第207話 白の狂気・2(※クラウス視点)
ラインヴァイスに乗って皇城に赴くと空から現れた僕を見た騎士達は驚いた顔をしたものの、すぐに僕をスピネル女伯の部屋まで通してくれた。
「スピネル女伯、体調はいかがですか?」
「ええ、大分……良くなりました」
穏やかな表情で僕を迎え入れてくれるスピネル女伯の肉体と魂がしっかり結びついている事を確認する。これならもう大丈夫だろう。
それにしても――長時間魂と体が切り離されていたのにこの短い間で自らの意思で椅子に腰掛けていられるまで回復できているのはすごい。相当精神が強い人のようだ。
「ダンビュライト侯……貴方にお話しなければならない事があります」
感心しているとやや暗い面持ちでスピネル女伯が声を紡ぎ出す。
「……何でしょう?」
「魂になった時に、セレンディバイト公から貴方の事情を聞かされました。あの方と貴方の体質の元凶は私にあります……私が、セラヴィ様を皇城に避難させたから……」
体質の元凶――ラインヴァイスを受け入れた際に大体の事情は聞かされたけど、それでもよく分からない部分がある。
「……スピネル女伯、貴方が知っている母の事を全て教えて頂けますか?」
かつての母様を知る人間の話に純粋に興味が湧いて尋ねた母様の姿は僕の知っている母様とはまるで別人のように思えた。
「セラヴィ様はとても明るく活発で自分の感情に素直で……一度決めたら頑として譲らない、とても意思の強い人でした」
僕が知っている母様は常に穏やかで優しくて笑顔だった。
我儘を言ってる姿なんて見た事無いし、頑固な面だって無い。常に幸せそうに笑っていた。
だからスピネル女伯から母様がいかにあいつの父親を愛していたか聞かされても、とても母様の話とは思えなかった。
だけど黒の家臣があの写真の母を偽りの笑顔だと貶めた理由が分かった。黒の家臣が知っている母様は今スピネル女伯が語っている母様なのだろう。
マナアレルギーで精神崩壊する可能性がある事は知っているけど性格まで変わるなんて――尚更アスカが心配になってくる。
早くアスカを助けに行きたい。だけど次が最後のチャンスだ。何の対策も無しに動く訳には行かない。
「ダンビュライト侯は……私が憎くはありませんか?」
全てを話し終えた後、スピネル女伯は僕を見て呟く。
「いいえ。貴方が母を助けなかったら僕は産まれなかった事になります……確かに僕はこの体を疎ましく思っていますが産まれなければ良かったとまでは思っていません。貴方が母を助けたから僕は産まれ、そしてアスカに出会う事ができたんです……感謝こそすれ、憎く思えるはずがない」
「そう言ってもらえると……少し気が軽くなります」
スピネル女伯は安堵したように一つ息をついた。
僕の言葉に嘘はない。僕は確かに幸せだった。
母様が父様を愛する前に他の男を深く愛していたとしても母様が父様と結ばれて僕を宿し、あいつが現れるまで幸せな家庭の中で生きる事ができた。それは父様も同じだったと思う。
そう言えば昔――『僕もいつか父様と母様のように大好きな人と結婚したい!』なんて、実に子どもっぽい事を言った事があった。
あの時母様は困ったように微笑んでいたけれど……父様は確か――
『そうだね……それなら大好きな人の全てを受け入れないとね。相手を一切否定せずに、包み込んであげる事が何より大切だ。相手もクラウスの全てを受け入れてくれたらいいんだけど……難しそうな時はクラウスが助けてあげるんだよ?』
父様は普段あまり口数が多い訳ではなかったけど、この時は珍しく嬉しそうに語っていたからよく覚えている。結局、どうすればいいのかは教えられていないけど。
そこから――母様が死んで、父様が死んで。少しずつ僕の世界は色褪せていって。
そこに忍び寄る不快な黒を追い払おうとしたらアスカに出会って再び世界に色が宿った。
アスカと会う度に小さく温かな幸せが優しく僕の心に降り積もる。
色を取り戻させてくれた上に幸せまでくれるアスカに、少しでも恩返しがしたい。
でも――本当はこの幸せをくれるアスカと共に生きたい。
「スピネル女伯に1つ教えて頂きたい事があるのですが……もし公爵に助力を求めたい状況になった時、どの公爵を頼りますか?」
浮かび上がる欲望をそっと抑え、スピネル女伯にここに来た目的を告げる。
「……頼りたい内容や対価が用意できるかどうかで変わりますね。何かあったのですか?」
僕の様子から只事ではない事を察したのか真剣な眼で見据えられる。
