第154話 『 今日はたくさん愛してもらわないと困りますからね 』
平日にも関わらず、美月に夜更かしに付き合ってもらった。
「ふぁぁ」
口を押えて欠伸をかく美月に、晴は申し訳なく思いながらも映画を観続ける。
「……晴さん、私そろそろ眠くなってきました」
「お前、この時間はすでに寝てるもんな」
重い瞼をこする美月に比べ、晴の方はまだ余裕がある。普段の就寝時間が遅いので、この時間に眠気が襲う、なんてことはない。
「そろそろエンドロールだから、それが終わるまでもう少し待ってくれ」
「はぁい」
映画はすでにラストシーンに突入しているが、もはや意識が落ちかけている美月にこの感動は届いていない。そして、晴も時間を潰す為に選んだ映画なので、そこまで感動はしていなかった。
こくん、こくん、と美月の頭が揺れて、何度か晴の肩に乗っかる。数分もせずに美月は睡魔に抵抗する力がなくなてしまって、晴の肩を枕にすると静かな寝息を立て始めた。
このまま寝かせてあげるべきか、と逡巡したものの、晴は美月の肩を叩いた。
「終わったぞ美月」
「ん……そうれすか」
意識も朦朧といった感じで、美月は生返事。
美月の寝ぼけている姿は珍しいので心のアルバムにしまいつつ、晴は美月の頬をぺしぺしと叩く。
「もう少しで寝れるから、もうちょっと頑張ってくれるか」
「んもう。ほんとにあとちょっとですからね」
少しだけ不機嫌になる美月に晴は「分かってる」と苦笑を交えて頷く。
重い瞼をごしごしと擦って、必死に眠気に抗う美月から一瞬だけ目を離すと、晴は密かにテーブルに隠しておいたそれを手に掴んだ。
もう間もなく、あと数分もせずに日付が変わる。
「(結構緊張するもんだな)」
手にそれを持った週間。心臓の鼓動がわずかばかり早くなった。
ドクンドクン、と早く脈打つ鼓動に急かされながらも、晴は深く息を吸って「美月」と妻の名前を呼んだ。
「目、開けてくれ」
「はいはい。なんれすか晴さ……」
曖昧な意識の中で、美月はゆったりと閉じかけていた紫紺の瞳を開く――瞬間、それまでの眠気が一気に冷めたように、美月は目を大きく見開いた。
その理由は、美月の眼前。晴が手に持っている〝ある物〟で――
「……これは」
「誕生日おめでとう」
晴の手に持つそれは、妻への誕生日プレゼントだった。
驚いて硬直している妻に苦笑を浮かべながら、晴は言った。
「そんなに驚くことか?」
「い、いえ……は、はい」
「どっちだよ」
失笑すれば、美月は目をぱちぱちさせながら聞いてくる。
「私の誕生日、覚えててくれたんですか?」
「当たり前だろ。妻の誕生日を忘れるなんてありえるか」
「でも、私一度も誕生日教えたことなんてないですよ」
「結婚届に書いてただろ」
たしかに美月の言う通り誕生日を聞いたことはなかったが、結婚届に互いの生年月日は記入したので、言われなくとも覚えていた。
どうせ美月のことだからわざわざ自分の誕生日を報告しないだろう、と予想して覚えていたのが功を奏した。
晴が誕生日を知っていたのが意外、そんな顔をしつつも、美月は嬉しそうに紫紺の瞳を揺らした。
「覚えてて、くれたんですね」
「夫の義務だからな」
「ふふ、嬉し過ぎます」
「おっと、せっかくのプレゼントが潰れたらどうするんだ」
はにかんだ美月が、溢れる想いを堪え切れずに抱きついてきた。
唐突だったので体がよろめいて、晴は倒れないように腹にぐっと力を込めて美月を受け止めた。
「誕生日プレゼントが貴方でもいいんですよ」
「俺も含めてプレゼントだよ」
美月の頭を撫でながら言えば、晴は少し照れくさそうに続けた。
「妻の特権だ。今週の休日は全部お前にくれてやる」
「随分と大盤振る舞いですね。プレゼントだけでも舞い上がるほど嬉しいのに」
「初めて祝うお前の誕生日だからな。最初くらい豪勢でもいいだろ」
「なら来年も豪勢でお願いします」
「さらりとねだってきたな……ま、それは来年考えておく」
「ふふ。そう言いつつ来年もやってくれそう」
弾む声音に、晴はなんだか見透かされたみたいでむず痒くなる。
