第235話 始まりの場所へ
目覚めた時にはもう窓の向こうはすっかり暗くなっていた。
今、何時――そう思ってすぐ起き上がって見上げた時計は20時を示している。
「クラウス、ごめんなさい! 私すっかり寝ちゃってたみたいで……!」
「構わないよ。ただ、あいつらが塔の中に入ってきたみたいだからそろそろ上に上がろう」
傍の椅子に座っていたクラウスに慌てて謝ると、さして気にした様子もなく微笑まれる。
手櫛で軽く髪を整えた後、差し出されたクラウスの手に自分の手を添えて立ち上がり、黒い紙袋を持って隠し通路に入る。
(入って来てるんならその時起こしてくれれば良かったのに……!)
クラウスの照明を頼りに半ば焦りながら階段を駆け上がっていく。
(あ、そうだ、屋上に行く前に着替えないと……!)
確かこの塔は5階建てだった。5階に着いた所で3階と同じ様に部屋につながっているらしき部屋のドアを勢いよく開ける。
視界に飛び込んできたのはソフィアがリチャードの首に腕を絡ませてキスをしている光景。
驚いた彼らと見事に視線が合ってしまい、小さく首を横に振ってドアをそっと閉める。
(……これ、見られた側も気まずいけど見た側も相当気まずいわね……)
私はキスの最中に見られた訳ではないけど――と、かつて見られた側としての感情を思い返していると静かにドアが開く。
「余計な気を使わないでいいから。何?」
若干不機嫌なソフィアと顔を真赤にして硬直しているリチャードが出てくる。
「え、えーっと……屋上に上る前にここに来た時の服に着替えようと思って……」
一瞬吹き飛んでしまっていた目的を何とか引っ張り出すと、ソフィアは「ああ」と納得したような相槌を打って部屋を指差す。
「それなら私達今から屋上に上がるからこの部屋を使いなさいな」
「ありがとう。ソフィアはいいの?」
ソフィアが着ている灰色のワンピースは以前私も着た事があるダンビュライト邸のメイド服だ。
首に巻いた黄土色のスカーフと橙色の花のコサージュがよく似合っている。
「この下に着てるわ。流石にあの姿を人目に晒すのは恥ずかしいから」
言われてソフィアのこの世界に来た時の服装を思い返す。短パンにノースリーブ――確かに、これから多くの人に会うかも知れない状況であの部屋着で出るのは避けたいだろう。
「じゃあ、先に行ってるわね」
そう言ってソフィアが階段を上がっていくけど――リチャードが赤面したまま動かない。
「リチャード! しっかりしなさい!!」
ソフィアの怒声にハッとしたリチャードが顔を真赤にしたまま慌てて追いかけていく。
そのまま背中を見送っているといつの間にか部屋に入っていたクラウスから呼びかけられる。
「アスカ、今部屋の中に障壁を張ったから安心して着替えて。僕はここで待ってるから」
「あ、ありがとう……」
本当に――ここまでしてくれるクラウスにはどれだけお礼を言っても足りない。
3階の部屋と似たような作りの部屋はクラウスの障壁の影響か、中にあるベッドや棚が薄ぼんやりと淡く光っている。
着替えながら考えるのは、さっきの2人の様子。
先程のキスは明らかにソフィアから仕掛けていた。恐らくモジモジして手を出さないリチャードに痺れを切らしたのだろう。
直立不動で目を見開いてたリチャードの姿がしっかり目に入った。
露店通りでお互いから感じた想い。きっとこの1ヶ月、色々積み重ね、ジレジレしてきたのだろう。
そして頑ななリチャードにソフィアが最後にキス位させなさいよと行動に出た――恐らく、そんな感じだろう。
そんな積極的なソフィアにあっぱれと言いたい。最後の最後に他人のラブシーンを偶然見てしまった事に4割の罪悪感と4割の気まずさ――そして2割の満足感に満たされる。
(でも……リチャードは本当にこれで良いのかしら?)
リチャードがソフィアに対して抱くのは明らかに友情や敬意ではなく愛情。
もう二度と会えなくなるのに、彼はそれでもソフィアの為に尽くす。
リチャードには色々お世話になった事もあって幸せになってほしいなと思うけど、ソフィアがいない未来で彼は幸せになれるのだろうか?
