第114話 『 なんだか大掃除の予感がしますね 』
いつものようにリビングで執筆していると、もはや勉強道具すら広げずに美月は晴を見つめていた。
「お前、夏休みの宿題は?」
「そんなのとっくに終わってます」
そうですかとしか言い返せなかった。
「なら俺見てないで好きなことでもやってろよ」
「やってますよ。好きなこと」
何がだと怪訝に顔を顰めれば、美月はニコニコと晴を見続けたまま「ね」と笑った。
「……お前がそれでいいなら構わんが、時間の無駄だと思うけどな」
「安心してください。今日やるべきことはしっかり済ませますし、掃除も既に終わってます」
手腕な妻に反論すること事体が無駄だと悟った。
「そうか。なら好きにしろ」
「はい。好きなだけ堪能させてもらいます」
淡泊に言って、晴は再びパソコンに視線を戻す。
人の仕事風景なんぞ見て何が楽しいのかと甚だ疑問にしか思わないが、それでも美月が満足しているのなら文句の言いようがない。大人しく観葉植物にでもなってるか、とそんな気概で執筆を続ける。
「今はどこまで書いたんですか?」
「ん? そんなのとっくに書き終わってるに決まってるだろ」
「はやっ」
驚く美月だが、この程度は普通である。慎とは次の新刊の発売日が近いので、あちらも原稿事体は完成しているはずだ。
「それじゃあ今は何やってるんですか?」
「誤字脱字がないのかチェックしてるのと、原稿の内容確認だな。もう少し足したい部分を見つけて補足したり、あとはあとがきの内容考えたりしてる」
「あとがきって、小説の最後にある作者からの一言みたいなやつですか」
そうだ、と淡泊に頷いた。
「あれ好きです」
「そういう人多いからな。作者本人が書いたり、登場人物に次巻の内容紹介させてる作者もいる」
「私は両方好きですよ」
そうか、と淡泊に返事した。
「私はハルさんのあとがき好きですよ。拘った部分とか、登場人物の設定なんかを紹介したりして」
「それしか書くことないんだよ。他の人たちは最近旅行に行きましたー、と取材した内容書くけど、俺は全然外出ないしな」
「それなら私との思い出を載せたらいんじゃないですか?」
美月が悪戯な顔で言ってきた。
「妻との思い出話載せるとか……アホか」
鼻で笑えば美月が頬を膨らませた。
「晴さん前に言いましたよね。私との関係が世間に露呈しても問題ないって」
たしかに言った。
「問題はないが、それを自分の小説に載せるのは気が引ける」
眉間に皺を寄せて、晴は脳裏にそれを思い浮かべてみた。
例えば『作者です。この前妻とプールに行きました。いやぁ~、妻の水着姿いいものですね、それでは次回』……なんかサ〇エぽくなってしまった。
「やっぱりないな」
「そうですか、残念」
「何がだ」
ため息をこぼす美月にジト目を向ければ、妻は「だって」と前置きして、
「そうすれば、貴方との関係が世間に公表されて気兼ねなくマウント取れるのにな、って思って」
「お前何言ってんの?」
頬を引きつるくらいにはゾッとした。
最近の美月は、晴に対する独占欲が強くなっているのは気のせいだろうか。
母親である華に嫉妬したり、ミケと二人でいるのを嫌がったり――まぁ、これも女性としては当然の反応なのかもしれない。
「……お前、俺のこと監禁とかしないよな?」
「何訳の分からないこと言ってるんですか。べつに監禁しなくとも外に出たがらないでしょ貴方」
「じゃあ監禁していい、って言ったらどうする?」
「…………」
返事が返ってこなかった。
「おい、真剣に考えるな」
「質問したのは貴方でしょう」
「答えは一択以外ないだろ」
「どうでしょうかねぇ」
悪戯な笑みを浮かべる美月。
それから美月は「まぁ」と一拍吐くと、
「監禁はあり得ませんが、首輪くらいは考えてもいいかもしれませんね」
「俺はお前のペットか」
「私飼うなら猫がいいです」
「奇遇だな俺もだ……じゃねくて、首輪も填めないぞ」
そう抗議すれば、美月はふふ、と不穏に口許を緩めて言った。
