第85話 ワールドギャップに戸惑いながら
次の日の朝――少し暑い、と感じる位の強い陽の光を受けて目を覚ます。
時計を見れば6時前で二度寝する気にもなれずにストレッチを始める。
地球に戻っていた時も軽めに筋トレとストレッチをしていたお陰で大分体の調子も良く、今日からでも本格的な訓練に挑めそう――と思った所でセリアが新聞を持ってやってきた。
「今日はアスカ様の帰還が一面になっております」
私の帰還はこの国の人達にどう受け止められているんだろう――ニコニコ微笑むセリアを見る限り、そこまで酷く書かれていないと信じたい。
そう願いながら新聞を受け取ると、その一面の見出しに言葉を失う。
<銀色の渡り鳥帰還 まずは漆黒の館で愛の巣作り>
ドン引きの見出しの横には空中でペイシュヴァルツに乗って俯く私とカメラ目線でドヤ顔してるダグラスさんの写真――イケメンは何故こんな状況でも様になるんだろう? なんて思考が過りつつ、何故こんな写真が撮られているのか疑問に思う。
この写真をペイシュヴァルツに載ってるダグラスさんが自撮りできるとは思い難い。
そう言えば昨日、セレンディバイト邸に帰る途中で飛竜に乗った人を見かけた。
あの飛竜に乗っていた人が新聞記者――いや、グスタフさんみたいに写真を撮れる黒の騎士団の人、という可能性もある。
頭の中が疑問でいっぱいになりつつ、この見出しの恥ずかしさも相まって記事を読みこむ気にはなれず。
でもダグラスさんも午前も起きられるようになったとは言え、まだ6時台である事を考えると、問いただしに行く時間には早い。
羞恥心にまみれながらいつもの筋トレをこなした後、シャワーを浴びて着替えてセリアに色々整えてもらい、執務室の扉を開ける。
「ああ、おはようございます、飛鳥さん……眼鏡もよくお似合いで麗しいですね」
椅子に座って書類に羽根ペンで何か書き込んでいたらしいダグラスさんが顔を上げて笑顔を向けてきた。
その姿と真面目に仕事に向き合うダグラスさんのカッコ良さにちょっとドキッとしつつ、ダグラスさんが書類を除けた場所に新聞を置く。
「あ、あの、これなんですけど……!!」
震える指で問題の見出しを差した私の怒りを抑えた声にダグラスさんがきょとんとしている。
「<銀色の渡り鳥帰還 まずは漆黒の館で愛の巣作り>……これの何処に問題が?」
「見出しも写真も問題ありありだと思うんですけど……! まず写真! 何でダグラスさんカメラ目線なんですか!? って言うか前、ソフィアやヒューイ達が来る前に撮られた写真……! あれもダグラスさんが新聞社に売ったんでしょ……!?」
何が悪いのかまるで分かっていないらしいダグラスさんにまず写真の事から問いただすと、そっと目をそらされる。
「……以前の写真は売ったのではなくこちらから金を出して載せてもらったのです。愚弟に貴方を諦めさせる為に……ですが昨日は襲撃を警戒しながら飛んでいただけです。たまたま通り過ぎた飛竜に乗った人間が記者だったのでしょう」
私のちょっと恥ずかしい表情を売ったんじゃなくて、お金出して載せてもらったとか――いや、駄目。まだ怒っちゃいけない。
「……ダグラスさん、私、ダグラスさんが凄く強い人だって事はよく分かってます……このカメラ目線のドヤ顔……絶対相手が記者だって気づいてましたよね?」
頭で何度も冷静に話すよう意識して問いかけると、ダグラスさんはちょっと困ったように眉を顰めた。
「……撮られる可能性を考えて多少表情を意識した事は認めますが……私が写板目線でこのような表情をした事に何か問題でも? 公爵相手に不敬だと記者を叩き潰したら貴方は嫌がるでしょう?」
ああ――そうだった。この人って、そんな人だった。
そこを改善してくれている点を考えると、これ以上の事を言って変に機嫌を損ねられても困る。
ここは最悪の手段を取らなかった辺りを認めてあげるべきなのかもしれない。
「……分かりました。写真についてはもういいです……でもこの見出し! 何ですかこの銀色の渡り鳥って! 愛の巣作りって……!」
次の問題点を指摘すると眉を下げて小さくため息をつかれる。
「ああ……私だって黒が良かった。しかし飛鳥さんがこれから私と愚弟の間を行き来するとあってはどうしても中間色……
