第239話 『 私が初めてってことだ 』


 気まずい。

 千鶴に呼び止められたその後、冬真は彼女と共に体育館裏にいた。


「……抜けだしてきちゃったけど、もうヘルプはいいの?」


 ようやく口を開いた千鶴に、冬真はほっと安堵しながらぎこちなく頷いた。


「う、うん。だいぶ楽になったからもういいって。それと、午後は少し遅く来てねって言われちゃった」


 一人に負担をかけるのはダメ! と念押しもされたので、時間通りに来ても押し返されるだけだろう。なので、ここはお言葉に甘えて少し遅れていこう。


 それを聞くと、千鶴は「そっか」と微笑みを浮かべて、


「冬真が頑張ったおかげで、クラスは無事に回ってるわけだ」

「大袈裟だよ。僕がいなくても、寺崎さんたちならどうにかしてただろうし」

「でも、冬真が手伝ったことで作業が滞りなく進んでることに変わりはないでしょ」


 それはそうだけど。


「本当にちょっと手伝っただけで、そんなたいそうな事は何もしてないよ」

「むぅ。冬真はそうやってすぐネガティブな感じを出す。頑張ったんだから頑張ったでいいじゃん」


 ほら、と途端手を上げて


「俺は頑張った! 偉い!」

「え、え?」

「一緒にやるの!」


 せーの、と有無を言わさず千鶴はもう一度手を叩いて、冬真は慌ててそれに合わせる。


「俺は頑張った! 偉い!」

「お、俺は頑張った! え、偉い!」


 あまり大声を出さないので裏返ってしまったけれど、言い切った冬真を千鶴は微笑ましそうに見つめていた


「どう? なんかやり切った感じしない?」

「……うん! なんか、僕頑張ったって気がしてきたよ!」


 不思議な高揚感に感動を覚えれば、千鶴はにしし、と白い歯を魅せた。


「でしょ。冬真はそう思えるくらい、めっちゃ頑張ったってことじゃん」

「へへ。ありがとう四季さん」

「ん。どういたしまして」


 ぺこりと頭を下げれば、千鶴は満足げな表情を浮かべた。

 けれど、その顔はすぐに眉間の皺が寄って、


「てか冬真、さっき寺崎と何話してたの? なんかすごく楽し気に見えたけど」

「そ、そんなことないよ。ただちょっと、寺崎さんがアニメ観るっていうから、ヲタク特有の一人走りをしてしまっただけで」

「本当に~?」


 むぅ、と頬を膨らませながら詰め寄る千鶴に、冬真はこくこくと頷いた。


「冬真がそう言うなら、今回はそういうことにしとく」

「あ、ありがとうございます?」


 風船が抜けたように頬の膨らみがしぼむと、冬真はほっと胸を撫で下ろした。


 それと同時、千鶴のさっきの反応がまるで嫉妬しているみたいで、冬真は不思議に感じた。


「なんで四季さん。そんなに寺崎さんと僕の会話が気になったの?」

「べ、べつにそこまで気になってないし!」

「そっか。僕の勘違いか。てっきり、僕が他の女子と喋ってるところが嫌だったのかと思ったけど、思い上がりにも程があるよね」


 へらへらと笑いながら言えば、千鶴はなぜかだくだくと汗を流しながら、


「ホントにそうだね⁉ 冬真ってば、最近女子と少し話せるようになったからって、調子乗り過ぎてるんじゃない⁉」

「あはは。四季さんの言う通りだよ。僕みたいな陰キャはこっそりと日陰で生きなきゃいけないのに……でしゃばるのはやめるね」

「ちがっ……私はただ、冬真が他の女子と楽しそうに喋ってるのが嫌で」

「? なに四季さん。よく聞こえなかったんだけど」


 もう一度訊こうと耳を近づければ、千鶴は顔を真っ赤にしながら叫んだ。


「もうっ、冬真のばかっ!」

「理不尽⁉」


 いきなり罵倒されて、冬真は思わず涙目に。


「冬真が寺崎と普通に話してたのは分かったからっ、だからこの話はこれ以上しない!」

「えぇ。でも僕、怒られた理由がいまいち分かってないんだけど」

「べつに怒ってない」

「本当に?」


 そう聞けば、千鶴は「本当だよっ」とヤケクソ気味に肯定した。


「冬真と寺崎は何もない。それが分ればもういいの」

「僕と寺崎は最初から何もないけど」

「知ってる。私の早とちりだっただけ。だからこの話はもうしない」


 いい、と鋭い視線で促されて、冬真はこくこくと頷いた。


 まだ疑問は残るものの、これ以上の詮索をすると本気で千鶴に怒られそうだ。そう悟ると冬真は疑問を飲み込んだまま沈黙した。


「あー、せっかくいい雰囲気で渡そうと思ったのになぁ」

「……?」


 そう呟いた千鶴は、視線を下げると、ごそごそと何かを物色するような物音を立てた。


 冬真からそれは見えなくて、何だろうと顔をわずかな好奇心を働かせて覗かせると、千鶴が「ほい」と腕を伸ばしてきて、


「たこ焼き」

「……私が食うところを見てろと?」

「悪魔か⁉ 普通に差し入れでしょうが」

「え? 僕に?」

「なんで驚いてるの」


 さっきの下りの後なので、驚くのも無理はないと思うが。

 眉根を寄せる千鶴に、冬真は「だって」と継いで、


「僕、差し入れをもらうようなこと何もやってないし」


 そう言えば、千鶴は「はあ」と大きなため息を吐いた。


「調理班のヘルプ。入ってたんでしょ」

「う、うん」

「なら、これはその差し入れ」


 そう言って、千鶴は冬真の手にたこ焼きを置いた。


「頑張った冬真へのご褒美ってことで。だからありがたく受けとって」

「わ、分かりました。ありがたく頂きます」


 ぎこちなく頷けば、そんな冬真を見て千鶴は満足そうに笑った。


「あとこれも。はいお茶」

「お茶も⁉ こんなに貰っていいの⁉」

「いいに決まってるじゃん。逆になんでそんな驚いてるの?」

「だって……僕今まで、女の子に何かを貰ったことなんてなかったから」

「出た。冬真の黒歴史」


 千鶴はカラカラと笑ったあと、じゃあ、と口許を緩めて、


「冬真に何か物を送る女子は、私が初めてってことだ」

「――っ」


 その可憐な笑みに、思わず心臓が跳ね上がった。

 どくどく、と心臓が騒がしくなって、頬が勝手に熱くなっていく。

 千鶴の顔が直視できないまま、冬真はぎこちなく頷く。


「そ、そうだす」

「そうだす?」


 噛んだ。


「そうです……女子から何かプレゼントされるの、四季さんが初めてです」


 赤くなった顔を隠しながら言えば、千鶴は「そうなんだ」と小さく呟いて。


「えへへ。それは嬉しいな」


 はにかむ千鶴が、なんとも可愛かった。


 その表情はまるで、小さな勇気を振り絞った健気なヒロインみたいで。


「……それは反則だよ、四季さんっ」


 相手は友達。


 それなのに、心臓の騒がしさは一向に収まる気がしなかった。


 ―――――――――

【あとがき】

……千鶴無双。

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