第179話 白の変化・2(クラウス視点)


 館に着き、アスカを抱き抱えて馬車を降りると白銀の甲冑を纏った数人の騎士達が近づいてきた。

 その中央にはエレンや彼女の父親でもある騎士団長のウィリアム、彼ら直属の部下達。


 その中で好意的な視線と捉えられるのはせいぜい彼らの後ろで心配そうな顔をしているソフィアとリチャード位のもので、後は皆、厳しい視線だ。


「クラウス様……何故、そのツヴェルフを連れてきたのですか?」


 甲冑を身に纏い白髭を蓄えた、年の割にしっかりとした体格のウィリアムにいつになく厳しい口調で問われる。


「父様と同じ事をしただけだよ……アスカは全然、幸せじゃなかった。あんな所で一人きりで酷く傷つけられて……だから助けたんだ」


 そう答えると主に対しての物とは思えない位の深い溜め息が返ってくる。


「黒の公爵の婚約者を強引に連れ去ればどのような事になるか想像つかれるでしょうに……恐ろしい事になります」


 アスカを痛めつけたエレンの事を棚に上げてよく言う。婚約破棄した時にそれを突っ込んだら『戦いとはそういう物』と返されたからもう何言っても無駄だろうけど。


「お前達親子はいつだってそうだね……僕が何かしようとするとまず止めに入るし、勝手に行動すると強く諌める。僕を主だと思ってるのなら1度位大人しく僕の行動を受け入れたらどうだい?」

「無理です。受け入れるには貴方の行動はあまり幼く、愚か過ぎる」


 ハッキリと物を言う騎士団長に感謝の念が無い訳じゃない。午前中しか動けない主に代わって親子揃って長年よく仕えてきてくれたと思う。


 でもこんな風に僕を軽んじる態度がずっと気に触っていた。しばらくは僕を守るあまりに過保護になっているのだと好意的に考えるようにしていた時期もあったけど、段々、自分達が仕える家の隠すべき汚点のように扱われているとしか思えなくなった。


 実際、僕は不純物を抱えた半端者だ。色んな人に迷惑をかけている。だからそんな態度を取られても仕方がないと思ってきた。

 だけど――僕が守りたい人にまで蔑みの視線を向けるような奴らに、もう気は使えない。

 

「悪いけどこの館の主はその幼稚な愚か者なんだよ。命が惜しければ午前中にこの館を去ればいい。ダグラスが来るのは午後だからね」


 <幻の貴公子>なんて……本当はいてもいなくてもいい存在だから付けられた二つ名だと知ったらアスカは悲しんでくれるのかな?

 もし悲しんでくれたら――僕はその時初めてこの二つ名に感謝する気がする。


「私共にもダンビュライト家に仕える騎士としてプライドがあります。ダンビュライト家のかなめである主を残して去る事など出来ません」

「それならさっさと道を開けてよ。本当に僕を主だと思っているのなら、この後来る悪魔から僕とアスカを守り通してみせてよ?」


 そう言って魔力を込めて威圧すると、無言で道が開かれる。


 ああ、こうやって脅すような事をしないでちゃんとお互いに敬いあえたら、大切なものを尊重しあえたら、こんなに嫌な思いをせずにすむのに。



 館に入ろうとした所でソフィアがリチャードを連れて駆け寄ってくる。


「ねぇ……大丈夫なの? 助けるにしても転送当日にした方が良かったんじゃ……」


 予想通りソフィアからはあまり好意的ではない言葉がかけられる。 


「傷だらけのアスカを黙って見てる訳にいかない。実際、今のアスカは既に洗脳されかかってる。この世界に残ろうと思ってるって言い出した」

「残ろうとしてたなら傷を癒やすだけで良かったんじゃない?」

「先に顔を治さなければ良かったかな? アスカの傷は君の傷よりずっと酷いものだったよ」


 そう答えるとショックを受けたような表情で眉をひそめる。ちゃんと心を痛めるだけの情はあるのか。


「ねぇソフィア……どうしてアスカを見放したの? 君があの館に行った時、アスカは地球に帰る事を諦めてないみたいだったけど?」

「……まるで見てきたように言うのね」

「記憶が読めるのはダグラスだけじゃないからね」


 沈黙が漂う。やっぱりソフィアは何か隠している。ここから先隠し事を放置して後で厄介な事になるのは避けたい。どう吐き出させるか――


「失礼ですが、クラウス様……アスカ様は黒の魔力も宿してるのでセレンディバイト公が来たら容易にアスカ様の居場所を探知されます。今はその対応を先に考えた方がよろしいかと」


 ソフィアを庇うようにリチャードが割って入る。確かに、治療を再開する前に早めにそっちの方の対策もしないと。


「この館にある結界石を全て起動させる。それと純白の部屋を組み合わせればダグラスにはアスカの居場所を感知できないはずだ」


 それに結界石には注いだ魔力の効果が強く反映される。白の結界の中なら白の力は強まり黒の力は半減する。その状況下なら騎士団でもダグラスを止められるだろう。


 黒の騎士団は国内外に散らばってるらしいから集めるのには日数がかかる。本格的な戦争になる前にアスカを転送させる事ができれば僕の勝ちだ。



 普段使われていない分の結界石の魔力を補充し11時頃に起動するように兵士に伝えた後、純白の部屋のベッドにアスカを寝かせて治療を再開する。


(馬車にいる間に足は治療したから、次は胴体か……)


 ブラウスのボタンを外して胴体を確認すると首元からチャラ、と音を立てて金色のロケットペンダントが滑り落ちた。


 手にとって中を確認すると、緑色の宝石が煌めいている。


(これが塔への転移石か……)


