第14話 遠くの波乱と暗雲と・2


 遠くの空に見える雲に不安を感じ、セリアの方に振り返る。


「セリア、嵐が来るって事は、星鏡は……」

「……雲にフェガリの大半が隠されて、星光が鏡珊瑚に届かなくなる上に波も荒れますから、まともに見られないかと……」


 あの雲に気づいているのは私達だけじゃないようで、大分離れたビーチにも空に向かって指を指したり、海の方を向いている人達が見えた。


 流石に表情までは見えないけど、星の日は一日晴れるって新聞に載ってたから、あの雲に戸惑ってる人は大勢いるだろう。

 彼らがどんな表情をしているのか容易に想像がつくし、遠くの空の暗雲に呼応するかのようにこっちの空気も重くなるのを感じる。


 私自身は星鏡が見られない、という不満より(どうするんだろう? どうなるんだろう?)という不安の方が大きい。

 他人事とは言え、多くの人達の不満を背負う人は大丈夫なのか、心配になってしまう。


「……ジェダイト女侯は今、メールリッドホテルにいるのでしょう? そのうち星鏡目当てで旅行に来た貴族達が彼女の元になだれ込みますよ。そうなる前にこの地方を治める公爵自ら貴族達を宥めた方が良いのでは?」


 ヴィクトール卿から紡がれた『ジェダイト女侯』という単語にチャイナドレスのような服を着た、青緑のショートボブの女性が頭をよぎる。

 大魔導具の故障、となると責任を背負うのは多分、侯爵家だ。


 私を殺そうと企んだ結果、ダグラスさんに殺された前ジェダイト侯の娘――


「おーい、ヴィクトール! お前達の分も出来たぞ!」


 重い空気の中、凄く大きなお皿にイカ揚げとイカ焼きを乗せたカルロス卿がバタバタとやってくる。


「……っと、どうした? 何やら重い雰囲気だが、また誰かロクでもない事を言ったのか?」

「いえ、嵐が近くまで来てましてね。ここを直撃しそうなので早めに対応した方が良いのでは、と助言していたのです」

「嵐が? ……ふむ、確かにあちら側の雲行きが怪しいな」


 イカ焼きのお皿をアズーブラウに乗せ、夕日の光を手で遮るようにしながら空を見据えるカルロス卿の横で一つため息が漏れた。


「……全く、今年の星鏡は面白いものが見れそうだと思って来てみれば……こんな面倒事に巻き込まれるとはねぇ……」


 シーザー卿の辺りに柔らかい風が漂い始める。誰かに何か伝えるのだろうか? 耳を済ませてみる。


「ヒュ……今すぐ…………イト侯を拘束しろ。抵抗………なら、殺せ」


 小声で紡がれた物騒な言葉に胸がギュッとなる。

 その後シーザー卿は静かに息を吸い、口元を歪ませて微笑んだ。


「星鏡を見に訪れた諸君……南の空の黒雲に不安を感じている者もいるかと思うが、何も気にしなくていい。アイドクレースの名にかけて、今宵は雲一つ無い穏やかな海に映える最高の星鏡をお見せしよう」


 先程の小声とは違う、演説のようにハッキリとした声で言い終えると同時に砂を僅かに舞わせる程の柔い風が浜辺に吹きつける。


「……まさか、嵐そのものをどうにかするおつもりですか?」


 風が収まったタイミングでオジサマが意外そうな声を上げる。

 この言い方だといくら公爵と言えど、嵐をどうこうできる物じゃないみたいだけど――


「原因はともかく、一応この地方を統括する身として、この状況は流石に放置できないからねぇ……ああ、心配はいらない。ボク1人で何とかするから君達はこのまま何を気にする事無く寛いでくれればいい……それじゃあ各自、素敵な夜を」


 大した事ないと言わんばかりの微笑を浮かべた後、シーザー卿は消えた。


「……ヴィクトール、その嵐はあやつ1人で何とかできるレベルか?」

「この辺り一帯の風波ふうはを鎮めると同時に、フェガリを隠す雲を払う……色神もいますし2、3時間程度であれば1人で問題ないでしょうが、鏡珊瑚はフェガリの光をその身に溜めて輝くものですから……少しの時間、嵐を退けた所で輝きは拙い。星鏡を見に来た貴族達の中には納得しない者も多いでしょうね」


 カルロス卿の問いかけにヴィクトール卿が夕焼け空を見あげて答える。その視線の先にはうっすらとフェガリが浮かんでいる。


「フェガリの光を十分に蓄えた鏡珊瑚が最も輝くのは星の日の22時から翌日の3時まで、と言われています。今からですと10時間、この辺り一帯の嵐を払い続けるのはいくら『魔神』と呼ばれる方でも厳しいかと……」

「ふむ……」


 眉を顰め、暗い雲の方を見ながら顎髭を擦るカルロス卿の感情を見たのか、ヴィクトール卿が言葉を続ける。


「……助けるおつもりですか?」

「家族が星鏡を楽しみにしておるのでな。中途半端な物は見せられん。こんな所に何度も来る気にならんし」

「そうですか……私も家族に美しい星鏡を見せたい気持ちはあるのですが、荒海での魔物討伐が予想以上に体にきていましてね。今回は休ませて頂きます。公爵が3人もいれば、私が出ずとも何とでもなるでしょうし」

