第211話 『 それは千鶴が考えて決めないと 』


「ねえ、みっちゃん。ちょっと聞いてもいい?」

「ん? どうしたの?」


 本日の文化祭準備も終わり、帰路に着く美月と千鶴。

 何事だろうか、と千鶴に振り返れば、ほんのりとその頬が朱に染まっていた。


「そのさ……付き合うってどういう感じなのかなー、と」


 照れをみせながら呟いた千鶴に、美月はぱちぱちと目を瞬かせる。

 聞きたいこと、とはつまり恋愛についてか。と合点がいく。


「なに千鶴、まさか好きな人でもできたの?」

「いや、そういう訳じゃなくて! ……本当に、ただ興味があるというか」


 ぎこちなく、歯切れ悪く言葉を綴る千鶴。


「ほら、私って今まで誰とも付き合ったことなかったから。そういのもあまり興味なかったし……だからさ、よく分からないんだ。誰かと付き合うって」

「こっちもか」

「え?」

「ううん。なんでもないよ」


 眉根を寄せる千鶴にひらひらと手を振れば、彼女は怪訝な表情も浮かべつつも追及をやめた。


 なぜか自分の周りは恋愛感情が分からない人が多いな、と思いながら、美月は千鶴に訊ねた。


「そうだな……千鶴が今まで恋愛してこなかったのって、ある意味では可憐と似てるよね」

「あはは。そうかもね。まぁ、可憐とは違って私は恋愛自体に興味はあったよ。ただ、いいと思える相手がいなかっただけで」

「理想高いもんね千鶴は」

「えーそうかな。私は一緒にいられて楽しいって思える相手なら誰でもいいつもりなんだけど」

「嘘はダメだよ。そこにプラスして自分より身長の高くて容姿もそれなりに整ってて将来的に経済力がありそうな人、でしょ?」

「それは女だったら誰しもそう答えると思うけど」


 案外否定し切れなかった。


 男性が女性に対して一定のラインみたいなものを求めるように、女性だって男性に基準、ではないが求めるラインはしっかりあるのだ。ちなみに、美月の旦那である晴は全てクリアしている。美月より身長が高く容姿も整っている。なんならイケメンの部類に入るだろう。おまけに人気ラノベ作家で高収入……意外にも美月は玉の輿だった。


「うへへ。やっぱ晴さんしか勝たん」

「大丈夫、みっちゃん? あんま言いたくないけど、今ヤバい顔になってるよ?」

「あはは。ごめんね。ちょっとトリップしてた」

「はぁ。本当にカレシさん好きだねみっちゃん」

「当然だよ。あの人と一緒にいられて毎日楽しくなったからね」

「もう結婚すれば?」


 もうしてます、とは流石に言えなかった。


 事実を飲み込んで苦笑を浮かべれば、千鶴は辟易しながら「羨ましい」と呟いた。


 それから、千鶴は一拍吐くと、


「みっちゃんのそんな姿見てからなんだよ。私も誰かと付き合いたいなー、って思い始めたのは」

「――え?」


 千鶴の言葉に、それまで垂れ下がっていた頬が一気に硬くなった。

 驚いたように目を見開く美月を一瞥して、千鶴は続けた。


「いつも楽しそうにカレシさんの話してるみっちゃん見てたらさ、こう、言葉にするのは難しいけど……あぁ、何かいいなぁって思い始めたんだよね」

「――――」

「前は穏やかで、いつも冷静だったみっちゃんがよく笑うようになって、私たちが呆れるくらい惚気てさ――そんな風に、もしかしたら自分も変われるんじゃないかって」

「……千鶴」


 ひどく穏やかな声音と、ほんの少し寂寥感の滲む声音。


 そこに垣間見えたのは、千鶴の願望で。


 彼女がそう思えているなら――、


「そんな風に思ってるなら、千鶴はもう変われてるんじゃないかな」

「え?」


 目を見開く千鶴に、美月は微笑みを向けながら言った。


「誰かとこんな風になりたい、なんて今まで一度も思ったことないんでしょ。でも、今はそう感じてる」

「うん」

「ならもう千鶴は変わってるよ」


 人は、変わることに勇気が要る生き物だ。


 変わったその先を恐れて、人は決断を躊躇う。


 美月も同じだったから、千鶴の気持ちはよく分かる。


 晴は自分のプロポーズを美月はあっさりと受け入れたと思っているが、それは間違いだ。


 己の胸裏で葛藤して、逡巡して、悩み悩んだ果てにあのプロポーズを受け入れた。

 勇気と、ほんのわずかな恐怖心を持って受け入れた結果が、今の幸せに繋がっている。


 千鶴は今、きっと悩んでいる工程にいるのだろう。


 あとは、


「あとは千鶴が、本当に変われる為に行動すればいいんじゃないかな」

「どうやって?」

「それは千鶴が考えて決めないと」

「むぅ、みっちゃんのケチ」


 答えを求める千鶴に、美月は微笑みを浮かべながら手を離した。


 これは美月が決めるものではなく、千鶴という物語の主人公が選び取っていくものだ。


 その先にあるのが幸福であれば共に喜ぶし、反対に絶望であれば共に悲しむ。それが、友達という存在だ。


「千鶴が本気で誰かと付き合いたいってそう思ってるなら、私は全力で応援するから」

「――うん。ありがとね、みっちゃん」


 真っ直ぐに紫紺の瞳を向ければ、千鶴は柔らかな笑みを浮かべた。どうやら、悩みは晴れたらしい。


 それから、二人はまた帰路に着いた。


「……ところで千鶴が気になってる相手って、やっぱり冬真くん?」

「ち、違うから! 金城とはまだ友達だし⁉」

「(その反応がもう答えみたいなものなんだよなぁ)」


 揶揄うつもりで言えば千鶴が顔を真っ赤にしながら否定して、美月はため息をこぼす。


 まだ恋愛には発展途上といったところだろうが、千鶴と冬真の仲が縮まってきているのは事実だ。


 まさか二人がここまで仲良くなるとは想像もしていなかった美月としては、想定外というか誤算というか、この恋の先に一波乱ありそうな気がするのだ。


「(これは、家に帰ったらラブコメマスターに相談しよう)」


 ラブコメ作家の晴なら妙案をくれると信じて、美月は隣で必死に弁明している友人と街灯の照らす街を歩くのだった。

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