第13話 遠くの波乱と暗雲と・1


「戻ってくる時に偶然発見しましてね……真紅の巨竜の気配も感じたのでリアルガー家に調理してもらおうと持ってきたんですよ」


 ヴィクトール卿が持ってきた大王イカはリアルガー家の人達によって即座に調理された。

 大王イカって、地球じゃアンモニア臭い上にしょっぱくてとても食べられたものじゃない――って聞いた事あるけど、こっちの世界は魔法を上手く工夫して美味しくいただくみたい。


 足と胴体を豪快に分離させたイカに対して、色々魔法をかけているアシュレー達を見て不思議に思ってアンナに聞きに行ったら、苦味やエグ味を取る魔法、アクや臭みを取る魔法といった『調理魔法』の存在について教えてくれた。


 使える物は何でも使おうとする精神もそうだけど、到底そのままじゃ食べられない物を何とかして美味しく食べようとする食への意欲も、何処の世界の人も同じなのかも知れない。


「ダグラスさんも調理魔法使えるんですか?」

「いえ……討伐の際は亜空間収納に食料を詰めますし、最悪その辺の動物や魔物の肉を浄化して焼いて食べれば腹は満たされますので……必要に迫られた事がなく」


 肉好きのダグラスさんらしい理由だけど、これまでどんな魔物の肉を食べてきたのかは考えないようにしよう。


 ちなみにダグラスさん、大王イカの墨が直撃して全身真っ黒になってたけどすぐに自分で洗浄と浄化魔法をかけてすっかり綺麗になっている。


「ですがこれから飛鳥さんの理想の男になる為に調理魔法の研究も始めようと思っていたところです。飛鳥さんが育てた野菜を私が調理するという愛の共同さ」

「おーいアンナ、できたぞー!」


 アシュレーが両手に抱えた大皿にはイカを焼いた物と揚げた物がそれぞれ金属製の串に刺さった物が山のように盛られている。

 魚を焼く匂いとイカの匂いに包まれて、ついお腹がなってしまう。


「何だ、アスカも腹減ってんのか? いっぱいあるから好きなだけ持ってけよ」

「え、いいの?」

「ビーチフラッグとかビーチバレーとか、面白い対決方法教えてもらったしな! また何かあったら教えてくれよ!」


 アシュレーの屈託のない笑顔に甘えて、白く分厚い肉を串に差したイカ焼きとイカ揚げをそれぞれ一本ずつもらっていく。

 

 ほこほこした肉厚のイカ焼きは全く刺激臭もなく、一口噛じってみると良い感じの弾力と噛めば噛むほど甘みが滲み出てきて美味しい。


 食べながら自分達のテントに戻ってきた所で。魚やイカとはまた違う匂いが漂ってきた。

 ラリマー家の青のテントでも何か作っているらしい。


 近づいてみると従僕らしき人達に混ざってルクレツィアや若い女の子達が興味深そうな表情で鍋で海藻を入れたスープや、網焼きの上でプクプクと音を立てる貝を見守っている。


 賑わいの中から少し離れた場所で、少し大きなアズーブラウにより掛かっているヴィクトール卿と、彼をパタパタと扇子で仰いでいる藍色の髪の女性の姿を見かけ、何だか気になってルクレツィアに問いかける。


「ヴィクトール卿、寝てるの?」

「いいえ、体を休めているだけですわ。深海は心身に大きく負荷がかかる場所ですから……海から上がった後はなるべく早く体を休める必要があるのです」


 深海といえば水深何千メートルの世界だ。水圧は魔法で何とかできるのかも知れないけど、何だか物凄く大変そうな感じがする。

 けして体格が良いとは言えないオジサマ1人で魔物討伐する姿を想像して、かなり気の毒な気持ちになる。


「えっと……確か深海って光が届かないから青って言うより黒に近いのよね……? ダグラスさん、深海の魔物討伐手伝ったり出来ないの?」

「あら、アスカさんよくご存知ですわね……確かに、深海はほぼ黒の世界です。ですが古来より『セレンディバイト家の者は絶対に深海に入れてはいけない』と言われているのです」


 そうなの? と声に出す前にダグラスさんの方に顔を向けると、ダグラスさんは私が聞きたい事を察したようで、


「ええ、深海の黒には海で亡くなった無数の生物の死念が溶けています。黒の要素が強い人間ほどその死念に飲み込まれやすい、と言われていまして……過去にセレンディバイト公が深海で発狂し、当時のラリマー公と相打ちになった事件があって以来、セレンディバイト家でもけして深海の域まで入らないよう戒められています」