「僕はアスカを助けたい……ですがそれをすれば必ずダグラスと対立する事になります。もう失敗は許されない。対価を用意する時間も無い。だからもう、同じ公爵の力を頼るしか……」
頼るしかない、と言い切る事が出来なくてそこで言葉を詰まらせてしまう。
僕の力だけでアスカを守る事ができないのが、本当に悔しい。
「……そういう事情であれば頼れる公爵は一人しかいません。少々お待ち下さい。私からも貴方に力添えしてもらえないかお願いする手紙を書きましょう」
スピネル女伯はゆっくりと立ち上がり、机の引き出しから髪とペンを取り出した。
その後、スピネル女伯から封書を受け取りラインヴァイスを出現させてまたその場を飛び去った。
口煩い赤の公爵――リアルガー公は露店巡りの際、僕が六会合やパーティー等の集まりに出ない事に対する叱責と、出ない事によるデメリットをビールを飲みながら延々と言ってきた。
「アスカ殿が好きならデートよりまず、己の責務を果たせ」
滅多に皇城に姿を見せなかった僕がアスカと頻繁に会っている、という状況から僕がアスカに好意を持っていると推測されているのか、見透かされているのか――あらかたの説教に耐えた後にリアルガー公はそんな事を言い出した。
責務を果たせる体じゃないし、今更どれだけ皇国に貢献しようと既に英雄と言われているダグラスの願いが優先されるのは目に見えて明らかだから、そのまま聞き流す。
「先日の六会合のダグラスを見ていると、アスカ殿を他の貴族と共有するとは考えづらい……今は皆ダグラスの意に反する者はおらんが、貴公がちゃんと責務を果たすのであれば、貴公とアスカ殿の婚姻に味方する者も出てこよう」
重婚の事を言っているのだろう。アスカがダグラスの子を産めば、また別の男からの婚姻を受け入れる事ができるようになる。
その時に力になってやらなくもない、と言っているのだろうけど――
「僕は、彼女との婚姻を求めている訳ではありませんから……」
別に味方なんていらない。アスカは地球に帰る。婚姻なんて望めるはずもない。
それを素直に言う訳にもいかず適当に濁したのと同じタイミングでテーブルに新たにビールが注がれたジョッキが置かれる。
「最初から諦めていたら何も始まらぬ。できぬならできぬなりの働きをしてみせよ。良いか? 自らの意思で自ら動くからこそ、何者にも代え難い味方ができるのだ!」
熱く語るリアルガー公がビールを一気飲みしてジョッキがまた空になる。
この大切な時間、アスカの為に使いたいのに何で酒臭いオッサンの説教を聞かなきゃいけないのか。
相手が酔っ払ってる訳ではないとは言え、流石に体調が悪くなってきた時にこの酒臭さと長時間の説教はキツい。
すぐ横に座っている奥方らしき人もすごくお酒臭いし。
「クラウスよ、貴公は――」
「……くどい!! 僕はアスカと結ばれる事を望んでる訳じゃない! ただ少しだけ……少しだけ、彼女と一緒にいたいだけだ! 僕らの事情も知らないで、上から目線で説教するな!」
猫かぶりも限界が来て、そんな風にその場を逃げるように立ち去った僕は、あまりに幼かったと思う。
リアルガー公とはそれきり、ほぼ喧嘩別れの状態で話を中断させてしまったままだ。どう切り出せば良いのかわからない。
酷く気分が重いままリアルガー邸の上空にまでくると、丁度広い庭で戦っているとリアルガー公とアシュレー卿が見えた。
訓練中だろうか? 放たれる炎は訓練の割には本格的だけど。
訓練を直接邪魔するつもりはなく門の方に降りようと視線をズラした時、斧が目の前に飛んでくる。
ギリギリかわすと、斧はそのままブーメランのようにUターンして持ち主の手元に戻った。
「よおー、クラウスじゃねぇか! そんな所で何してんだ!?」
斧を投げたリアルガー公のすぐ横でアシュレーが大声でこちらに呼びかけている。
かなり距離が離れているのに攻撃を仕掛けてこれるリアルガー公の腕力も、ここまで届く息子の声量も恐ろしい。
ここに用があるのだから無視する訳にも行かず、失礼を承知で庭に降り立つ。
「突然の来訪、失礼致します……リアルガー公に至急の用があってまいりました。本来であればきちんと連絡をした上でお伺いをするべきだったのですが、何分時間が無く……」
「構わん。以前お主には悪い事をしたからな。余計な世話を焼いて話を拗らせてしまったみたいで、こちらこそすまなかった」
気まずさが緩和されるこの感じ、以前もあった。