そんな事を考えながら着替え終えた後、ラインヴァイスのブローチが付いたスカーフを首に巻いて部屋を出る。
「へぇ……地球の服ってそんな感じなんだ。可愛いね」
クラウスがまじまじとした目で私を見つめるのでつい視線をそらす。
「ね、ねえ、クラウス……この世界の人を地球に連れて行く事ってできないのかしら?」
「ど、どうしたの、突然……?」
「……ソフィアとリチャード、両想いなのにソフィアは地球に帰りたいみたいだから。リチャードが一緒に着いて行けたらなって……」
神官長が以前、私が地球に帰ったらダグラスさんが私を追いかけてくる可能性があると言っていた。
それはつまりこの世界の人は地球でも生きられるのだろう。私達がこの世界で生きていられるのだから別におかしい事じゃない。
「あ、ああ……彼らの話、ね……難しいんじゃないかな。地球には魔力を持ってる人がいないんでしょ? 彼らに子どもが産まれて、その子どもが地球の人達と子どもを成していったら、ここの人達みたいに魔法が使える人がどんどん増えて、世界は大きく変わっていってしまう。それは……星の倫理に反する禁忌だ」
言われてみれば確かにそうだ。何かの偶然で魔法を使ってしまう人が増えたら魔法について研究する人達が増えて、それを利用した科学技術なんかにも使われて――多分、人体実験なんかもするのだろう。その際に慎重に丁重に扱われるとは限らない。
「そっか……確かに、子孫達が辛い目に合うかも知れないって考えたら地球に付いていくって選択肢はないわよね」
自分の家族や子孫が人体実験に使われるなんて、想像しただけでもおぞましい。
「へぇ……アスカはそういう風に考えるんだね。僕もリチャードが付いていけばいいのにって思った事はあるけど、彼は『お互いに花を咲かせられる場所が違う』みたいな事を言ってたし、単純にこの世界に家や家族……守りたいものがあるから残るんだろうなって思ってた」
『花を咲かせられる場所が違う』なんて、かなりロマンチックな言い回しが心に残る。
ソフィアもリチャードも、愛以上に譲れないものがあるから残らないし、ついていかないのか。
「でも、そうだね……この世界の人間が地球に行くなら、子どもを諦めるか、あるいは子孫代々1人だけ……双子が出来た時は片方を殺す……そういう覚悟や呪いがないといけないね……」
「それは……」
クラウスが紡ぎ出す残酷な言葉に声を詰まらせると、クラウスは困ったように微笑んだ。
「心配しないで……もしもの話だから。ただ、その位の覚悟がないと一緒に行けないねって話。大丈夫だよ」
クラウスの優しい眼差しが真っ直ぐ向けられて、思わず目を逸らす。
ソフィアは絶対に地球に帰りたい何かがある。
優里は絶対に地球に帰って果たしたい使命がある。
それに比べて、私は何なんだろう? この世界が嫌だから。この世界で一人で生きていけないから、誰かに縋って生きていくような人生は嫌だから、あの人が怖いから――そういう負の感情の積み重ねで帰りたいと思っている。
2人に比べて、何だか自分がちょっと格好悪いような気になってしまうのか気のせいだろうか?
(それに……この世界には小説はあるのかも知れないけどきっと漫画はないし、テレビもネットもスマホもない。気になってる漫画やドラマの続きも見れない。好きな音楽も流せないし……うん、それだけでも十分地球に帰りたい理由になるわよね)
この世界にあるのは魔物と魔法と陰謀。何の力もない私は誰かに縋ってないと生きていけない厳しい世界。
色々な魔法を使うのは楽しそうだけどそれをするにも魔力を注いでもらわないといけない不便過ぎる世界。
自分の帰る理由に箔をつけてみようと考えてみたけれど、どう考えても最後は『2つの世界を秤にかけた結果地球が圧倒的勝利を収めている』から絶対地球に帰りたい……! という至極理性的な結論にたどり着く。
(それでも……あの人が、優しさを示してくれていた時は残ってもいいかなって揺らいだ時もあるけど)
感情が理性に勝った時もある。でもあの人が怒ったら、心変わりされたらまた恐怖で押さえつけられるのだ。心の安定も解かれて潰されるのだ。
それが今、感情に重い蓋をしている。感情自体、膨れ上がる傾向もない。
この世界から逃げたい。地球に帰りたい――2人に比べて動機はアレかも知れないけど、地球に帰りたい意思が揺るぎない事自体は間違いない。
1つ深呼吸をして再び隠し通路の階段を上がっていく。しばらく上がると屋上から青白い光が注がれる。
青白い星に照らされてこの世界に初めて降り立った場所――塔の屋上へと上がった。
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