 やだ、怖い――深海の神秘的なイメージが一気にホラーと恐怖に覆い尽くされて身震いする。


「どんな魔物より強い漆黒の魔力を持つ一族と言えど、1人の人間……広大な海の底に沈み、けして昇華される事のない何百万の死念を前にセレンディバイト家の人間でなくても多くの人間が精神を病むか発狂に至る、深海はとても厳しい環境なのです」

「……ルクレツィアは平気なの?」

「運命に負けた者の慟哭に一切耳を傾けなければ良いだけの話ですので、私は大丈夫ですわ。ただ、アレクシスは……アレクシス?」


 キョロキョロを見回すルクレツィアにつられて私も周囲を見てみたけど、それらしき少年は何処にもいない。


「皆さん、アレクシスを見ませんでした? あの子、アスカさんに会ったらお礼が言いたいと言っていたのですけれど……」


 ルクレツィアが声を上げて周囲を見回すも、誰もが首を横に振る。

 それを確認したルクレツィアが砂浜を器用に走ってヴィクトール卿に駆け寄っていくのを追いかけてみる。


「お父様、お休みの所申し訳ありません。アレクシスは何処に?」

「……ああ、忘れてました。アズーブラウ」


 ヴィクトール卿の枕代わりになっていたアズーブラウが起き上がる。

 よくみるとアズーブラウのお腹が異様に膨らんで――と思ったその時、勢いよくゴペッ、と人間が吐き出された。


 藍色のウェットスーツに身を包んだ、アイスブルーの髪に、大きな眼鏡――このちょっと内気そうな雰囲気の少年が獣人に誘拐されたり、ルクレツィアの替え玉にされたりした、アレクシス君――


「アレクシス、貴方、獣人の森で貴方を助けるようにダグラス卿に進言してくださったアスカさんにお礼が言いたいと言っていたでしょう? 今そこにいますからご挨拶なさい」


 ルクレツィアの言葉にはアレクシス君はピクリともしない。

 生きてるんだろうけど、白目向いてる事もあって生きてるのか死んでるのか一見分からない。


「……すみません、初めての深海という事もありよっぽど辛かったようですわ。また後日、改めてお礼を言う時間を頂ければ」

「わ、私の事は気にしなくていいから……! アレクシス君休ませてあげて!」


 チラ、とヴィクトール卿がアズーブラウに視線を向けると、またアズーブラウがアレクシス君を飲み込んでいく。


 まあ、砂浜に捨て置かれるよりはアズーブラウの中の方がよっぽど快適だと思うけど――他人が飲み込まれている姿を見て今更、自分が飲み込まれていた時のクラウスの心情が理解できてちょっと反省する。

 傍から見るとこれ、結構エグい。


「前に会った時に比べて器が随分成長しているようだが」

「ええ、あの後から急激に器が成長しだしましたの。まだ私より小さいですが、近いうちに高魔力者ドライの称号を得ると思います……後を継ぐのがどちらになるにせよ、アレクシスが生き伸びてくれて本当良かったですわ」


 アレクシス君の飲み込まれ具合を全く気にしてない2人のやりとりに引いていると、ヴィクトール卿がゆっくりと立ち上がった。


「……お父様、もう少し休まれた方が」

「いえ、もう一つ忘れていた事を思い出しましてね……シーザー卿、話があります」


 ヴィクトール卿が宙に向かってそう呟いて、数秒――宙に緑の魔法陣が現れると同時にシーザー卿が現れる。


「やあ、ヴィクトール卿……大王イカを仕留め損ねた事といい、本格的にガタが来ているようだけれど、何の話かな?」

「嵐が近くまで来ていますが、本当に今日は星鏡が見られるのですか?」

「……嵐?」

「星の日のサウェ・ブリーゼ周辺は今日1日快晴だと新聞に載ってましたから、息子の深海訓練ついでに星鏡を見るのもいいと思っていたんですがねぇ……予想外の荒波のお陰で、大王イカを仕留め損なう程度には疲れました……貴方はいつも私を壊れた人間だとからかいますが、あの嵐を映し出さない広範囲予測映写機ビュープロフェシーこそ壊れてるんじゃないですか?」


 ヴィクトール卿の笑顔の煽りにシーザー卿の嘲笑が消え、フイと空に視線を移す。

 釣られて空を見上げると、赤く染まった空の奥にうっすらと灰色がかった雲が見えた。

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