 数日前に神官長から届いた手紙には<アスカに塔への転移石を持たせました。来るか来ないかは彼女次第です>と書いてあった。


(……いくら塔に来れる手段を持たせても、アスカ自身が洗脳されてしまったら話にならないんだよ)


 舌打ちした後、首の近くの痛々しい傷痕に触れていく。


『今のうちにディープなキスしろ』


 突然の過激な野次が頭の中で響く。空耳には出来ないけど聞き間違いだと思いたい。


『まぐわれ言わない。お前まだ避妊魔法知らない。我も宿主まぐわる時いつも体から追い出されるし、覗くな言われてきたから知らない。アスカ妊娠する、他世界に種持ち込む、世界の法則乱れる……これ最大の禁忌。だから妊娠心配なく魔力一杯注ぎ込めるディープなキス一択』


『ラインヴァイス……こんな時にそんな破廉恥な事わめかないでくれる?』


 次々と頭の中に卑猥な言葉に響き渡る声に耐えきれず反応する。ちゃんとしたキスだってまともにできてないのに深いキスなんてできるはずがない。


『我、とても真面目な話してる。お前が勝手に破廉恥にしてる。お前本当面倒臭い』


 気に障る言葉と視線と共にプスゥ、とムカつく鼻息を出される。

 ラインヴァイスを受け入れて会話できるようになったのはいいけれど、この上から目線の物言いと身勝手な性格には正直すごく幻滅している。


 外側から魔力を浸透させるより内側に直接注ぎ込む方がずっと効率が良いのは分かっているけれど、何でこんな事指図されなければいけないんだろう?

 まだ父様がいた時の美しい大鷲の姿ならまだしも、こんな何の威厳も感じない薄灰の鳩に。


『あのね、ラインヴァイス。僕は意識の無い女性にそんな事……』

『お前さっきアスカの目元にキスした』


 馬車内での自分の行いを指摘され顔が一気に熱くなる。やっぱりこの鳥、受け入れない方が良かったのかも知れない。


『お前、意識のあるアスカにキスできない。嫌がられるの分かってるから。アスカ嫌がるの我も嫌。でも今非常事態。意識ないうちにすれば分からない。魔力増えたの治療の魔力入った言えばアスカ気づかない。アスカ気づかなければ何の問題もない。今なら触り放題、キスし放題』


 気の抜けた鳩の姿をしてる癖に、淡々と非道で狡猾な提案をされてあまり意識しないようにしていた無防備なアスカの姿に体が熱くなっていくのを感じる。


(駄目だ……今のアスカは患者だ。患者相手にそんな気分になっちゃいけない)


 そんないかがわしい気持ちを抱いた状態でアスカの傷痕に触れちゃいけない。


『アスカ守りたいなら今のうちにアスカに目一杯魔力注げ。お前がアスカ守る方法それしか無い。今あるお前の中の黒の魔力、アスカに流しきれ』


「あーもう、うるさいな……!! いくら守りたくても限度がある。僕が意識を失ってるアスカにそんな事したって知られたらアスカに軽蔑される……!」


 あまりに悪魔の囁きがすぎるラインヴァイスに対してつい声に出る。


『我もアスカに嫌われるの嫌。だから絶対誰にもこの事言わない、伝えない。秘密厳守。信じろ』


 自信満々に響く声。だけど。


「ダグラスが目を覚ますまで、まだ3時間以上ある……! 治療が終わった後ずっと抱きしめてるだけでも大分魔力は注げる!」


 ハグ位なら、元々アスカも了承済みだった訳だし。そう、ハグはいい。ハグこそ問題無い。


『……そんなだとまた奪われる。力あれば奪われない。アスカに黒注ぐ、黒消える。お前、しばらくの間本当の力出せる。そこで初めて黒と対等になれる。どうせディープなキスしてもしなくてもアスカ地球帰る。なら、した方が断然お得』


「しつこい!『お得』とか『し放題』とか……キスはそんな安っぽいものじゃない!どう言い繕っても意識の無い間に……なんて、アスカが嫌がる事と引換に迫るあいつよりタチが悪い……!!」


『後悔する……お前、絶対後悔する。我、お前とアスカの為に言ったのに』


 首元から腹部に手を移す僕の態度が揺るがないことを悟ったのかラインヴァイスは目を細めてまた、プスゥ、と不快な鼻息を出す。



――クラウス……――


 治療する中、僕を心配するアスカの声が聞こえてくる。でもアスカは僕に謝ってばかりで辛い。たまにダグラスへの好意が聞こえてくるのも辛い。


――クラウス、ごめんなさい――


 彼女の中に僕を心配する声や懺悔ばかりが聞こえて、僕への好意を見つけられないのが、辛い。


(いいんだ……いいんだよ、アスカ。僕だって酷い事を言ってしまったんだから……起きたら、また謝りあおう? あの時の喧嘩から全部、無かった事にしてしまおう?)


 治療を終えてブラウスのボタンをはめ直した後手袋を身に付けて横になり、改めてアスカを抱き寄せる。柔らかな感触と温かみが心地いい。

 そして少しずつアスカの中に僕の魔力が落ちていく感覚が、すごく――すごく心地良い。


 アスカの中にある<黒>が気にならない訳じゃない。だけどもう惑わされない。黒があろうとなかろうと、アスカはアスカだ。

 意識の無いアスカの寝顔を見ているだけでも幸せを感じる。


(ああ……このまま時が止まってしまえばいいのに)


 アスカを抱きしめてどの位時間が経っただろうか? 優しい眠気が襲ってくる。この眠気に飲まれて、何の不安も無くアスカと一緒に寝られたなら――どんなに幸せだろう?


『黒が来た』


 ラインヴァイスの声が、僕の時を強引に動かした。


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