「色の話をしてるんじゃなくて! <渡り鳥>とか<愛の巣>とか、完全に私を鳥扱いしてる事が問題なんですけど……! ダグラスさん、私の名前の意味、誰かに言いました!?」
私の名前の意味を知っているのはダグラスさんかクラウスしかいない。
クラウスに伝えたのは地球にいた時だから、犯人はダグラスさんしかいない。
自分の名前を悪い意味でからかわれるのは良い気分じゃない。ましてこんな風に性的な揶揄と括り付けられたら――
「……旅人やツヴェルフなど
疑われた事に気を悪くしたのか、ダグラスさんの口調が少し厳し目になってきた。
疑って悪かったとは思う。だけど、ちょっと位一緒に怒ってくれたっていいのに、受け流せだなんて。
(でもここで強く不満を言って、新聞社脅しに行かれても困るし……)
酷いですね、って共感がほしかっただけなんだけど――この人にそれを求めるのはなかなか難しそうだ。
「……分かりました」
ここは私が飲み込まなければ。共感してもらえなかったイライラは後でセリアに愚痴聞いてもらって昇華しよう、と扉の方へと振り返る。
「ああ、飛鳥さん……今朝リビアングラスの令息夫人から貴方宛てに手紙が届きました。本日午後2時からお茶の準備をしておくので良かったらどうぞ、との事です」
再び振り返るとダグラスさんが立ち上がって私に封書を差し出す。
封書は私の名前とマリーの名前が記載されて――封が開いている。
「これ……何でダグラスさんが見てるんですか?」
「まだ正式に結婚していませんが、私は貴方の夫になるのですから見ても問題ないでしょう? それに飛鳥さんに届く手紙は全て検閲してから本人に渡すように公爵達から言われてますから。送迎は私がしますので13時40分迄には準備を」
頭の中で切れかけていた堪忍袋の緒がブチリと勢いよく切れた音がする。
「……です」
「え……? すみません、よく聞こえませんでした。もう一度」
「結構です!! 私、リビアングラス邸にはセリアと2人でロイに乗っていきますから!! ダグラスさんは着いて来ないで!!」
「そんな……! 何故です!? ペイシュヴァルツに乗るのが嫌でしたら黒馬車を使います! 魔獣に乗ってあちこち飛び回られてはまた余計な醜聞が……!!」
「もう、ダグラスさんまで私を鳥扱いして……ダグラスさんの馬鹿!! 何で私が嫌がってるかは自分で考えてください!! 朝食も昼食も自分の部屋で取りますから!!」
「待ってください、飛鳥さ」
「着いてこないで!!」
「はい!!」
私の一喝にビシッと固まったダグラスさんを背に、勢いよく扉を開けて執務室を出る。
バタバタと足音荒く自室に戻った頃には自己嫌悪で頭が一杯になっていた。
「ごめんねセリア……帰ってくるなり喧嘩して……」
恥ずかしくてテーブルに突っ伏す私の頭上近くから、セリアの穏やかな声が落ちてくる。
「いえ、お二方が喧嘩するのは慣れてますから……でもアスカ様、何をそんなに怒ってらっしゃるのです?」
「だって、渡り鳥って……あっちこっちの男にフラついてる尻軽女みたいな二つ名、これから住む場所で広められたら恥ずかしくて、怒って当然だと思わない……!?」
実際そう言われても仕方ない事してるって頭では分かってる。
何か言われる事も覚悟してたけど、まさか全国民に渡り鳥って言われるような状況になるとは思ってなかった。
予想以上にダメージが大きくて憂鬱になる。
「まあ……地球では渡り鳥に性的な意味を込めておられるんですね」
驚いたセリアの言葉に違和感を覚える。性的な意味、という言い方もそうだけど――
「……この世界では、違うの?」
「はい。ダグラス様も仰っていましたがこの世界では渡り鳥という言葉は渡り鳥そのものはもちろん、吟遊詩人や旅芸人、冒険家に傭兵、ツヴェルフなど
今何かサラっと凄い単語が出てきたけど、そこに突っ込む事に躊躇している間にセリアが言葉を続ける。
「この世界では渡り鳥は吉凶の象徴……その地に幸福、あるいは災いをもたらす存在として使われる意味合いが強いのです」
「へぇ……吟遊詩人や旅芸人が災いをもたらすとは思えないけど……」
歴代ワーストツヴェルフ達のしてきた事を考えたらツヴェルフがそう呼ばれるのは理解できるけど、美しい歌や踊り、芸なんかは見ていて楽しいし幸せを運ぶイメージしか無い。