「ああ、無理する事はない。後はワシらに任せてお主はゆっくり休め」


「お待ち下さい、何故私を数に入れているのですか……!?」


 赤と青の公爵の滑らかなやり取りにダグラスさんが介入する。

 確かに、今の2人のやりとりは完全にダグラスさんを数に入れていた。


 ダグラスさんの拒絶に対し、きょとんとした表情のカルロス卿は腕を組んだ後ダグラスさんを呆れたように見下ろす。


「なんじゃお主……アスカ殿に最高の星鏡を見せてやろうと思わんのか?」

「もちろん見せたいと思っていますが、星鏡を見ている時に私が傍にいないと愛を誓いあえないではないですか。それではここに来た意味が」


 愛を誓いあえない、とか恥ずかしげもなく年上の人に向かって言う所がちょっと恥ずかしい――と思いつつカルロス卿の方を見ると、意外と悪い印象は持っていないみたいで、機嫌の良さそうな笑顔を浮かべている。


「なるほどな……それなら心配するな、ワシが良い感じの時間で交代してやる。今が17時……お前がシーザー卿と21時辺りで交代して、その後ワシが24時位で替われば星鏡は見れよう?」

「ああ、そう言えば0時を過ぎて人がいなくなった星鏡の近くには星鉄蟹が現れるんですよ。ごく稀に星銀亀も現れるそうです」

「ほお……普段は深海におる、魔力を一切通さないレアメタルの生物か! 星鏡鑑賞の後に息子達に狩らせるのも良いな……俄然やる気が湧いてきたわ!」


 笑顔で語る2人をダグラスさんが納得いかないような表情で睨んでいる。

 確かに24時って交代は私もちょっと、って思うけど――要は私がそれまで起きていれば私はダグラスさんと星鏡見られるし、皆も星鏡が見られる、という事になる。


(ここは私が後押ししないと……!)


 ツン、とダグラスさんの腕をつつくとダグラスさんが困ったような表情を向けてくる。


「ダグラスさん……あの、私、ダグラスさん戻ってくるまで起きて待ってますから。私もダグラスさんと星鏡見るの、楽しみにしてたので……」

「……分かりました」


 しぶしぶ、といった感じで、でも頷いてくれたダグラスさんにホッとするや否や、


「それじゃあ、さっさと奴と合流して皆で嵐から星鏡を守るとするか!」

「カルロス卿、せめて飛鳥さんをホテルまで送り」

「すまんがワシは頭が悪いもんでな、風波を抑える魔法を知らん! 想像するだけで複雑そうな術式じゃし、お主に教わる時間を考えるとあまり余裕はない!」

「それはヴィクトール卿に教えてもらえば」

「どう見ても疲れておる相手に頼れるか!」


 ヴィクトール卿は伝える事を伝え終えたからか、再びアズーブラウを枕に横たわって目を瞑っていた。

 カルロス卿の言う通り、オジサマが大分疲れているのが感じ取れる。


「ダグラスさん、私の事は心配しなくていいから……!」

「しかし、飛鳥さんを専属メイドと魔獣だけに守らせるのは……」

「でもここに来るまで私、セリアとロイだけで」

「それはペイシュヴァルツに見守らせていたからです……! ですが今回はペイシュヴァルツも連れて行かねばなりませんから、代わりに護衛を果たせる者を」


 そうだったの? って驚きと、それで何も起きなかったんだから大丈夫よ、って気持ち、またこんな小さな事で言い合って険悪になりたくない……! って気持ちがせめぎ合って、言葉が詰まる。


 微妙な沈黙を断ったのはカルロス卿だった。


「……ダグラス、お主が不安になるのは分かるが、もう少しあやつを信頼してやっても良いのではないか? 流石にこんな時に事を起こそうとするほど、あやつの性根は腐っておるまい」

「……アレを信頼されているのであれば、私ではなくアレと協力なさればいいのでは?」

「ん? お主、恋敵にお膳立てされた舞台で愛を誓うのか? お主がそれでいいならワシは構わんが……」


 ダグラスさんの顔が引きつり、ギリッと歯が軋む音が微かに聞こえる。

 その後キョロキョロと辺りを見回すダグラスさんは明らかに誰かを探しているような素振りだ。


「ダグラスさん……もしかしてクラウス、来てるの?」

「透明化と魔力隠しで気配を隠しているようですが、ペイシュヴァルツが言うには、ラインヴァイスの気配を近くに感じるそうです……」


 何しに来たんだろう? 邪魔しに来たんなら一言言わなきゃと思うけど、今まで出てきてないって事は私達に気を使ってるようにも思える。


 というか、クラウスも協力してくれたらダグラスさんもうちょっと早く帰ってきてくれるんだけど――とは思うものの、2人の険悪っぷりを目の当たりにすると協力してとは言えない。


 ダグラスさんはクラウスの居場所が突き止められなかったのか、小さく舌打ちした後眉を下げて心配そうな目で私を見つめる。


 水着売り場から離れた時と全然違う、別れを惜しむような切実な目にちょっとドキッとしてしまう。


「飛鳥さん……愚弟と不審者にはくれぐれも気をつけて。部屋に入ったら鍵を即締めてください。くれぐれもバルコニーを開けたりしないように」

「わ、分かった……」


 ダグラスさんの言う通り、クラウスも暴走しがちなところがあるから、ちょっと不安はあるけど――でも、クラウスも段々変わり始めてる。


 地球での一ヶ月は彼にとって良い刺激だったみたいで、初めて会った頃から比べると大分落ち着いた。


 ラインヴァイスとも大分仲良くなったみたいだし――そう、ラインヴァイスや私に向ける優しい笑顔を思い返せば、もうダグラスさんが心配するような事にはならない気がする。


「ではカルロス卿、シーザー卿を追いながら術をお教えしますので迅速に覚えて頂きたい、まず波の型が」

「待て待て! ワシは動きながら学ぶという器用な真似はできん! 家族にも事情を説明してくるから、ちょっと待っておれ!」


 その後、バタバタと家族に説明しに行ったカルロス卿が数分後、カーディナルロートに乗って戻ってきて――私達は灰色の雲に向かって飛ぶ漆黒の大猫と真紅の巨竜を見送った。


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