第1部・5章

第142話 地獄から夜が明けて


 ガラスの扉から差し込む、柔らかい日差しに起こされる。

 自分の中で重く伸し掛かる黒の魔力の存在感に(やっぱり昨日の事は夢じゃなかったんだな)と重いため息をついた。


 昨日散々聞いた悲鳴によって、これまで時々聞こえた悲鳴のような空耳が空耳じゃなかった事も分かって一層重苦しいものが心にのしかかる。

 

「アスカ様、食欲はまだ湧きませんか?」


 並べられた朝食にあまり手を付けられずにいた私を心配したセリアが顔を覗き込んでくる。


「セリア……昨日の夜、大丈夫だった?」

「え……何がですか?」


 きょとんと問い返すセリアには何の事かさっぱり分からないようだ。

 昨日あれだけ頭の中で響いた悲鳴はセリアの所までは届かなかったんだろうか? 念を押してみる。


「悲鳴っぽい叫び声とか……うるさくなかった?」

「いいえ? 昨日は23時位まで起きてましたけど、特に何も聞こえませんでしたが……え、アスカ様、まさか!?」

「してない、してないから!! する時は言うって約束でしたでしょ!?」


 セリアの驚愕の表情から何を考えてるのかあからさまに分かって全力で否定すると、ホッと胸をなでおろされた。


「では、何故そのような事を?」


 この事を言わないでいる理由もないし、この不安を一人で抱えるのも怖い。

 昨日の夜起きた事を簡潔に説明するとセリアの表情は唖然とした物に変わる。


「アスカ様、業務時間外とか気になさらなくていいので、変な物を見た時点で私を呼んでください……!」

「ごめん……ダグラスさんやルドルフさんがいればそんなに危なくないかなと思って……」

「もしそこでダグラス様がハグとキス以上の事を言い出してたらどうしてたんですか!?」


 あくまでキス、としか言わなかったけど実際はキス以上の事をされているのでぐうの音も出ない。

 深い口づけも向こうにとっては<私が拒まなそうなお願い>のつもりで言ってきたのだろうと思うと、尚更自分が甘かったと痛感せざるを得ない。


 今後の為にも後で交換日記に『深い口づけは苦手です』と書いておこう。

 ショック受けるかもしれないけどもう魂もいないし、不機嫌の被害者は私一人で済むはず。


「はぁ……子づくりの話になると2人とも奥手になるから2か月半後までは心配しなくてもいいかと思っていましたが、アスカ様とダグラス様は本当、油断なりませんね……」


 専属メイドの役目を果たしそびれる事を心配したらしいセリアに困った顔で深いため息をつかれてしまう。


「セリア……そんな事より今はあの人が人の魂に手を出した事の方が大事だと思う。この事、皇家に報告した方が良いんじゃない?」


 昨日私は3つの魂を解放する事ができた。でもまたあの人が人の魂に手を出す事を完全に止められた訳じゃない。


(こんな、人の道に外れた事……もう2度とさせないようにしないと……)


 彼がそういう魔法に手を出したのは私のせいだと思うと見て見ぬふりはできない。 

 だけど、私一人の力で抑えきれるものでもない。


「確かに報告するべき案件ではありますが……それで事態が好転するという期待はしない方が良いかと」

「え……何で?」


 少なくともダグラスさんの行動はセリアも納得するほど異常で、私だって追い詰められてるのに――納得できないでいるとセリアは困った様子で言葉を紡いだ。


「今回の件、ダグラス様はアスカ様を傷つけている訳ではありません……罪人の魂がどう傷つこうと、アスカ様本人が傷つけられる可能性はない……その事が、どう判断されるかです」

「私、心をものすごく傷つけられてるけど?」


 言ってて何だかすごく恩着せがましい言い方に聞こえてしまう。間違ったことは言ってないはずなのに。


「心は目に見えるものではありません。それに前日のジャンヌからの手紙によると、ダグラス様が処刑した反公爵派の遺体から魂を取り出している事は皇家も他の公爵達も把握しているようです。今の状態で何の対処されていないのにアスカ様の態度一つで罪人の魂が痛めつけられると知っても……」

「皇家も他の公爵家も、あてにできないという事?」


 私の率直な問いかけにセリアは小さくうなずく。


「……ですが、報告はさせて頂きます。無駄でも声を上げるのと声を上げないのは違いますから。少なくとも早々に報告する事で『今更』という言葉を防げますし、何のアクションも起こさないとアスカ様がそれを受け入れてると思われかねませんから」


 そういうセリアの微笑みは、とても心強いのに。


「……ジャンヌからの手紙に魂の事が書いてあったのなら、何で言ってくれなかったの?」


 恐らく赤の公爵の善意を教えてくれた時の手紙に魂の事も書いてあったんだろう。むしろ『黒の公爵何かヤバい事してるみたいだけど大丈夫?』的な、そっちが本題の手紙だったんじゃないだろうか?

