第180話 とある騎士の恨み言・1(※エレン視点)


 それは、一瞬、と言っていい位の速さだった。


 空に強い黒の魔力を感じた次の瞬間には庭園の噴水のふちに黒の槍が突き刺さる。


 縁に嵌め込まれていた結界石を砕いた黒の槍はひとりでに空に浮き上がった。

 槍が向かう先に見えるのは――漆黒の大猫ペイシュヴァルツに乗った、黒の公爵。


 辺りが騒然とする中、黒の公爵はこちらに構わず結界の外から館の上を旋回し、館の3階――結界石が安置されている部屋めがけて再度黒の槍を投擲する。


 2つの結界石が数分とかけずに破壊され、結界の力が半減した中でこちらに降り立とうとする黒の公爵に騎士団の魔術師達が己の魔力を弾へと変えて打ち放つ。


 ――が、彼に向けて放たれた魔法は全て黒色の防御壁に弾き飛ばされた。


『手荒な真似はしたくない……今すぐ私の婚約者を返してもらえればここで引こう』


 破壊した噴水の縁の近くに降り立った黒の公爵は拡声魔法を使ったのか、低い声が周囲に響き渡る。

 来て早々に希少で高価な結界石を2つも破壊する事が『手荒な真似ではない』と本気で思っているのだろうか?


(後2つの結界石は館の地下……屋内への侵入を防げれば破壊される可能性は低い)


 父上と騎士団の皆もそう判断したのか、奴の言葉に怯むこと無くそれぞれが得意とする武器を構える。


『愚かな……』


 言葉で愚弄しつつもまるで私達が抗う事を望んでいたのように武器を構える私達を前に、黒の公爵は嘲笑うかのような笑みを見せた。



 私は、この世でこの男が一番嫌いだ。

 この黒い悪魔はいつも、私の人生を大きく狂わせるからだ。




 あれは、クラウスの8歳の誕生日――当主様が公務で不在の中行われたささやかな誕生日パーティーを終えた後。

 息を荒くしながら『もう少し起きていたいのに』と駄々をこねるクラウスをセラヴィ様が優しく寝かしつけていた事はよく覚えている。


 その日の午後、セラヴィ様がバルコニーで黒い服の男と話しているのが見えた。宙に浮かぶ大きな黒猫に目を惹かれた時に当主様が言っていた言葉を思い出す。


『セラヴィに<黒>を近づけてはいけない』


 慌てて呼びかけたらセラヴィ様は笑顔でこっちに歩いてきて黒猫に乗った男は飛んでいった。

 その時は良かった、守れた、なんてのんきな事を考えていた。


 だけどクラウスの部屋に戻った後――突然セラヴィ様が豹変した。 


 虚ろな瞳から涙を流して『デュラン様』と繰り返し呟くその姿が、今でも目に焼き付いて離れない。

 そして気が触れてしまったのかと思う位取り乱すセラヴィ様の姿に怯んでいる間にあの方は部屋を飛び出した。


 廊下の奥――先程のバルコニーへと続く通路を真っ直ぐ走るセラヴィ様に嫌な予感がして慌てて追いかけた。


 たが、その時の私は11歳。今のように鍛えられた肉体を持っていた訳ではなくその日に限って父から『婚約者の誕生日位お嬢様らしくふるまいなさい』と重めのワンピースと走りづらい靴を履かされていた。

 だから――バルコニーから空へと舞うセラヴィ様に追い付く事が出来なかった。


 少しでも状況が違っていたら止められたのだろうか? 何もかもが、今とは変わっていたのだろうか? そんな『たられば』が今でも頭を過る。


 バルコニーの下を確認する事が怖くてすぐ様父上を呼びに行った後の記憶が殆どない。

 その日の夜に、セラヴィ様は即死だったと。誰が何をしても助からなかったと聞いて――ほんの少しだけ救われた事を覚えている。


 だけどその後、セラヴィ様が手袋をしてなかった事を父上に責められて再び絶望に突き落とされた。


『セラヴィは人や物から記憶や思念を読み取る事が出来るから、私がいない時は絶対に手袋を外させてはいけないよ?』


 お世話係を任された時に当主様が言っていた言葉。


 何故あの時私はちゃんとセラヴィ様を見ていなかったのだろう?

