第116話 惑わし合う男と女・4


 手袋をつけてるだけマシではあるけれど、この状況――出来る事なら逃げ出したい。


 座る事を躊躇していると私が何を考えてるのか分かったのか、ダグラスさんはカップとポットをローテーブルに置き、困ったように笑う。


「まさか……自分は私に餌付けしておいて、自分はされたくないと……? 本当に飛鳥さんは罪深いお人だ。そうやって自分勝手に振る舞い男を惑わせていく。私相手ならともかく他の男に色香を振りまくのはもう看過できません。私達は婚約者同士……いえ、お互いに想い合う恋人同士なのですから」


 危うい。非常に危うい。もうこの人の中で私達は完全に恋人同士になっている。そこは私が悪いんだけど、このまま暴走させたらいけない。冷静にさせなければ。


「ダグラスさん……何言ってるんですか? 死霊王との戦いで私の事、色香が無い女だって言ってたじゃないですか。さっきから本当、どうしちゃったんですか? 頭おかしいですよ?」

「貴方が私をおかしくさせるんです……!! あの時は気づきませんでしたが、貴方からは人を困惑させる色香が溢れ出ている……! それに心乱される男が私含めてそこら中に、中には私と同じように貴方に好意を抱く者もいる……私は、それが心配で仕方がない……!」


(困惑……魅惑や魅了とか、妖艶とかじゃなくて困惑って……)


 宥めようとした言葉に付随してしまった余計な一言が彼の感情を煽った事に罪悪感を感じたものの、彼の一言に相殺される。でも、今はそんな事より――


「ダグラスさん以外に私に好意を持ってる男性って、誰ですか……?」


 こんな状況でも<自分に好意を抱く者がいる>と聞くとどうしても気になるものでつい聞いてしまう。

 一通り出会った男性も思い返してみるけどアシュレーはアンナがいるし、リチャードはソフィアが好き、クラウスには勘違いするなって言われたしネーヴェには嫌われているし、レオナルドは既婚者――となると、私の知らない人だろうか?


「き……気づいてないなら言いません。意識してしまいますから……」


 フイ、と顔を逸らすその仕草から、私が知ってる人間だと確信し改めて思い返す。ああ、そう言えば私が黒の球体に閉じ込められた原因は――


「もしかして……レオナルドが私に好意持ってるって本気で思ってます?」


 一発アウトな行為こそあったけど、彼の態度には下心や好意らしき物は一切感じられない紳士的な物だった。

 少しでも私に好意があったらあんな状況であんな事してあんな爽やかな態度はまず取れない。


「飛鳥さん……貴方のその気軽に男を呼び捨てにする距離感の近さは問題です。今後有力貴族の男と接する事があった際は卿をつけて呼ぶように。授業で習いませんでしたか?」


 20歳過ぎて言葉づかいを指摘されるとかなり恥ずかしい。残りの日数を無難に過ごす為に一回ノート見直しておこうと頭の片隅で思う。


「すみません……メアリーの授業でもやってたけど、卿ってつけるのが慣れないのと呼び捨てにされるのを気にしない人達だったから良いかなって思ってました……」


 向こうから呼び捨てで良いって言われた、と言ったらまた何か厄介な事になりそうな気がして素直に頭を下げる。


「わ、私自身はそんなに気にしていないのですが、言葉遣いや礼節に非常にうるさい貴族がいるので表面上だけでも取り繕って頂きたいだけで……あまり、気を悪くしないでください……」

「ああ……そう言えばダグラスさんも呼び捨てでもいいって言ってましたもんね」


「あ、飛鳥さんがそうしたいなら構いませんが、できれば私はまだ、さん付けで呼び合いたい……飛鳥さんを呼び捨てにしたら、止まらなくなりそうで……」


 顔を赤くして俯かれて呟くその言葉に何とも反応に困る妖しい色気を感じる。


(……本当に困った。この人をどう扱えば良いのか全然分からない)


 酷い言葉で突き離したらまたキュンとする動作をしてくる。かと言って少しこちらが隙を見せればグイグイ距離を詰めてくる。


 健気で報われない感じのダグラスさんは精神的な意味でヤバい。

 だけどこの暴走して感情を抑えきれないダグラスさんは肉体的な意味でヤバい。


 心が堕ちるのと、体が堕ちるのとどっちがマシだろう――? いや、心が堕ちたら確実に体も持っていかれる――って、何考えてるの私、落ち着け。


「あの、私……仲直りはしましたけど……そんな、すぐ体を許す気にはなれません。だからそういう性的な事を匂わせられると正直不快ですし、気持ち悪いです」


 とりあえず今は純情ぶっておくしかないと思って言った台詞に、結構辛辣な本音もくっついてきた。私も私でこの状況に限界なようだ。


 (でも、いくらなんでも気持ち悪いは流石に言い過ぎたかな……)