 だから赤の公爵も余計私の事を心配してくれたんじゃ――


「……どんな貴族にも影や後ろめたい物はあります。公爵家ともなればその濃さも一段と増す物……アスカ様は心優しいお方なのでそんな負の部分を極力見せたくないのです。だからアスカ様に直接関係なさそうな情報はお伝えしませんでした」


 昨日みたいに突然ドーンと重すぎる負を見せられるよりは事前に匂わせてくれた方が心の準備ができるから教えてほしい。

 『これからは分かってる事全部言ってよ』って言いたいけど――それを言ったら私が地球に帰る事を言わない事に余計罪悪感を感じる。

 セリアが都合悪い事を隠すから、こちらも都合悪い事を隠していられるのだ。


「そう……」


 それだけ呟いて話を切り上げる。これ以上この世界の闇を知りたくもない。

 狡賢い考え方だと思うけど、見せてもらえなかったから知らなかったと後で言い訳もできる。


 早く帰りたい。帰って、私が理解できる世界で生きたい。



 結局、朝食を半分程残してしまったまま下げてもらい、セリアから新聞を受け取ると信じられない文字が目に飛び込んできた。


<リアルガー家のアンナ嬢、懐妊>


「何コレ!?」


 眼に入った一面の記事に思わず叫ぶと「ああ!」と思い出したようにセリアが声を上げる。


「アスカ様が元気が無かったので言いそびれてしまいましたが、おめでたいですね!」

「え、待って、妊娠ってそんなすぐ分かるものなの!?」


 地球にも妊娠検査薬があるから、つわりとかの症状が出る前に分かるけど――それでも実際に妊娠してから数週間は確認できないはず。


「妊娠したら数時間で器が他の魔力を受け付けないようにロックされますから。ロックされた状態では魔法や魔道具が一切使えなくなります」


 そう言えば、メアリーの授業でもマナづわりがどうとか言ってたっけ――つまり魔法や魔道具が使えなくなる事で妊娠した事が分かるって事か。


(確かにアシュレーは魔力溜まり次第早々に子づくりするみたいな事言ってたけど……)


 露店通りのアンナの赤面っぷりからも致してるんだろうなとは思ってたけど。ちょっとショックが大きい。


 更に妊娠したら新聞の一面に載ってしまう状況がまた一段と恥ずかしさを煽る。

 記事にはアシュレーと寄り添って歩く笑顔のアンナの写真まで載ってる。幸せそうで良かったんだけど――アンナ、自分の妊娠が一面に載ってる事を知ったら失神しそうな気がする。


「……ツヴェルフが妊娠したら、パーティーするんだっけ?」

「はい。近々リアルガー家から招待状が届くと思いますよ。公爵家のパーティーでは遠方の侯爵家や有力貴族も呼ぶでしょうし、日程は再来週あたりになるかと」


 本当にやるんだ――と内心引きつつも、ふとダグラスさんの暗い言い方を思い出す。


『新しい家族が宿った時点で祝われない……それは、望まれなかった子、という宣告に等しい』


 パーティーなんて大それた事はしなくても、宿った事を少しでも嬉しいと思っていればささやかにでも祝う物。

 それが全く祝われないという事は、確かに――そういう事なんだろう。


 無関心な子どもだったという割には、母親がずっと暗い顔だった事を今でも気にかけている。

 それを『自分が何もしなかったからだ』と言い聞かせる位には、パーティーを開かれなかった事に対して暗い顔をする位には――彼は<家族>に対して<闇>を抱えている。


 彼の中にある明確な、闇。そんな彼に対して言いたい事はあった。だけど、もう、言えない。言えるだけの勇気をくれる花は、昨日殆ど散ってしまった。

 今はその跡地に散った花びらが残るだけ――感傷を引きずりつつしんみりとした気持ちで次の記事へ視線をずらす。


<セレンディバイト家待望の跡継ぎも、もうすぐ?>


 その見出しに嫌な予感がしてその下に見つめあう私とダグラスさんの写真付きで載っているのを見た瞬間、私は再び品格の欠片もない悲鳴を上げた。



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