第22話 幻は現に消されて・2(※ヒューイ視点)


 結局、お嬢様が再び目を覚まし、アーサーを残して宿を出たのはそれから1時間後だった。

 すっかり暗くなった皇都の街並みを通ってラリマー邸に着くと、ラリマー第一夫人に出迎えられた。


 今回の縁談は無かった事に、と告げるとしばしの沈黙の後、


「そうですか」


 短く返ってきた言葉からは何の感情も読み取れない。常に笑顔を絶やさない主に比べ、この夫人は本当に表情を崩さない。


「……理由を教えていただけますか? あの方が戻っていらした時に説明せねばなりませんので」


 本人はまるで興味が無いように淡々と言葉を続けられる。


「本物の想い人には敵わないと思い知らされた、と……そうお伝え頂ければお察し頂けるかと思います」

「……縁談に他の男の影をチラつかせるなど本来あってはならない事です。お詫び申し上げます」


 最初にチラつかせちまったのはこっちなんだけどな――この言い方だと、首飾りを送りつけてきたのはヴィクトール卿の独断っぽいな。


「いえ……ルクレツィア嬢に想い人がいるのを知りながらこの縁談を受けたのは私です。なのにここまで付き合わせた挙げ句、断る事になり申し訳ありません。代わりに、と言っては力不足でしょうがラリマー家に危機が迫った際は私だけでも馳せ参じる事をお約束します。一度限りであれば父も見て見ぬふりをしてくれるでしょう」


 ラリマー家側がここまでやってきたのに『全部無しで』とは流石に言い難い。

 色神持ちでもない俺が言っても弱いかな、と思いつつ俺が差し出せるだけの誠意を見せると、ラリマー第一夫人は真っ直ぐに俺を見据えた。


「……その誠意、主に伝えましょう」

「ヒュ……ヒューイ、本当に申し訳ありません。あの……」


 淡々と言葉を紡ぐラリマー第一夫人の横で、ホテルを出た後からずっと顔が真っ赤で馬車の中でもずっと上の空だったお嬢様がようやくまともな言葉を紡ぐ。


 まあ、ずーっと想い続けてロクな反応が返ってこなかった相手から『これからはちゃんと君を見る』なんて言われたら頭はまともに動かなくなるよな、とそっとしておいた甲斐があったみた――


「あの、アス」

「ああ! プレゼントの代金とかは気にするなよ? 素敵な夢を見させてくれた礼だ。いらないなら捨ててくれればいい」


 男相手ならまだしも、女に使った金を返してくれなんて言うつもりはない。

 まあ、お嬢様も言いたい事は金の事じゃないのは明らかなんだが――今この場で出されたくない名前を言い切られる前に咄嗟に言葉を被せる。


 俺の思いを汲み取ってくれたのか、お嬢様はそれ以上言葉を紡がなかった。

 ホッとしながらお嬢様が抱えているラインヴァイスのぬいぐるみを見ながら微笑ってみせる。


「あいつにも色々事情があるからな。あんまり迫るなよ? これから大変だと思うけど、俺は応援してるからな」

「あ、ありがとうございます……今の状況に慣れるのに3年はかかりそうですわ……今でも、何だか、夢を見ているようで……」


 夢じゃない――と言ったらまた気を失われそうだ。

 無難な別れの言葉を告げて、翠緑の馬車に乗り込む。


(さて、親父にどう説明するか……)


 ゆっくりと動き出した馬車の窓からこちらを見送るラリマー第一夫人とお嬢様に軽く会釈をした後、前の方に視線を移すと――


「……あの子の器なら半人前のお前でも器を成してもいいかなと思ったのに、もったいない事したねぇ」


 微笑ましい気持ちを一気に突き落とす目の前に座る親父の姿と、共に呆れたような声が馬車内に響く。


 この転移防止の結界が張られた中で瞬間移動するだけでも脅威だってのに、常に移動してる馬車の中に瞬間移動してくるなんてよっぽどの馬鹿でもしなそうな事を平気でやりやがる。

 下手打って馬車と融合したらどうすんだよ?


「おまけに勝手にラリマー家に1回協力するなんて面倒臭い約束までして……向こうがそれを持ち出してくる時は絶対面倒臭い時だよ? そういう事はよく考えてから言ってほしいね……」

「……なら何でアーサーを飛ばしたのですか?」


 ため息をつく親父に対して話題をそらしてみると肩をすくめられる。


「止めに来たのならボクに止める権利は無いなぁと思ってね。部屋の中に飛ばした訳じゃないんだからいいだろう? 彼が来て、引き返す事を選んだのはお前だよ?」

「……乗り気だったなら一言言ってくだされば」

「この縁談はお前次第だと言っただろう? ボクはお前の相手がお嬢様でもお姫様でもどっちでも良かったんだ。まあお姫様の場合は条件付きだけどね」


「……彼女が好きなのはダグラスです。私の事は受け入れられない」

「おや弱々しい。いつものお前なら多少障害があっても構わずにちょっかいかけに行くのに。まあ相手が相手だから仕方ないけどね……」


 嫌な言葉を吐いてくる割には親父は割りと機嫌がいいのか、遠い目で微笑む。こういう時は大抵、ロクでもない言葉が続く。


「……でもお前は1つ思い違いをしている。出産ノルマは刑だよ? 受刑者が『誰が嫌』『誰が良い』なんて選り好みできるような刑を刑とは言えない。最低でも1人以上『想っていない相手との子作り』を受け入れてもらわないと刑として成立しないと思わないかい? 少なくともボクはそう思っているし、公爵達も説き伏せる自信もある」