最初の頃――アスカと険悪な雰囲気になって、馬車の中で仲直りしたあの時と同じ。
「リアルガー公……これからお話しする事は他言無用に願いたいのですが」
「じゃあ俺はいない方が良さそうだな」
アシュレー卿が離れ、リアルガー公がガーデンチェアに腰掛けたのを確認して、テーブル越しに向かい合うチェアに座ると、赤の障壁を張られる。
スピネル女伯の封書を渡してこれまでの事情を説明する。
転送計画や僕がソフィアと婚約した理由、アスカの身に何が起きたか――なるべく同情を引けるように事を話し、協力をお願いした。
リアルガー公は目を閉じ、肘をついて思い悩む。
「うーむ……それらの話が全て事実なのであれば、貴公に力を貸す事はやぶさかではないが……こちらは既にツヴェルフを一人擁しておる。悪いがすぐに返答する事はできん」
言われてみれば。アシュレー卿は既にツヴェルフと婚約――懐妊したのだから既に婚姻関係にあると言ってもいい。
その親が他のツヴェルフを元の星に帰そうとするのに協力した場合、かなりの批判を浴びるだろう。
他言するような事はないだろうけど協力してもらうのは難しい状況かもしれない。
「分かりました。それではこの場での話は聞かなかった事にして頂きたい」
「クラウス卿……ワシはまだ断るとは言っておらん。少し時間をくれと言っている。協力するかどうかは手紙で伝えよう」
深く一礼し、少し離れた場所で待っているラインヴァイスの方に歩き出すと焼けた肉の匂いに違和感を覚えて振り返る。
「何だ、もう帰るのか?」
焼けた肉の匂いはアシュレー卿が持ってきた皿に乗ったステーキから放たれていた。
「ああ、これか? 明日懐妊パーティーだからな。練習がてら作ったんだよ。お前どうせ明日来ないだろ? せっかくだしこれだけ食ってけよ」
懐妊パーティーは夕方から夜にかけて行われるから、僕は確かに行けないけど――
「……いえ、肉はあまり好きではないので。遠慮しておきます」
「これはそんじょそこらの肉じゃねぇ……滅多に食えない質のいい魔牛肉だ。一口でいいから食ってみろって」
フォークを差し出され断りづらい状況に追い込まれ――結局、一切れ肉突き刺して口に含む。
確かに……脂っこいのは苦手だけど、この肉は不思議と悪くない。
「……美味しいです。アシュレー卿が言うだけの事はありますね」
「だろ? 気に入ったなら全部食っていいぞ。後、俺の事は呼び捨てでいいし気楽に話してくれよ。俺、年上の奴から敬語使われるとくすぐったくなるんだよ」
邪念のない純粋な笑顔が向けられる。アシュレー卿の不躾な物言いに悪い気がしないのはこの真っ直ぐな気質が影響しているのかも知れない。
その笑顔に押されて再びガーデンチェアに座り直し全部食べていく。
リアルガー公からも『堅苦しいからワシの事も名前で呼べ』と言われ、その後どういう経緯でアスカに惚れたのか質問攻めにされた。
アシュレーから『気に入ったなら少し箱に詰めて持っていくか?』とお土産を用意されかけたけどそれは丁重に断ってリアルガー邸を後にした。
館に戻ると大きくなったラインヴァイスに対する感嘆の声と同時に騎士や兵士達からの冷ややかな視線が向けられる。
ラインヴァイスを再び体に戻し、館の中にまで入るとエレンだけ色々口うるさく着いてきた。
『治癒師や騎士団に逃げろとか言うな』『あのツヴェルフに関わるな』『またさらいに行こうだなんて馬鹿なことを考えるな』なんて、聞く価値もない言葉ばかりで。
そんなエレンも純白の部屋に入ると静かになる。白の要素がある人間でもここにあまり長居できない仕様のようで、そう時間が経たないうちに頭を抑えて部屋から出ていった。
(……便利だな、ここ)
誰にも邪魔されない空間。ここで――アスカとずっと一緒に過ごせたらいいのに。
ああ、分かってる。一緒にいられないのは分かっているんだけど。
「ねぇ、ラインヴァイス……父様はどうやって母様に愛されたの?」
聞かずにはいられない。知りたい。もしアスカに愛される方法があるのなら知りたい。
父様が祖母からラインヴァイスを引き継いだのは確か、22年前――ラインヴァイスなら何か知ってるかも知れない。
『……我、知らない』
あ、これ絶対知ってる。
追求したい――けど、もう今日は時間切れみたいだ。
起きたら絶対追求しよう。そう思いながら僕は静かに意識を手放した。
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