「でも小説に使えるかもしれなかったら?」
「……うぐぐ」
「そこで悩んでしまうのも貴方らしいですね」
旦那の思考など丸わかりな妻は、思い通りに旦那を揶揄うのだった。
△▼△▼△▼
――そんな他愛もない会話と執筆をしている最中だった。
「晴さん、電話鳴ってます」
「だな」
テレレン、テレレン、と軽快なメロディがリビングに響いて、晴はコール音が鳴る自分のスマホを持った。
「ミケさんからだ」
スマホにミケのアイコンが映っていて、晴と美月は小首を傾げる。
とりあえず電話に出てみようとスマホを耳に当てた。
「もしもしミケさん。俺ですけど」
『あ、ハル先生おはようっす』
おはようございます、と返して、晴はミケの声音から緊急要請ではなさそうだと安堵した。
「どうしたんですか、お腹空いてないのに電話掛けてくるなんて珍しいですね」
『その言葉はおそらく私のいつもの行動から推測して出たものなんでしょうけど、改めて言葉にされるとヒモ野郎感が凄まじいっすね』
カラカラと笑うミケ。
「それで、こんな時間に電話掛けてきてどうしたんですか?」
『おっとそうだったっす』
早速本題に切り掛かれば、ミケは『あのですね』と前置きして、
『ハル先生。ちょっと美月ちゃん借りたいんすけどいいっすか?』
「美月を?」
ミケの言葉に眉根を寄せれば、美月も「私ですか?」と己に指さしていた。
『はいっす。どうしても美月ちゃんの力が必要なんすよ』
「俺は構いませんけど……ちょっと待ってください。美月と替わります」
『そうしてくれると話が早く済むっす』
という訳で晴は美月にスマホを渡した。
美月は困惑しながら晴のスマホを耳に当てれば、ミケと会話を始める。
「もしもしミケさん。替わりました美月です」
『おぉ美月ちゃん。久しぶりっす』
お久しぶりです、と電話越しでも律儀に頭を下げる美月。
「それで、私に何か用ですか?」
『そうなんすよ。ちょっと美月ちゃんの手を借りたくて……』
「今日は一日手が空いてるので大丈夫ですけど、ミケさんのお仕事関係なら役に立たないと思いますよ?」
『あー違うっす。仕事関係じゃないっすよ。美月ちゃんの手が絶対に必要な案件す』
「私に必要な案件ですか?」
晴も美月から会話の内容を得ようとするも、全く話の意図が見えなかった。
ただじっと待っていると、美月は「あぁ」とか「うっ」とか時折苦鳴をこぼして、それから肩を落としていた。
いったい何を話しているんだと眉間に皺を寄せれば、美月は「はい。それでは数時間後に向かいます」と言って電話を切った。
「ミケさん、なんだって?」
気になったので問いかければ、美月は「あはは」と苦笑をこぼす。
どうやら今からミケの自宅に向かうらしいが、どうしてそうなったのか経緯が全く分からない。
そんな晴の疑問に、美月はやれやれと言った風に嘆息すると、
「ミケさん。今家に足の踏み場がないんですって」
「なるほど」
救援要請ではないと思っていたが、結局そうだった。
わずかな文脈でも理解できたのはミケを少なからず知っているからで、そして、どうしてミケが晴ではなく美月を頼って来たのか理解した。
「つまり家を掃除してくれと」
「そうです」
晴の言葉を美月が複雑な顔をして肯定した。
「なので私、ちょっとミケさんのお家に行ってきますね」
「お前、ミケさんの家知ってんのか?」
あっ、と声を上げた美月。
晴は「そらそうだわな」と納得したあと、美月の頭に手を置いて言った。
「今から準備してミケさん家に行くぞ」
「分かりました」
すんなりと頷いた美月。それから、二人は支度をしに各々の部屋へ向かう。
「なんだか大掃除の予感がしますね」
「そうだな。お前を頼るくらいなんだから、よほど散らかっていると思える」
下着とか床に落ちてなければいいが。
そんな懸念を抱えつつ、晴と美月は救援要請を出したミケの自宅へと向かうのだった。
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