妻に尽くすは夫の務め。それ以上にいつも美月にはお世話になっているから、誕生日くらい晴の時間をあげていいと思えた。
「私は今この瞬間だけでも十分過ぎるくらい嬉しいのに、それがまだ続くなんて……もう死んでもいいくらいです」
「それは俺が困る。お前が死んだら必然と俺も野垂れ死ぬだろ」
「あらあら。妻が先に逝って後を追うとか、どれだけ私のことが好きなんですか」
「それくらいお前には懐柔されてるからな。その日頃の感謝として、これを受け取ってくれ」
「ふふ。貴方からの誕生日プレゼントですもん。もらわない、なんて選択肢あり得ませんよ」
そう言ってもらえるのは素直に嬉しくて、それと同時にむず痒くなった。
晴なり考えて選んだが、美月が喜ぶような物を送れたかは分からない。
「プレゼント、貰っていいんですよね」
「当たり前だろ。なんの為に買ったと思ってる」
「私の為ですね」
「そうだ」
背中に回した腕を解いた美月。そして、そのまま晴の手からプレゼントの入った袋を受け取ると、自分の膝の上にそれを置いた。
「開けていいですよね」
「いいぞ」
ぶっきらぼうに相槌を打てば、美月はそんな晴の合図を見届けて袋に手を入れた。
ゆっくりと美月の手がそれを持ち上げると、袋の中から何かを包んだ紙袋が現れる。
美月はわくわくといった顔で紙袋を剥がしていくと、やがて露わになったのは――
「ポーチだ」
パステルカラーの化粧ポーチだった。
本当にこれが正しかったのかは未だに分からないが、晴なりに精一杯考え抜いて出した答えだ。
最近は妻とお出かけ――否、デートすることが増えて、自然と美月もおめかしすることも増えた。美月が化粧ポーチを持っていることは既に知っているが、そろそろ買い替えようかと悩んでいたのも知っていた。なので、これは丁度いい機会なのでは、と思案して化粧ポーチにした訳だ。
恐る恐る美月の反応を窺えば、彼女は暫くポーチを見つめたまま微動だにしなかった。
やっぱり間違ったか、と不安が過る刹那――
「流石はラブコメ作家ですね」
「どういう意味だ?」
ぽつりと呟いた美月の言葉に眉根を寄せれば、俯いていた顔が華やかな笑みを魅せながら上がった。
「貴方は女心というものを分かってる、という意味ですよ」
「それはつまり喜んでくれているということ……ぐぇぇ」
言い終わるもなく美月が抱きしめてきて、晴は思わず呻き声が漏れた。
「ありがとう晴さん。大切に使わせてもらいます」
「ん。喜んでくれたなら良かった」
言葉から伝わってくる想いに安堵が広がれば、微笑がこぼれた。
それから美月は抱きしめた腕を解くと、潤む紫紺の瞳を真っ直ぐに向けながら言った。
「ね、晴さん。今週は私の言うこと聞いてくれるんですよね」
「休日だけのつもりなんだけど」
「いいじゃないですか。どうせ執筆しかすることないんだし」
それが仕事なんだが。
「まぁ、普段から面倒掛けてるしな。いいぞ。今週はなんでも言う事聞いてやる」
少し安請け合いが過ぎたかな、とは思うものの、美月にはそれだけ恩がある。
こくりと頷けば、美月は「なら」となんの予兆もみせず唐突に晴の唇を奪ってきて。
「今週はずっと一緒に寝ましょう」
「いいぞ」
「あと、明日……じゃなかった、今日は私が貴方をリードしたいです」
どうやら今夜は美月と愛を交わすことは確定なようで、その上主導権は美月が握るらしい。
「それも構わんが……途中で恥ずかしがって涙目になるお前が想像できるな」
「大丈夫。今回は私が晴さんを甘やかす番です」
「ふっ。なら期待しとくよ」
「はい。寝かせるつもりないので、覚悟してくださいね」
「お手柔らかにお願いするわ」
小悪魔な笑みを浮かべる美月に、晴はやれやれと吐息をこぼす。
今日は美月の誕生日。
彼女にとっても、晴にとっても特別な二十四時間は、まだまだ始まったばかりだった。
「今日はたくさん、私を愛してもらわないと困りますからね――貴方」
「あぁ。今日は普段の倍は愛情込めてやる」
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