っ張てきた。


「撫でるのは構わないですけど……これじゃまだ全然満足してませんからね」

「へいへい。ちゃんと看病してくれたお代は払うよ」


 不服げに双眸を細める美月に、晴は肩を落としながら答えた。


「何して欲しい?」

「ではまずキスを」

「ん」


 妻の要求通り、頭を撫でる手をそっと離すと晴はゆっくりと顔を近づけていく。


「「――んっ」」


 触れて、一瞬だけ。彼女の唇の柔らかさを味わう。


「……もっと」


 そう催促されて、間もなく晴は再び柔らかい唇と己の唇を押し付けた。

 今度は長く。数秒より、数十秒ほど美月の唇を堪能する。


「ふぅ。これで満足か?」

「むぅ。晴さんのイジワル」


 唇を離して問いかければ、美月は不服そうに双眸を細める。


 これだけでは美月は満足しない。そう知りながら問いかけているから、彼女の言う通り意地悪なのかもしれない。


「……まだ昼間なんだが」

「今日はお休みですよ」

「でも明日はバイトあるだろ?」

「午後からだから心配要りません」


だから、と継いで、


「ちゃんと貴方をお世話した分のお返しをください」

「随分と高くついたもんだ」

「触れられなかった時間分。きっちり埋めてもらいますからね」

「いつも埋めてるはずなんだけど……」

「足りません」

「どんだけ甘えたがりなんだ」

「妻ですから。それに、私をこうさせたのは貴方なんですよ? ですからちゃんと責任を取ってくださいね」


 ぎゅっ、と美月が晴の胸を掴んできて、シワが生まれる。


 たった数日構ってあげられなかっただけで、美月はとんでもなく甘えん坊になってしまった。


 やれやれと肩を落としながら、


「これからは今まで以上に体調気を付けなきゃ、ツケが凄いことになりそうだ」

「既に貴方は執筆病という不治の病を患ってるから、今更体調を気遣うことは難しそうですねぇ」


 先程の会話が仇になってしまった。

 バツが悪そうな顔をすれば、美月は小悪魔のような笑みを浮かべて、


「これからもずっと、貴方を支えてあげられるのは私だけですから。だから貴方は、支えられた分ちゃんと私に愛情を注いでください。そうじゃないと、家出しちゃいますから」

「それ卑怯だろ……んっ」


 文句も反論も返す間もなく、美月は予備動作なしに唇を押し付けてきた。それだけじゃ足りない。とでもいうように、より深い熱を送ってくる。


 堪った欲情を爆発させるかのように愛情を無理矢理注いでくる美月。


 満たして、満たされて――それでも足りない。


「ぷはぁ。晴さん。私、我慢できなくなってしまいました」

「……だろうな」


 とろん、と蕩けたような顔。蒸気した頬に、思わず生唾を飲み込んでしまった。


 今日は休日。明日もお休みだ。


 妻を寂しくさせた対価は、きちんと払わなきゃならないから、


「部屋、行くか」

「はい。行きましょう」


 頭をくらくらとさせるような熱。その熱に促されるように誘えば、美月も強く頷いた。


そして、部屋へ向かおうとした瞬間だった。突然美月が「あっ」と声を上げて。


「ねぇ晴さん。どうせなら私をお姫様抱っこしながら部屋まで連れてってください」

「腕折れるかもしれないな」

「そこまで重くありませんよ。失礼ですね」


 むぅ、と頬を膨らませる美月。

 それから、えいっ、と可愛らしい掛け声と共に両腕を首に回してきて。


「妻の要求に応えるのが夫の務め、ですよね?」


 そんなことを言われてしまっては、彼女の要望に応える以外の選択肢はない。


「はぁ。分かったよ。お望み通りお姫様抱っこしてやる。俺も興味あったしな」

「それは個人的興味……じゃなくて小説の為、ですよね?」

「そうだ」

「本当に貴方という人は……でも、今日は特別に許してあげましょうかね」


 上機嫌に微笑む美月に苦笑しながら、晴は美月をお姫様抱っこする。


「うぐ。やっぱりお……」

「軽いっ……ですよね?」

「はい。とても軽いです」

「ふふ。よろしい」


 重い、なんて言わさぬ圧だった。


 まぁ、晴も日頃肥えない為に鍛えてはいるから美月一人分くらいは余裕で持ち上げられた。ただ時間に限界はあるが。


「頑張ってお姫様を部屋まで運んでくださいね、王子様」

「誰が姫で誰が王子だ。女王と下僕の間違いだろ」

「誰が女王ですか誰がっ」

「おい暴れんなっ」


 腕の中で抗議する美月にバランスが崩れる。


 おっとと、と右往左往しながらどうにかバランスを取り戻せば、お姫様は大変不服そうにため息を吐いた。


「今のは減点ですね。女の子を運んでるんですから、もっと慎重にならないと」

「……お前っ」


 なんてワガママなお姫様だ。

 これは、今からたっぷり教育しないとダメらしい。


「ベッドに着いたら覚悟しとけよ?」

「ふふ。いったいどんなことをしてくれるんでしょうねぇ」


 挑発的に言えば、美月は悪戯な笑みを浮かべながら返してきた。

 本人としては晴にたくさんの愛情を注いでもらえると期待しているのだろう。


 だが、お姫様抱っこまでした挙句にワガママにも付き合った晴としては、愛情を注ぐよりも仕返しをしたくなってしまって。


 ニヤリ、と悪い笑みを美月に向けて言ってやった。


「ストップと言われても止めない」

「悪魔だっ⁉ ……お、お手柔らかにお願いします」

「そういう言いつつもっとと要求してくるくせに」

「そ、そんなエッチなことしてませんからっ」

「ほほーん。なら今日自分で確かめるといい」

「い、いいですよ。絶対に言ってないことを証明してあげます!」


 喧嘩というか、惚気というか。そんな会話を交わしながら、ベッドへ向かっていく。


 それから夫婦は仲良く、今夜も睦まじい時間を過ごすのだった。


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