 お世話係なんてつまらない、クラウスの事は嫌いじゃないけど婚約者なんて嫌、こんな窮屈な館抜け出したい――眠るクラウスを睨みながらそんな事を考えていなければ、防げた事故。


 つまらないと馬鹿にしていたお世話係すら、私には務まらなかったのだ。



 父上に支えられて泣きながら、帰ってきた当主様に一部始終を説明した。

 当主様は『そうですか』と一言言った後、今のクラウスのように一週間純白の部屋にこもり続けた。

 それからは公務の時以外ずっと純白の部屋で過ごされるようになった。それは当主様が亡くなられる日までずっと変わらなかった。


 セラヴィ様が亡くなってから当主様から優しい笑顔が消えた。父上からも笑顔が消えた。それはそうだろう。自分の娘わたしのミスが主君の最愛の妻の死を招いてしまったのだから。


 自分の至らなさを反省し、実力をつけたい、騎士になりたいと父上に言った時の『クラウス様の一生を見届けられる立場にいるなら後は好きにすればいい』と言われた時の事は、一生私の頭から離れないのだろう。


 今でも父上は『クラウス様の一生を見届ける事が私達の償いだ』と口癖のように言う。


 引き篭もった当主様に、責任を感じる騎士団長――館の要人達が作り出すそんなどんよりとした空気に加え、母親を亡くした上に父親とも滅多に会えなくなったクラウスがメソメソと泣き暮らす。


 一人ぼっちになったも同然のクラウスに罪悪感を感じて過保護なまでに世話を焼いた自覚はある。

 同時に何で私が、と反発心も隠す事が出来ず甘えてくる度にわざと辛い態度をとったりもした事も少なくない。


 そんな自分がたまらなく嫌だった。そんな自分にさせる周囲も嫌いだった。


 そんな中、当主様はクラウスの誕生日だけは必ずクラウスに会いに来る。そしてクラウスにだけあの時と変わらぬ笑顔を向ける。クラウスもそれに騙されて幸せそうな笑顔を向ける。


 クラウスの誕生日はセラヴィ様の命日――当主様にとってクラウスはセラヴィ様あっての存在。


 それに気づいた時から、その幸せな光景が何より醜い物に感じた。


 当主様が亡くなった時は悲しみより(もうあの醜い幸せを見ずに済むのだ)と安堵の方が大きかった。

 その代わり気高く美しい純白の大鷲が弱々しく醜い灰色の雛になってしまった。


 色神が醜くなってしまった事を周囲に悟られてはならない、と只でさえ最低限しか請け負っていなかった公務の量をさらに減らし――クラウスが六会合にも出られない事からついに爵位まで落とされる事になった。


 ただ父上が出来得る限りの公務を代行し、事情を知る皇家がクラウスの治癒の力を上手く公務に組み込んでくれた事でダンビュライト家は最低限の名誉と収益が保つ事ができた。


 他の貴族に対して胸を張る事はできない。ただ、武芸を磨き魔法を学んで実力が認められ魔物から民を守り部下に慕われる生活はけして悪い物ではなかった。


 だが――私は何処まで償わなければならないのだろう?

 私の罪はここまで人生を押し潰されなければならない程の物だったのだろうか?


 心の隅に巣食う闇はこのまま消えないまま、消せないまま私は縛られた生を終えていくのだろうかと考えていた中、クラウス宛てに黒の公爵と皇家から手紙が来た。


 手紙を読み終えたクラウスがうんざりしたような顔で嘲笑う。


「今度召喚するツヴェルフを黒の公爵と共有しろ、だってさ」


 黒の公爵――セラヴィ様が死ぬ直前に話した、あの男。

 あの男とツヴェルフによって、また私の人生が大きく狂わされようとしている。


 そんな嫌な予感は、見事に当たってしまった。


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