第19話 水色と瑠璃色


 私達を包んでいる半透明の瑠璃色の防音障壁の前で、アクアオーラ侯が立ち止まった。

 さっさと何処かに行って欲しいんだけど、通り過ぎるつもりは全く無いらしく綺麗な水色の、神父が着るようなスラッとしたローブとヒラヒラのケープを纏う男はニコニコと私達――というかセリアを見つめている。


(……着替えてから廊下に出れば良かった)


 セリアの水着は露出こそ控えめだけど体のラインはしっかり出てるので、ジロジロ見られて気分がいいものじゃないと思う。

 このままスルーするのも難しい状態に痺れを切らし、セリアに目配せして防音障壁を解いてもらう。


「……この世界の貴族って何で人の内緒話を聞こうとするの?」

「え、こんな目立つ所で内緒話してたんですか?」


 瑠璃色の障壁が消えるなり7侯爵裁判での人を人とも思わぬ態度への怒りも込めて率直に嫌味をぶつけると、彼は目をパチパチと瞬きさせて驚いた後、微笑んだ。


「それはそれは、気分を害してしまったようですみません。ですが好きな人の内緒話とあれば無関心ではいられないのが人という生き物なんですよね」


 ダグラスさんも言い出しそうなキザな台詞をしれっと言ってのける男にため息を付いたのは、セリアだった。


「アクアオーラ侯爵閣下……私は貴方の想いにはお応えできません、と手紙でお送りさせて頂いたはずですが」

「えっ」


 いつの間に――と声を出す前にアクアオーラ侯爵の声が重なる。


「あはは、セリアさんへの求婚を断られた事を理由に想いを消せるほど、私が持ってる想いはちっぽけなものじゃないんです。私は今世、一生セリアさんを想い続けますし求婚し続けるつもりですよ」


 言い方や態度こそ丁寧ではあるものの、セリアの声はひんやりとした冷たさを帯びている。

 そんな明らかな塩対応を全く意に介していないかのようにアクアオーラ侯がキザな言葉を連ねる。


「それはそうと……先程『混沌の魔女が虫を怖がって叫んでた、やっぱり最悪のツヴェルフだ!』と下で馬鹿にされてましたよ? アスカ様はセリアさんのご主人様なんですから、もっとちゃんとして頂かないと困りますよ」


 何で私がこいつに叱られなきゃいけないんだろう――と心のど真ん中に疑問を抱えつつ、意味深な言葉を拾う。


「混沌の魔女……?」

「貴族間でのアスカ様の呼び名ですよ。セレンディバイト家とダンビュライト家の主を射止め、その上リアルガー家とラリマー家の方々に気に入られ、私とローゾフィア家の末息子とアイドクレース家の後継ぎが3人目の男に立候補している……様々な色が混ざり合って『もう灰色じゃなくて混沌だろ』って誰かが言い出してから<混沌の魔女>と呼ばれるようになった訳です」


 混沌の魔女――かなり強そうでカッコいい響きだけど、どう考えても悪い意味で使われてるから全く喜べない。

 その上、また聞き捨てならない言葉が出てきた。


「……今、3人目の男候補が1人多くなかった?」

「え? 確かレオナルド卿がご婦人が人工ツヴェルフになってアスカ様のお相手を辞退されて……その少し後にヒューイ卿が名を挙げられたので、現在私とロイド公子とヒューイ卿で3人ですよね? 他の二人のどちらか辞退してくれたんですか?」

「ちょっと待って……何で貴方まで入ってる訳!?」


 予想外の3人目候補に思わず声を荒げると、アクアオーラ侯はいかにも心外だと言わんばかりに大袈裟肩を竦めた。


「酷いなぁ、私、7侯爵裁判でちゃんと立候補したじゃないですか。途中でレオナルド卿の横入りが入って有耶無耶になりましたけど、私は撤回も辞退もしてませんよ?」

「でも貴方セリアに求婚」

「しましたけど、セリアさんが私の想いに応えてくれない、それでも一緒にいられる方法を、となるとやっぱりアスカ様と結婚するしかないじゃないですか? セリアさんが受けてくれたら喜んで撤回したんだけどなぁ」


 やっぱりこの男、頭――思考回路がおかしい。

 話せば話すほど自分の表情が段々険しいものになっていくのを感じる。

 