 また傷つけちゃったかなと心配して彼の顔を見据えると――まさかの苦笑い。


「そうですね……飛鳥さんがまだ私に想いを寄せている事を知り浮かれてしまいましたが、私はまだ飛鳥さんの傷を何一つ癒やせていない。愛を語り合う前に私はちゃんと貴方を傷つけてしまった罪を償わなければならない。すみません……こんな昼下がりから不快で卑猥な妄想をさせてしまって」


(今の、かなり辛辣な言葉だったのに何で傷付いてないの……!? しかも私が勝手に卑猥な妄想をして不快になって怒ってるみたいに思われてる……!?)


 どっちを追及すべきか言葉に詰まった所で向こうの言葉が続けられる。


「待っていてください……そんな深く傷ついた状態でなお私を求めて仲直りを申し出た飛鳥さんの想いに応える為にも、貴方を傷つけた存在を私の手で1つ1つ早々に確実に潰していきます」


 さっき餌付けされて顔真っ赤にしてた癖に何でそんな恥ずかしい台詞をサラリと言えちゃうのかしらこの人。

 良かった、気持ち悪いは言い過ぎじゃなかった――と思いながら彼の不穏な言葉に引っかかり、問いかける。


「何を、潰していくんです?」

「まずは反公爵派です。後数日で誰が首謀者か判明するでしょう」

「調べて……くれてるんですか?」


 反公爵派がいなくなれば今後私や優里、ソフィアにアンナ――それ以外のツヴェルフの命が狙われる危険がグッと減る。そう思うと自然と笑みがこぼれる。


「当然です。貴方を傷つけた集団を捨て置いておく訳にはいきませんから……徹底的に潰します。それが片付いたら次に貴方を囮にと言い出した貴族に制裁を加えます」

「制裁って……私、もうそこまで怒ってないです。結果的に無事だったし……囮とか言い出した人には一言謝ってもらえればそれで……」


 本音言えばお詫びに千円相当のお菓子の詰め合わせの1つも欲しいとは思っているけど――それを私から言うのはちょっと図々しい気がする。


「自分を死の危険に晒した相手を心配するなんて、飛鳥さんは優しいですね……まあ殺すと色々都合が悪い相手だったので、そう言って頂けると助かります。ただ、反公爵派の大元が私の目論見通りなら飛鳥さんにちょっとしたプレゼントが出来るかも知れません。今は確約できないので詳細は言えませんが……」


 殺すと色々都合が悪い、という言葉にゾッとする。それは都合が悪くなければ殺していたという事だから。

 魔物狩りの時も襲撃者に対する処刑を聞いた時も思ったけど――この人、魔物の命はおろか人の命を奪う事にも慣れてる。


 反公爵派を潰さないとずっと命が狙われ続けるのも分かってる。私達を守る為に手を赤く染める彼を人殺しだと軽蔑するつもりはない。


 だけど――この人と<命>に対する価値観が重なる事は無いんだろうと思うと――決定的な距離を感じる。


「飛鳥さん……飛鳥さんを囮にした貴族に鉄槌を下して反公爵派を撲滅すれば私は貴方を守った事になりますよね? 貴方を守れなかった過去の私自身を消す事は出来ませんが、これからの私の働きで見直して頂けるよう努力しますので、どうか……」


 ダグラスさんの若干弱々しい声で、現実に引き戻される。


「あ、その事なんですけど……私が囮になってる事、ダグラスさん知らなかったんですよね? それなのに守ってくれなかった、なんて言って……ごめんなさい」


 私が謝ると彼は一瞬驚いた顔をした後、顔を綻ばせて笑顔を浮かべる。


「そんな、謝る必要はありません……!私が貴方を守らなかったのは事実ですから…ああ、でも、そう思って頂けるなら……仲直り、しましょう?」

「……え?」


 嫌な予感がして後ずさろうとするも、何故か私の足は強引に彼の元に歩まされていく。

 私の顔を見つめる彼の表情がもう絶対に逃がしてくれない事を物語っていた。


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