「流浪者全般に言える事ですが各地を渡り歩く分、他国や他領にとって都合の悪い噂や歌が民に広まったり、彼らに憧れた子どもが家を出たり……幸せと不幸は表裏一体。渡り鳥が運んでくる幸せは、誰にとっても幸せとは限らないのです」
セリアの微笑みから紡ぎ出される重い言葉に大分冷静にさせられる。
「あの、アスカ様……この新聞、見出しは確かに愛の巣とかちょっと下世話な面が出てますが、内容は割りとアスカ様に好意的なので是非読んでみてください」
いつの間にか新聞を持ってきていたセリアはそれを私に手渡してきた。
同じタイミングでルドルフさんが朝食を運んできたのでセリアが朝食の準備をしている間、ベッドに腰掛けてその一面の記事に目を通してみる。
<セレンディバイト公もダンビュライト侯も互いにミズカワ・アスカを黒の聖女、白の聖女と皇国中で言い広め、自身の最愛である事を主張。ミズカワ・アスカがどちらを選んでも片方の機嫌を大いに損ねる事が予測される中、ミズカワ・アスカがダンビュライト侯と共に何かしらの手段を使って地球へと戻り、皇国の未来はどうなる事かと思われた>
あの2人そんな事してたの? 本当恥ずかしいんだけど。
<しかしミズカワ・アスカがこの地に帰還し、更に両名を受け入れるという私達にとって最善の選択をした事を称え、当社では感謝の意を込めて今後は彼女を『銀色の渡り鳥』と称していきたい。5節前に巨大な不幸を持って現れ、今再び不幸以上に巨大な幸福を持ってこの地に舞い降りた銀色に輝く渡り鳥がもう何処にも飛び立たず、皇国に居着いてくれる事を祈るばかりだ>
(……本当に馬鹿にしてる感じではないっぽい……)
あの卑猥な魔道具騒ぎの時のマリーやレオナルドの気持ちがちょっと分かった。
地球では何でもない事がこの世界では卑猥な行為だったりするように、地球の卑猥な意味を持つ言葉がこちらでも同じ意味を持っているとは限らないのだ。
「ごめん、セリア……私、馬鹿にされてるとばかり思ってた」
まさか渡り鳥という単語1つで
「以前は新聞もアスカ様を馬鹿にした書き方をしてましたし、地球で渡り鳥をそういう風に解釈する文化があるのならアスカ様が勘違いするのも仕方ありません。ですが今、国民の半数はアスカ様に好意的だと思いますよ。恐らくそれを意識してこの記事を書いた記者も銀色、という言葉で使っているのでしょう」
確かに――ダグラスさんも言ってたけど灰色と銀色、敬意を持っている人に対して使うなら銀色だ。逆に
「それと……先程の、ダグラス様がアスカ様宛ての手紙を見た件ですが、恐らく公爵達がアスカ様の手紙を確認する事を課したのは貴族達の『あのツヴェルフはまた何かやらかすのでは』『何か企んで戻ってきたのでは』という不安を払拭する為でもあるでしょうから……今のアスカ様は民には認められつつも、大半の貴族に警戒されている……非常に不安定な立場なのです」
そこまで言われたら、尚更自己嫌悪の意識が強くなってくる。
そういう状況ならもっと早く教えてくれれば――と思ったけど、昨日それを言わなかったのはまずは気にせずにゆっくり体を休ませてほしいという優しさからだろう、というのも何となく分かる。
「私……ダグラスさんに謝ってくる」
うん、そう決めたら早く謝った方がいい。朝食を食べ終えると再び執務室の方へと向かう。だけど執務室に入る前にヨーゼフさんが出てきた。
「ああ、アスカ様。ダグラス様でしたら先程ご出立されました。戻ってくるのは夕方になるそうです。アスカ様にはもう一度黒馬車に乗っていくように言って、それでも聞かなければ好きにさせてやれ、と言われておりますが……どうなさいますか?」
ああ、さっき午後はロイに乗っていくって言ったから――仕方がない。戻ってきた後に謝ろう。
「色々お騒がせしてごめんなさい……黒馬車、準備してもらえますか?」
「ほっほっ……かしこまりました。喧嘩しないのが一番ではありますが、お二方にそれは無理でしょうな。ただ、喧嘩した後こうして早々に冷静になって頂けるとこちらとしては非常に助かります」
軽く笑いながら一礼して私の横を通り過ぎるヨーゼフさんの後ろ姿を見ながら1つ、重いため息をつく。
(はぁ……私、こんな調子でダグラスさんとやっていけるのかな……)
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