「……悪いけど私、貴方は絶対選ばない」

「やだなぁ、選ぶ権利があるとお思いで? これって本来アスカ様への罰なんですよ? それなのに、一番早く私が立候補してるのに、他の2人も含めて決めるっておかしいと思いませんか? こういうのって大抵早いもの勝ちじゃないですか」


 罰、という言葉がグサリと刺さって返す言葉が出ない間にアクアオーラ侯が更に言葉を重ねていく。


「まあ、どっちも公爵が後ろにいるから仕方ないと言えば仕方ないんですけど……あ、そうだ、今ラリマー公もここに来てるみたいだし、後ろ盾になってもらえないか相談してこようかな? もちろんセリアさんが結婚してくれるっていうならいつでも辞退しますよ? 私はどちらかと結婚できればそれでいいので」

「……それは卑怯じゃない?」


 ペラペラと自分の都合だけを語る姿に本当、この男苦手だわ――と嫌悪感すら抱く。


「そうですか? 親を人質にするより罪人を有効活用しようとする、とても優しい方法だと思いますけど。あ、もうアスカ様を監獄島に閉じ込める必要もありませんから、アクアオーラ邸でセリアさん共々手厚く歓迎させて頂きますよ? 最高の環境と最高の待遇……むしろ親切だと言ってほしいなぁ」


 そう言って微笑む姿からは本気でそう思っている事を伺わせるほど、悪意を感じない。

 もちろん、悪意がないから良いって訳じゃない。


「ああ、セリアさんの両親についてはどちらにしてもこっちで面倒見るから安心してください。今のアクアオーラって性根が腐ってる貴族多いんですけど、そんな中で真面目に働いてくれるから助かってるんです」


 え――侯爵って領主とか知事みたいなもんでしょ?

 なのに性根が腐ってる民が多いとか平気で言う知事とか、嫌だわ――とアクアオーラ侯爵に対する引きが止まらない中、セリアを見ると死んだ魚のような目をして聞き流している。


「ところで……部屋に入らないのは何故ですか? また虫が入ってきたのなら私が退治してさしあげますよ? それか……私が使っている部屋をお貸ししましょうか? ちょうどセリアさんに似合いそうだと思って買った服や小物がホテルに置いてあるので、今取りに行かせ」

「結構です」


 流石にそれは止めないと、と思ったのかセリアが言葉を被せる。

 その反応が嬉しかったのか、アクアオーラ侯爵は私に対する笑顔よりずっと柔らかい、ヘラッとした笑みを浮かべた。


「そう遠慮なさらずに。私が選んだ服を着て、一緒に星鏡を見に行きましょう? どうせアスカ様はセレンディバイト公と甘く長い一夜を過ごす訳ですし、その間お暇でしょう?」

「お断りします」

「……あの、どうしてそこまで頑ななんですか? もしや私の過去を気にされておいでですか? でしたら過去の私ではなく、今の私を見て頂きたいのですが」

「私は今の貴方を見てお断りしています」


 胃の辺りを押さえながら真っ直ぐアクアオーラ侯を見据えるセリアの目には、はっきり嫌悪の感情が宿っていた。


「……君のそのすごく綺麗な瑠璃色の眼、そんな風に濁らせてほしくないんだけどなぁ」


 流石に人の感情に配慮しない男も想い人の明らかな嫌悪の感情を向けられて戸惑ったのか、眉を潜めて目を伏せる。


 これまで人を悪意なく小馬鹿にしてきた男とは思えない、色気すら感じる悲しげな表情は綺麗だなぁと思う位には美しいけど、微塵も同情する気が起きない。


 どうやらこの世界で出会った男達の顔面偏差値が高すぎて、美形という特性に対してちょっと耐性がついてきたみたいだ。


 死刑から助けてくれたとはいえ、私に強制出産刑を課した自分勝手な美形が想い人にとりつくしまも無いほど拒絶される姿に正直、ちょっぴ――いや結構ざまぁとすら思う。

 

 ああ私、ここに召喚された時に比べて物理的にも精神的にも格段に強くなってる――なんて考えていると、アクアオーラ侯のため息によって現実に引き戻された。


「……分かった。今の私の何処が駄目なのか聞きたいけど、君にそんな表情向けられ続けるのは辛いから今日はこの辺で失礼するね……それじゃあ、君とアスカ様に海の祝福があらん事を」


 アクアオーラ侯は再び表情に微笑みを浮かべて丁寧に一礼すると、護衛を連れて去っていった。


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