 少し前までは心地よかった鮮やかな翠緑の空間が。酷く居心地悪い。

 親父の翠緑の目が俺の心の全てを見透かしているようで吐き気がしてくる。


「ただねぇ……それを言ったらカルロス卿がローゾフィア侯爵家の末息子を推すのも目に見えてるんだよ。それはそれで面白くないなぁと思っていたんだ」


 その少年の存在はレオナルドから聞いている。

 あの子を一途に想うが故に侯爵家と仲違いしてリアルガー家で保護されている、朱色の少年――


 朱に染まっていくあの子を想像してしまった瞬間、ゾワ、と体が拒否反応を示す。

 親父がニヤついたのを察し、これ以上心をかき乱される前に視線を窓の方に逸らし、お望み通りの言葉を吐く。


「……あいつの居場所は分かってるんですか?」

「お前は察しが良くて助かるよ……だが、まだ分からないんだ。ロットワイラーから出て南のブリアード王国の方に行った所までは分かったんだが、潜るのがすっかり上手くなっちゃったみたいでね。それに仮に瀕死状態で捉えたとしても油断はできない。だからお前にはヒュアランが見つかるまでの間、鍛錬に励んでほしいんだ。わざわざ皇国騎士達相手に魔法講座を開く位だ、相当暇を持て余しているんだろう? そうだな……緑属性の下級魔法位は無詠唱無動作あるいは3秒以内に発動できる位になっておきなさい。大人しく従うなら少し位は手伝ってあげるよ。術の手解きも、恋の補助も」

「彼女には関わ」

「心配性だねぇ……ボクが人に手を出せる立場じゃない事くらいはもう理解しているだろう?」


 親父が女に関われば翠緑の蝶グリューンが怒る。

 継母達すら別邸に追いやり、メイド達には命令以外の声をかけない。

 俺が物心ついた時からずっとそうだった。


 親父は今、継母達を、俺以外の子ども達をどう思っているんだろう――どうでもいい他人の噂を語る割に、身内の話を滅多に口にしない。


 親父は母上のような、都合が悪い事をしつこく詰め寄ってくる人間が苦手だ。

 こちらから聞けば返ってくるのはおざなりな返事か、それ以上聞けば命の保証はしないという警告。あるいは、死だ。


 「……まあ、お前ももう大人だからね。無理にとは言わない。人に術を教えるのも人の恋路を良い方向に動かすのも、好きじゃないからねぇ」


 言われてみれば、親父が誰かに魔法を教える姿って見た事無いな――と思った瞬間、また瞬間移動で消える。まるで実力の差を見せつけんばかりに。


 一人になった翠緑の馬車の中、親父が来る前のような居心地の良さはもう感じなかった。


(本当に、どうしたもんか……)


 親父の『俺次第』ってのが『お嬢様かお姫様の二択』って意味だったのは予想外だった。

 こんな事になるなら――という後悔がない訳じゃない。


 だがあの子が赤色や朱色に染められなくて済む、子づくり婚であの子と最低限の関わりを持ち続ける事もできるし、幻じゃない、本物のあの子と――


(……条件だけ見れば、俺にとっていい風が吹いてるんだろう)


 けど――あいつにしてみたらどうだ?

 あの子の刑はあの子だけの物じゃない。少なからずあいつと関わらない訳にはいかない。


 独占欲と猜疑心とプライドの塊みたいなあいつは、アーサーみたいに『君なら安心』なんて言葉は絶対言わないだろうし、『契約呪術を解いてほしい』といった瞬間どんな反応をするのか、考えただけで気が重くなる。


 単純に友情が壊れるってのもまあまあキツいが、何よりこれが原因でまたあいつがあの子に酷い事をしないか心配で仕方がない。



(あいつを下手に刺激してあの子を不幸にしてしまう位なら、幻で手を打つのもアリだなって思ったんだけどな……)



 アーサーがしつこく食い下がってきた理由がよく分かる。俺がお姫様の方を向けばダグラスと険悪になるのは明らかだ。


 色恋沙汰の間に挟まれる事の面倒臭さを、母親と父親の愛人に挟まれたあいつもよく知ってる。

 それを今度は友人同士で繰り広げるんだ――そりゃあ嫌がるだろう。


 幼い頃から女にことごとく苦しめられてきたあいつへの同情心と、これからの俺に対して深い溜め息が漏れる。



 窓の向こうで流れる家屋の点々と灯る光の上、青白い星だけが、明るく輝いていた。


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